材料はあるから作ってしまうか。私が図書館司書を目指した理由(ルーツ)。
話としてはちびくろサンボのことを独自に
調べていた際の調査で少し語った部分の
延長線なわけですが。
写真もある程度ある。10年前のスクラップ
記事も出てきた。じゃあ材料はあるから
作ってしまうか、といふことで。
ま、ヒトコトでいえば、私が図書館司書を
目指した理由(ルーツ)、ですね。
厳密に言うと線路が一本も走ってないが
基地の近くでやたらと輸送飛行機は飛んで
いて、矢鱈と基地関連の図書は充実している
とある都下の市にいた頃担任に乞われて
図書の整頓作業を手伝ったのがひとまずの
きっかけ。まあ三多摩地区らしく図書館・
図書室はしっかり機能してたんで、そこで
普遍的に読書する習慣は付いてた。
で北海道に戻って来たのは江別市の
大麻ってところで(いかにも水のつきやすい
麻がついていますが、北広島などにも
残る大曲と麻畑が組み合わさった合成地名。
詠みはそのままおおあさ)、ここに
あった情報図書館の大麻分館が私が
図書館司書となる礎となったルーツになります。
入口エントランスを使ったゆったりと
した構成で、人がある程度分散する
導線の多様性で作られていたのが印象的。
江別市は北海道情報大学と連携していたので、
中央(野幌地区)にある図書館が
情報図書館なのですが、レファレンスや
相互貸借も進んでいてある程度の本なら
大抵借りられたのは重宝したあたり。
(一時期東洋文庫まで借りられたのは
びっくりした。エリュトゥラー海案内記
とか読んだのもこの頃の思い出)
で、児童書のコーナーは広く蔵書も
充実していて、件のバナマン作の絵本も
ホイホイと数冊見つかるくらいだったの
ですが、これはそもそも充実している
はずだわ、といふ理由が存在したのでした。
この大麻子ども文庫の蔵書が私の
よく通っていた大麻出張所にあった
情報図書館の大麻分館の児童書に
引き継がれていたので、件のバナマン
作の絵本もホイホイと見つかってたと。
ふきのとう文庫とは実は浅い部分
だけど前後で縁があった。
以前としては釧路に住んでいた頃
母親が仕掛けを含めた布絵本を作って
いた時期があり、その時の技術支援で
頼りにしていたのがふきのとう文庫だった。
なのでふきのとう文庫の存在は
知っていたが、何よりもその当時は
「遠い」といふ印象が強くあった。
大麻出張所にあった情報図書館の
大麻分館でよく本を借りていたので
図書館司書になる手段もある程度模索し、
北海学園大学で司書課程があるのも
調べてはいたのですが、結局1年浪人。
そして浪人中大麻で偶然出逢った友人に
貰った人文学部第1期の願書で受けた
北海学園大学に合格し、その大学に
行ったお蔭で司書課程も受けられたので、
図書館司書の資格も取ることが出来た
わけですが。
まだギリギリ教養部があった時代に
社会学の講義があって、アイヌ学研究の
第一人者だった高倉新一郎の子息だった
高倉嗣昌教授の講義を受けていたことも
あったのですが、小林静江さんがふきの
とう文庫から勇退し、高倉嗣昌が引き継いで
桑園の博士町エリアにあった高倉氏の
土地を活用し、2014年に移転したのが
現在の公益財団法人「ふきのとう文庫」
子ども図書館になります。
これが以降の縁で、とあるロードバイクを
購入した日にその足で行ってみたのが
以下の写真。
土足厳禁の図書館を見せて貰った中には
ちゃんと灘本版の「ちびくろサンボ」本が
常備されていたのが印象的でした。
まあ大麻を離れて時は経ち。
で住んでた頃は常に空き地の通り道だった
ところに作られたえぽあホールの図書室は、
閉鎖的で片手間に作られたような間借り感を
さんざ感じさせられる忙しなさ。
「ここはもう故郷ではないのだな」を
ほとほと感じさせるがっかりさでとぼとぼと
ブックバードのある商店街に向かったような。
といふことで自己紹介も混ぜた形で私が
図書館司書を目指した理由(ルーツ)を
少し語ってみました。