第10回毎月短歌(現代語・自由詠)toron*選
このたび第10回毎月短歌の選を担当いたしました。
投稿数は581首でした。たくさんのご投稿をありがとうございます。自分は毎月「恋愛短歌同好会」という恋愛をテーマにした投稿企画をここ6年くらいやっているのですが、その倍くらいのボリュームがあり、とても読み応えがありました。
そのなかで、特にいいなと思った歌6首を「ベストアクト賞」として取り上げて、選評を書きました。
歌意や言葉の取り合わせ以外に、感覚で「なんかいい」ことは強く感じるけれど、言語化が難しかったり…と、どの歌にもそれぞれ違う惹かれる部分がありました。お読み頂けたら嬉しいです。
【ベストアクト賞】
死と君がなにか話しているあいだ僕は初めて作曲をした/瀬生ゆう子さん
死の淵にいる「君」を慰めようとしたのが作曲の原動力だった…と、非常にうつくしい読みもできるのですが、なかなか一筋縄ではいかないというか、もっと多面的な読みが可能な歌だと感じました。
「僕」がどういう感情だったのかが伏せられていて、読みの方向性を完全に固めきらない加減が巧みです。
「君」を慰めたい、という感情はあったのかもしれませんが、その創造力のモチベーションはもっと暗いところから…例えばこの瞬間をかたちにしておかなければ、というギラギラした感じや、「死」を間近に見た恐怖心を紛らわせたい気持ち、などからもきているのでは、と想像しました。
この「なにか」という部分がさらに絶妙だと思っていて、もしかすると、死と君が何を話していたのか解らなかった「嫉妬」もあったのではないか、とか、死の淵にいる君を見て創作欲が湧いてきて、何を話していたのかはどうでも良かったのでは、などさらに読みをひろげてくれます。
誰かのためでもありながら、自分のためでもあり…というところがいかにも人間的で、その濃淡のある感情を上手く歌に落とし込めています。
創作という業の深さのことも考えさせられる一首でした。
夕焼けにやさしく橋は錆びついてわたしにたったひとりの母さん/鳥さんの瞼さん
橋は架けられた時点から必ず錆びつくことを余儀なくされるもの、そして自分を産んでくれた母親がたった一人しかいないこと。
どちらもその通りで、起こり得る(起こり得た)こと同士であるにも関わらず、組み合わさることによってもっと遠いところに読みを誘ってくれるような、不思議な力を感じる歌でした。
永遠に在り続けるものはないということを、改めて想起させられるからかもしれません。
また、「やさしく」という言葉選びにも、その要因がありそうです。橋は架けられなかったら錆びつくことはなかったかもしれませんが、「やさしく」には滅びに向かう自らを、その役目ごと受容している雰囲気があります。
「母さん」もこの「橋」と同じく、やがてはこの世からいなくなる存在でありながら、しかし「わたしにたったひとりの母さん」として、ずっと代替不可能なものであり続けるのだと思います。
なんとなく、この世界に続く営みのことにも触れているようであり、非常に印象的な歌でした。
余韻とは脳へしずかに降りる鈴 足をすりあわせて靴を脱ぐ/石村まいさん
上の句が印象的で惹かれた歌でした。「鳴る」ではなく「降りる」なのが意外性がありつつ、鈴の静かな、身体のなかに沈殿するような音色の表し方として腑に落ちます。
上の句と下の句の空白に、時間的・空間的な隔たりを感じますので、「足をすりあわせて靴を脱ぐ」のは何か出来事があってからずいぶん経ってからでしょうが、「余韻」を零さないように、大切にしている動作として響き合っていると感じます。
また表現的にも上の句と下の句は互いに「飛ぶ」というよりは近く、ほんの微かに繋がっていて、その繊細さにも魅力があります。
具体的なシーンを描いている訳ではないので、「余韻」の根源は読者に委ねられているのですが…個人的には、誰かに会った後、ライブやコンサート、映画を観た後などを想像しました。
そういえば自分の内面が動作に出ること、動作が自分の内面に影響してしまうこと、その両方がありますね。意識しなければすぐに消えてしまう、余韻の儚さに改めて気づかされました。
真夜中にブランコを漕ぐ音がしてああこの人もこじらせている/藤瀬こうたろーさん
細かいですが「この人も」というのがいいですね。「あの人」より距離感が近く、また「も」にはそういうひとたちをたくさん知っている雰囲気がより出ています。
「漕ぐ音」なので、実際に「この人」がどんな人なのかを見たわけではなく、自分の家の近くに公園など、ブランコの設置された場所があるのだと読みました。
真夜中にそういう音が聞こえると、どきりとしたりもしそうですが、主体は既に慣れてしまっている…ことに加えて自分も「こじらせている」側の人間なので、ブランコに乗るひとたちの気持ちを、なんとなく察することができるのだと思います。
やるせない感情を持て余しているとき、こういうふうに遠くの誰かが気がついてくれるということ。…それはコミュニケーションで癒される類のものではないのかもしれませんが、完全に孤独な人間はいないという淡い希望も思わせます。
愛したい星人 春の心臓を見つけた犬に翼与えた/古川未雪さん
「愛したい星人」「春の心臓」「犬に翼与えた」と、パワーワードが連続で置かれていて、非常に気になりつつ、隠喩なのか、ファンタジーなのか、そしてそれが何処から何処までなのか…と悩みつつも眼が離せなくて選びました。
パワーワード以外に「愛したい/星人 春の/心臓を」と句切れのズレで生まれるリズムや「翼与えた」という、助詞抜きの、観測者の視点としては少し幼い結句も、読み手を惹きつける要因だと感じます。
あまりストーリーを見出さない方が、この歌を楽しく読めるような気もするのですが、個人的には「愛したい星人」は無邪気な神様のような印象でした。
「春の心臓」を見つけた犬へご褒美のつもりで「翼」をあたえたのかもしれないけれど、それは犬にとって幸せなことではないのかも…ということも思いましたが、それ以降はブラックボックスになっていて、読み手の想像に上手く委ねられています。
どこか怖い感じもありながら、不思議な魅力にあふれる一首です。
つばくらめ飛び交ふ軒にわづかずつ光と熱がしみとほりゆく/ef(エフ)さん
去年、引っ越してつばめが非常に多い町で暮らしているので、ああその通りだな、と感じました。
つばめたちはくちばしで少しずつ、泥と枯草を軒下に貼り付けながら巣をつくるのですが、その様子はまさしく下の句の「わづかずつ光と熱がしみとほりゆく」で、うつくしさとリアリティが一体になっています。
「光と熱」という言葉選びはストレートですが、とてもいいですね。軒にだんだんと巣がつくられて、その巣の中で雛が育っていく様子でもあり、その過程を見つめる人間たちの視線の優しさ、さらに季節がゆっくりと夏に向かってゆくことも含めて描出できています。
また季節柄、春・初夏の素材を詠み込んだ歌が多く見受けられましたが、そのうち「つばくらめ」を詠んだのは581首中この一首だけで、着眼点も秀逸でした。
また、評はありませんが、ベストアクトに入れるかどうか迷いつつ最後まで残した歌、6首を佳作としてあげさせて頂きます。
【佳作】
何にでもなれると思い込んでいる若葉の若葉色の眩しさ/桜井弓月さん
おはようを言わない人におはようと言えば私のための晴天/吉村のぞみさん
自転車を漕ぐきみの背に摑まって見た春、あんなにきれいな前科/中山史花さん
この森にもうオオカミはいませんよ いのちはずっといのちでしたよ/えふぇさん
ひとしきり星座の話をした空に意味しかなくてずっと見てる火/塩本抄さん
おおきめのじゃがいもとして席に着き午後の会議に煮崩れてゆく/伊津見トシヤさん