高校生バンド生活0年目活動記
高校1年生の夏に人生で初めてライブハウスでライブをするまでの軌跡を単調に記します。
2004.12
当時小6。それまで普通に音楽が好きでバンプとかリップスライムとか聴いてたところに、ニンテンドーDSと同時に「大合奏!バンドブラザーズ」という音ゲーが発売され、これにハマることで「ベースやりたい」と思うようになる。あと同時期にラルクを聴き始め、それを皮切りに音楽にハマる。
その後思うようにお金がたまらず楽器を買えないまま2年経過。
2007.01
俺がベース、直樹がギターを買う。部活のない水曜の夜に直樹の家に集まってアンプから音を出す。そこに智哉もいて智哉もギターを始めることになる。智哉の家でも音を出してみる。
2007.09
仲良しの富雄をドラムに誘う(経緯は忘れた)。初めてスタジオを予約して練習に入る。今はソフトバンクショップになっている、旧みどり食堂の2階。スタジオのことを「みどり食堂」と呼んでいた。1時間1000円ぐらい、これが別府のリハーサルスタジオの相場だった。
2007.11
俺は入院して出られなかったが直樹智哉富雄の3人で文化祭の有志ステージに出演。簡単なインプロと3b lab.☆sの「プレゼント」を演奏。
2008.03
中学卒業と同時に一つギアを上げてバンドをやる。一気に何人もバンドに加入してくる。別府の山の上にあったスタジオ「タイニーママ」に入る。
2008.04
結局みんな高校で各々の部活に入り、俺と直樹と智哉だけが残る。智哉も高校で吹奏楽部に入る。この時まで別府のバンド情報とかスタジオや楽器屋のことはすべてお兄さんのいる直樹に教えてもらっていた。
2008.05
直樹の高校にバンド経験者が多く、ドラマーの諒を紹介してもらう。初めて4人で会った日に大分市に遊びに行く。島村楽器でライブを観たりタワレコとハシゴしたり、今後一生やる遊び方をこの時確立する。この4人でバンドをすることになる。
2008.07
智哉の家庭のつながりで一歳上の宗正さん(通称:先輩)を紹介してもらい、彼がボーカルとなって5人で正式にバンドを結成。バンド名を決定。
1学期の終業式後にスパビーチで開催された花火大会を観に行き、そのステージで同い年のバンドSpike Hillzの上手さにビビる。
2008.08.10
Feed Back File vol.1 @別府COPPER RAVENS
NEW OVER KIDS
Spike Hillz
Apathy Syndrome
人生初ライブ。クソ楽しかった。直樹のお兄さんと6人で打ち上げに行く。まだみんなとめちゃ仲いいわけじゃなかったから。
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