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[読書記録]「カニカマ人生論」(清水ミチコ) / カニカマを超えた感性

清水ミチコさんの、幼少期から現在に至るまでの自伝的エッセイ「カニカマ人生論」を読みました。
昨年暮れに、私の大好きなラジオ、「日曜天国」にゲストで出演されていた清水ミチコさん。そこでこの本のお話をされていて、私は密かに「これはいつか必ず読まなければ」、と思っていました。

「カニカマ人生」。にやにやとともにたくさんの箇所が心に染み渡りました。誰の幼少期にも共通するような、ちびまる子ちゃんを観ている時に私の中に現れるようなあの感覚。清水ミチコさんのことをもう、「親戚の中から生まれたスター」ようにちょっと身近に感じてしまいます(おそれおおいごめんなさい)。

この本には清水ミチコさんご自身を含め、たくさんの魅力的な方々が登場するのですが、まず、ラジオでもお話されていた、幼少期からお母さんになった清水敬子さん。とても素敵です。

子供にとって「愛」とは、細部までじっと見つめられることであり、最後まで話をしっかり聞いてもらうことであり、一緒に笑いあってくれることだと思うのです。

「カニカマ人生論」清水ミチコより 

敬子さんは清水ミチコさんを出産されたお母様ではありませんが、その距離感は絶妙で、敬子さんがいつも清水ミチコさんのお話を面白く笑っている様子に清水ミチコさんが清水ミチコさんである所以を感じます。
それに幼馴染のよっちゃんや、4年生の時の担任の清水治先生、(清水ミチコさん目線での)憧れの矢野顕子さんやタモリさん、永六輔さんに林のり子さんのことも、なくてはならない出会いと、そこに感謝する清水ミチコさんの感性が、清水ミチコさんを形作っているのだなぁ、と思いました。
このエッセイは、清水ミチコさんが、これまで出会って清水ミチコさんご自身が「貰った言葉」で溢れているのです。

ものまねをして人を笑わせる「タレント」であるご自身の人生のことを「カニカマ人生」なんて表現するのも、そこにある「スケソウダラの面白味や可笑しみも味わえてきた」と仰ることも、感性の鋭さも、緊張して逃げてしまっていた日々から「もったいない!」と立ち上がる強さも、全てが愛おしく感じて、そしてにんまりと可笑しくて、とても素敵です。

高校受験のところの、

なんと私は受験当日、あまりのプレッシャーに気負けし、半分ほど解答したら、あとは用紙を裏返しにして伏せてしまったのです。怖くて身体が震え、もはや読んでも字が入ってこない。問題を理解しようとするだけでも動悸が激しくなります。みんなのエンピツで書くサラサラという音だけが聞こえてきて、清らかできれいな音だな、とのんびり思いました。私は死んだのに。

「カニカマ人生論」清水ミチコより

この部分の、耳を澄ませてじっとその時間が終わるのを待つ清水ミチコさんご自身の描写から、

父の顔を見たら、目が真っ赤だったのにぎょっとしました。泣いていたのではないか。そんなに傷つけていたのか、と、自分のふがいなさを改めて知りました。私は大声で叱られるかとばかり思っていたので、不器用になぐさめてくれようとしている父の声が、余計ショックでした。

「カニカマ人生論」清水ミチコより

大人になってもそういった「不安」が時々顔を出すことへの、清水ミチコさんの戦い(ご自身で「私の持つ爆弾」と表現されている)を克服したいと決意する様に胸を打たれます。でもこれももちろん、サラッと、「マシな程度にはなってきました」なんて仰っていてエッセンスみたいに感じさせられてしまうのです。


あとそれから、タモリさんのことを文章にされているところがあるのですが、清水ミチコさんフィルターを通したタモリさんが素敵で、「テレビで観るままの方なのだな」と感じ、とても好きでした。
こういった清水ミチコさんフィルターも、誰かとの出会いから何かを学んで、それを忘れないようにして生きていらっしゃるのだな、ということが分かります。そして私もそれをまたこうやって学ばせてもらっています。

ああ、書きたいことはたくさんあるのですが、
「強心臓と弱神経」の章と、「ガムの味わい」の章は忘れたくないので、しっかりとメモをとりました。

辛いことや悲しいことに覆われても、良かった、と思えることを、私も大切にしたいです。
元気が出たな!
清水ミチコさん、ありがとうございます…!




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