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「存在」と「状態」のちがい
こんにちは、とりコレクターです。
今回は、人の「存在」と「状態」のちがい、そしてわたしがそれに気づいてからどんないいことがあったかをお話させていただこうと思います。
先日、天敵が師匠になった話をさせていただきました。
これを読んでくださっているあなたにも、天敵や師匠だとみなしている「存在」がいるかもしれません。
わたしは結構だれとでも仲良くなれるほうだと思っています。
が、以前は特に、「一度嫌いだと思ったひとは、ずっと嫌い」になることが多かったです。
なにかの拍子に攻撃された(と感じた)ら、その人は一気に「敵」という存在になる。
幸か不幸か温和な両親のもと、いわゆる優等生として育ってきたわたしは、「否定」や「批判」をされた(と感じた)ときに、特にそう感じがちでした。(今でもそれは結構ありますが)
そしてその人が接近すると、鬼〇郎の髪の毛よろしく、
「ピコーン!ピコーン!危険!危険!」
と一気に厳戒態勢に入って緊迫するようなイメージでした。
メンタルをやられたときも、周囲の批判や厳しい言葉(と受け取ったこと)にやられた部分も大きかったです。
しかし、ある人にこう言われました。
「敵っていう人がいるわけじゃなくて、そう思う場面があるってことだよ」
目からU-RO-KO!!
英語で言えば、敵というBeing/Entityがいるのではなく、そう感じるStateになるときがある、ということでしょう。
人間だれしも多面的で、動的なのです。 自分も人も。
いろんな面があって、常に変化している。
ということは、その人という「存在」が丸ごと敵だったり、あるいは味方だったりすることはきっとないのでしょう。
もちろん、中にはこちらのエネルギーを吸い取って消耗させるばかりの人もいると思います。
そして、そういう人と無理して付き合う必要もないと思います。
本当の意味で危険な人は、積極的に回避しましょう。
でも、人を「存在」ではなく「状態」ベースで見られるようになると、きっと楽になります。
なぜかというと、
「敵」だと思った人がいても、
そして逆に、いつも「味方」だと思っていた人に裏切られた(と感じた)としても、
「いや、今のわたしがそう感じたというだけ」
「今あの人はきっとそういう状態なんだ」
と思えるから。
自分も人も、いろんな事情や感情を抱えて生きている。
それをもとに、いろんな行動をとる。
だから、一喜一憂する必要はない。
「存在」と「状態」のちがいに気づくと、世界はきっともっと優しい場所になる。
というお話でした!