人は自分を投影して他者を見ている ~Episode I : THE DENIAL MENACE~
こんにちは、とりコレクターです。
今回は、わたしが最近
「人は自分を投影して他者を見ているんだなぁ」
と改めて感じたお話の1つめをゆるりとさせていただきたいと思います。
特に、「否定や批判をされた(と感じた)」ときの、気持ちの整理にお役立ていただけたら幸いです。
Episode I
THE DENIAL MENACE
(脳内で、上部が奥にすいこまれる感じで字体をややナナメに倒し、
例のテーマソングを流してください)
noteで良かったことでもちらりと書きましたが、わたしは脳ミソを回転させる作業が好き。そしてまぁまぁの凝り性。(凝り性3級)
先日、知人に
「仕事で下工程をやった人の成果物が色々とアレで、自分でかなり作り直しすることになったけど、むしろ色々考えながら創作できて楽しかった」
という旨の話をしたところ。
知人は
「自分で何でもかんでもやろうとせずに、もっと手離れ良くしたほうがいいんじゃないの」
とレクチャーモードな様子。
自分としてはむしろ、「つくる」喜びを感じていたポジティブなエピソードだったのですけれど。
たしかにそういう、「人のしりぬぐいもして、頑張っているわたし」に酔うことってありますよね。スポ根とか悲劇の主人公的な。
昔のわたしは大いにそういうところもあった。し、まだ完全に抜けきってはいないかもしれない。
でも、今回のこのことについてはちがう、ちがうんだ!!
と、少々の違和感ととまどいといらだちを感じつつ、「でもわたしは楽しんでたからいいのよ」と心の中で思っていました。
が、そのあとで謎はすべて解けた。(じっちゃんの名にはかけていなかったけれど)
実はその知人自身が、「手離れの良くない(ように見える)」上司に対して悶々とする日々を送っていたのです。
つまり、知人はわたしの姿に、自分の上司の姿を重ねて見ていた。
そして、そんな「上司にそっくりな」わたしに対して、悶々とした。そして一言言わずにはいられなかった。
それに対してわたしは知人のことを、「何かとモノ申さずにはいられないタイプの人」という、過去の知見から導き出された属性の型に当てはめて見ていた。たぶん。
(ほんとは、そういうタイプという「存在」ではなく、そういうことをする「状態」なんですけどね)
また、「優等生」歴の長いわたしは、批判や否定が大キライ。だから、そう「感じられる」言動やそれをする人をネガティブに見がち。
でもきっと、一番自分を批判・否定しているのは自分自身。
だから、相手のことを、自分にケチをつけてくる心の中の「モノ申し太郎」を重ねて見てしまう。
要するに、お互い自分の知っている人や経験を投影して、お互いを見ていたんでしょうね。
そして、自分を批判・否定してくる一番のダークサイドは、自分自身の中にある…
To be continued...
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