ゆるぴよ文学講義③これはアフターコロナのディストピアか?「客」(筒井康隆)
ごきげんよう。
今日は2020年5月15日です。
ようやく特定警戒以外の地域から緊急事態宣言解除が始まり、日本は出口戦略へ動き出したようですが、長期化を前提とした行動変容が呼びかけられている通り、アフターコロナの世界は元と同じではないでしょう。
衛生習慣の向上はもとより、広い世代にオンライン化の必要性を知らしめ、リモートワークへの移行が進み、前時代的な対面営業や形式的な行事が淘汰され、人々の生活が一気に効率化しています。
前々回解説した「ツィス」で描かれていたように、パニックが社会変革の推進力になったのです。
しかしこれがいいことづくめかと言うと、私のごとき飲食業をはじめリアルなコミュニケーションの場を提供することを生業にしている者にとっては大いなる逆境であります。
しかもコロナの終息は見込めず、もしコロナが終息しても次なる新型ウィルスが現れるのは必至とあっては、悲観的な気持ちにならざるを得ません。
今、そんな中で思い出しているのが筒井康隆の「客」というナンセンスショートショートです。
「客」は初期ショートショート集「笑うな」(1980年/昭和55年刊行)に収録されています。
表題作は悔しいけど本当に笑います。「クソッこんなんでwww」ってなります。これ書きながらすでに顔が笑ってます。悔しいです。
それは置いといて。
「客」(筒井康隆)あらすじと感想
ある家族(父・母・子)の家に客が訪ねてくる。
家族は「お客さん」を大はしゃぎで歓迎する。
一時間ほど遊んだ客が帰るときには家族は喜んで10万円渡す。
実はこの世界ではなんでも”電話”で事足りてしまうため、人に会いたくて客を雇ったというオチ。
何を隠そう私は結構なツツイスト(筒井康隆ファンの自称)であるためこんな本(稀覯本の類と思います)を持ってたりするんですけど、中には御大ご自身よる漫画作品がいくつか載ってましてね。
小説のジャンルがめっちゃ幅広いのみならず音楽も芝居もできてイケメンで絵も描けるとかヤバいでしょこの人日本に現存してるのおかしくない?
で、「客」のコミカライズも入っています。
本当に軽いノリの短い話ながらサクッとディストピアです。
当時だからツールは”電話”ですが、人間同士の接触NG、リモートこそ正義な現在の状況に通じるものがあります。
人口が少なかった昔の山村なら客が来ると実際にこんな感じだったかもしれませんね。昔話だと急に来た旅人を泊めてあげたりしますし。
でもこの家族は人間同士が普通に会うことができた時代を知っているようです。子供でさえも。つまり人口の問題ではない。
であればこれは合理化が進んだ結果なのか、それとも感染症のような要因があってこうなったのか。
時代を考えると、核家族化、都会の地域社会の孤立化をネタにしたのでしょうけど、こんなのまるで「新しい生活様式」が定着した世界じゃないですか!
それでも彼らは他人に会えない生活が寂しくてみんなで号泣するのです。「なんて冷たい世の中」「なんて冷たい時代」だろうと。
人はたとえ必需の理由なんかなくたって人に会いたいものなのです。
うちだってアフターコロナを見据えて撤退や業態変更する選択もあるけど、やっぱり人を繋ぐ場所はこれからの時代も必要とされるはず。
過去に何気なく読んだ小説が、数十年の時を経て思いがけない形で力を与えてくれることがあります。
まだ自粛が続く日々です。
ためになる本じゃなくていい、面白いと思える本をちょっとお暇な時間に読んでみるのはいかがでしょうか。
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