【小説】胃もたれ侍、異世界へ行く


「三郎!またか!」
「はあ、その通りです。誠にかたじけない」
 弱々しくうなだれる三郎を見て、鼎蔵は大きなため息をついた。
「まったく、お前は剣の腕は立つのにどうしてそんなに腹が弱いのだ!われわれの悲願成就のために、お前の力は不可欠なのだぞ!」
「そうは言われても、儂にもどうにもならんのです」
「医者にはかかったのか」
「もう何度も。長崎で修行した何某とかいう医者にも見てもらいましたがね。どうも病というより、そういう性分なようで……」
 三郎はそう言って、懐から粉薬を出し口に入れる。どうもむせたようで、ゴホゴホと咳こみながら水を口に運んだ。
「しかし、今日はそうも言ってられません。池田屋での会合、儂も護衛として先生に付き添います」
「いや、お前は今日は来なくてよい」
 青白いながらも真剣な顔をする三郎の肩に鼎蔵はポンと手を置いた。
「確かに古高が捕まり、状況は良くないだろう。しかし、他にも腕の立つものはいるし、なによりお前が必要になるときが必ずくる。そのときに備えて、まずはその大食癖(作者注:胃もたれの意)をなんとかしといてくれ。なーに、さすがの奴らも池田屋まで嗅ぎつけるなんてことはないだろう」
 鼎蔵はそう言って立ち上がり、出かける準備を始めた。三郎は腹をさすりながらその様子を見つめることしかできなかった。
 それから数刻。三郎は池田屋へ足を急いでいた。別の場所に潜伏していた仲間から鼎蔵らが襲撃を受けたと聞いたのである。どんより重い腹をなんとか宥めながら、京都の町を三郎はただひたすらに走っていた。
 池田屋に近づくにつれ、血の匂いが強くなる。そして、三郎の腹も限界が近づいていた。痛みに耐えかねて、三郎は立ち止まる。
「先生……」
 涙を流しながら、三郎はそう呟いた。
「かくなる上は、儂も……」
 覚悟を決めた三郎が短刀を抜いたとき、目の前に赤く染まった浅葱色が見えた。手負かはたまた病なのか。口から血を吐きながらフラフラと歩く浅葱色を見て、三郎は短刀をしまった。そして、代わりに愛刀を鞘から抜き、大上段に構えた。
 浅葱色も三郎に気がついたようで、スラリと刀を抜いた。かなりの手練なのか、立っているのもやっとといった様子だったのにも関わらず一分も隙のない構えで三郎に対峙する。
 ジリジリと間合いを詰め、三郎が刀を振り下ろした瞬間――。
 まばゆい光が二人を包み、その場には二人の匂いしか残らなかった。

   ◇

 三郎が目を覚ますと、女が心配そうに三郎の顔を覗きこんでいた。
「目を覚ましましたか、勇者様!」
 女はそういうと、三郎の手を握った。状況がわからず、三郎は目を白黒させた。腹は相変わらずどんよりと重く、ときどきキリキリと痛む。思わず顔を歪めると、女は大袈裟に慌てながら、部屋の外への駆け出していった。
 三郎は静かになった部屋をあらためて見回した。明らかに自分の潜伏していた宿ではない。なんなら日の本ですらない気がする。しかし、どこかで見たことがあるような……、と三郎はしばし考え込み、はたと思い立った。
 長崎だ。長崎の異国造りの建物がちょうどこうだった。じゃあ、ここが仮に長崎だとしたらどうして自分はここにいるのか? いくら考えても三郎にはとんとわからなかった。
 しばらくして、女が戻ってきた。後ろには女がもう一人。一人は黒い頭巾のようなものをかぶっており、後から入ってきた方は、白い布を体に纏っている。どちらにしろ、三郎には見慣れない格好であった。
「勇者様、目覚めて早々に名乗るご無礼をお許しください。わたしはマリー、この教会で修道女をしております。そしてこちらが……」
 マリーの言葉を遮り、白い布の女がズイと三郎に顔を近づけた。
「ふーん、こちらが噂の勇者様とやらね。ずいぶん顔色が悪いようだけど」
 白布女はしげしげと三郎の顔を見つめている。攘夷派きっての硬派として知られていた三郎は、年頃の女に見つめられることには慣れていなかった。思わず顔をそらす。
 そうしているうちにも、腹具合は悪くなる一方だった。
「は、腹が……」
 思わず三郎はつぶやく。すると、白布女は左手に握った杖を三郎の頭上へかざした。
「な、なぜだ……」
 三郎の顔色がみるみるうちに血色の良いつやつやとしたものへ戻っていく。三郎を長年悩ませていた胃もたれは影も形も無くなっていた。
「お、おぬし……! 何をした! かの名医ですら直せなかった儂の腹を、どうやって治したのじゃ!」
 興奮する三郎に、白布女はことも無さげにこう言った。
「秘術、聖ローガンよ」

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