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イベントレポート「グッドネイバーズトーク」 ゲスト:松本ちえ子さん(旧「ようぞうジャム」)
はじめに
南伊豆には、いろんな人がいる。
「10人10色」という言葉があるけれど、
ここで暮らす人たちは、
なんだか「1人10色」(いろんな色の掛け合わせで生きている)、な気がします。
「(一周回って)あの人は・・・一体何をしている人だろう?!」
「グッドネイバーズトーク」は、南伊豆のご近所(ネイバー)さんをお招きし、
そのかたの活動や人となりを伺っていくトークイベントです。
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2024年6月27日に開催した第四回のゲストは「松本ちえ子さん」!
南伊豆のさまざまな果物を使った、無添加で自然な味わいのジャムが魅力の、ちえ子さんの作る「ようぞうジャム」。
道の駅や下田の名産品店などで販売され、親しまれてきました。
多くのファンに惜しまれつつも、2024年3月末をもってジャムの販売を終了されたちえ子さん。
いまの暮らしにいたるまでのお話や、これからのこと、おすすめの本などについて伺いました。
聞き手は、南伊豆町下賀茂でゲストハウス「ローカル×ローカル」 を運営しつつ、漫画家・イラストレーターとしても活動する伊集院一徹さんです。
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「女の子が大学に行くことは、嫁の貰い手がなくなることも覚悟するような時代だった」
「今日、家族には、イベントに出るからご飯の支度をしないぞ!って言って、胸を張って出てきました(笑)」と、冒頭から場の空気を和ませてくれたちえ子さん。
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ちえ子さんが生まれたのは、昭和の市町村大合併により南伊豆町が誕生する直前の、当時の竹麻村(※現在の青市〜湊〜手石にまたがる地区)でした。
「中学校がセーラー服だったから、高校はセーラー服じゃないとこがよかった(笑)」と語るちえ子さんは、町内の中学校を卒業後、普通科へ進学するために当時の下田北高校へ通います。クラスに50人の生徒が在籍していたうち、女性はちえ子さんを含め、9人だったそうです。
ちえ子さん:
「実家は海産物の卸業をやっていて、母がトラックを沼津市場まで夜、走らせてね。ちょっと自慢すると、私の母はまだ下田に教習所がない時代、横浜まで行って車の免許取ってるんですよ。私は母子家庭の育ちなんですが、その当時、母子家庭で子どもを高校まで行かすっていうのは大変だったはずです。でも、経済的に困るってことはなかったですね。母が、要するに男並みに働いたっていうんでしょうね。日々夜も働いて」
「その代わり、私はお嬢さんではいられなかった(笑)。高校生の夏休みは、アルバイトのお兄さんたちのご飯の支度も私の担当。だから夏休みにお友達と遊びにいくってことはまずなくて、フルタイムで働いてましたね」
その後、高校を卒業したのち、ちえ子さんは大学へ進学するために南伊豆町から一度、離れます。
ちえ子さん:
「当時、私たち(女性)が大学受験するには、必死の想いで親を説得する必要があった。男の子だったら多分、ある程度経済力のあるご家庭は行かせてくれたと思うけど、まだ昭和40年代のころですから。女の子が大学行くっていうのは、この田舎では、嫁の貰い手がなくなるっていうことを覚悟しなければならないような時代だった。年寄りに言わせると、ですけど。なので、大学出たら家の手伝いやるからってことで、社会人になる執行猶予期間みたいな感じで、親を説得しました」
そうして湘南にある大学の文学部にちえ子さんは進学します。ご家族のお見舞いなどもあり、湘南から月に二度は南伊豆のご実家に通う大学生活を終えたちえ子さん。卒業後は南伊豆町役場へ就職を果たします。そこでまず配属されたのは、役場本庁の中ではなく、町内の小中学校の事務職でした。
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ちえ子さん:
「当時、南伊豆町には、小・中学校が9校あったんです。もちろん小規模校が多かったので、全校には事務職が配置されてなくて。そこで、小学校に配属された事務職のかたに、隣接する中学校の兼務辞令が出されてたんです。兼務で二校を受け持つ事務さんが大変だからなのか、学校のほうから一人配置してほしいと希望があったのかはわかりませんが、私の最初の配属先は三浜中学校に、用務員さんを兼ねて、ということでした」
「ようぞうジャム」のはじまり
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事務員として二つの中学校で働いたのち、学校の合併などの影響を受け、町の教育委員会へ異動になります。その後、水道課での勤務を経て、52歳のときに役場を退職します。
「ようぞうジャム」という屋号でジャム作りと販売を始めたのは、その数年後のことでした。
ちえ子さん:
「働きたくて始めたジャム作りじゃないの。でも、色々もらうわけ。知り合いにいちご農家さんやみかん農家さんもいるし、主人のお父さんが、県の農業経営士のシングルナンバー(農業経営制度ができたばかりの頃に称号を得ている証)なんです。だから農家さんとのお付き合いが広くて。当時、品種改良したり新しい品種作ったりっていうかたもいっぱいいらしたので、珍しい種類もいっぱいもらえた。もらえても食べきれないから、どうせなら(と、ジャム作りをはじめた)」
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ちえ子さん:
「(販売を始めた当初は)知ってる人に、『美味しかったから買ったよ』って言われると、なんかずきんとしてね。あんた、あんなもんになんで400円もお金出すの、って。食べるんだったら言いなよ、あげるからって」
「でも、ちゃんと何百円も払って買ってもらえるっていうのは、すごく嬉しかったよね。私、これができますって言うのが、自慢じゃないけど何もなかったから」
そうして「ようぞうジャム」は道の駅でも人気の商品になりました。しかし、喜んでくれる人たちの声が嬉しかった反面、忙しくなりすぎてしまったと、ちえ子さんはおっしゃいます。
ちえ子さん:
「お店に配達すると、半日潰れるでしょ、それに一日に二種類も三種類も何かすると息が切れる。70歳近くなってくると、本当にそういう感じ。だから、70歳を区切りに、もう販売はよそうって。そうしないと、自分が本当にあげたい人たちに作れなくなってしまう。主人のお母さんも私の実家の母も90代だし、そちらの事情でも忙しくて」
ちょっと迷惑をかけられるつながり
実は、事前にお話をうかがったさい、「社会との接点がなくなっていくことは怖い」とおっしゃっていたちえ子さん。その想いを伺いました。
ちえ子さん:
「この頃、あと少しのところで(言葉が)口に出てこないのよね。俳優さんの名前とか、読んだ本の名前とか。明らかに、私は始まりつつあるな、という。年齢相応の成長の範囲かもしれないけど、老化っていう成長はもう始まってる、っていうのは自覚せざるを得ないことがいっぱいあったのね」
「気がつくと、家族以外と話してないっていう日の方が多いぐらいの生活だから、きちんとこうやって緊張して話さなければならない人とも、何日かに一度は話しないと、ボケ街道まっしぐらなのではないかなと思うことが多くなってね。そう思うんだったら、自分でネットで(YouTube配信でも)なんでもやれよって、旦那には言われそうだけど(笑)」
会場では参加者のみなさんから、「ちえ子さんのYouTubeチャンネルがあったら見たい!」といった声も。そんなちえ子さんに、これからについて考えていることを伺いました。
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ちえ子さん:
「自分よりも若い人との繋がりを大事にしたい。少しでもゴマすって(笑)、(自分の身体が)動かなくなった時に、ちょっと迷惑をかけられるような。それをお友達って呼ぶのはおこがましいけど、『まあしょうがないな、10年前にちょっと厄介になったから』とか言いながら、ちょっとお手伝いして、手を引いてくれるような人を、一人でも二人でも作れたらいいな。で、理想を言うなら、死ぬまで元気な意地悪ばあさんでいたい(笑)」
「哀れまれるのは嫌だよね。『可哀想ね、だけど年だから仕方ないわね』とかじゃなくて、『あのくそばばあ、まだくたばらないな』とか言われつつ、なんとなく憎めないところもちょびっと残ってるから、ちょっと面倒見てやろうかっていうくらいがいい。そういう迷惑をかけられる若い人を作っておきたい」
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ちえ子さん:
「若い人を理解するのは無理なの。頭の中の構造が違うんだし、育った時代も、空気も違うんだから。でも、若い人と接点を失いたくない。向こうにだって、たぶん7割くらい迷惑だろうけど、まあ3割はかわいいおばあだなって思ってもらえるようなところを残したいというか。最終的には1割5分とかかもしれないけど(笑)」
「今、私はたまたま健康で、平気で車の運転もしてるけど、でもいつかは運転もよさなきゃならない時だって来るでしょ。そんなときに、自分よりちょっと下の世代の人たちと繋がってたら。もしかしたらね、年賀状一通だけかもしれない、クリスマスカード一枚かもしれない。若い子たちは年賀状じゃなくてLINEかもしれないけど、それでもいいじゃんね、繋がってるといえるでしょ」
おすすめの本紹介
最後に、本屋のイベントということで、ちえ子さんにおすすめの本をご紹介いただきました。
一冊目は、『私の台所』(光文社、2006年)。
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ちえ子さん:
「女優でもある沢村貞子さんの本です。私は意地悪ばあさんとしての沢村貞子さんの大ファンなの。「暮らしの手帖」とかでも書いてましたね。この人の本は多分ほとんど読んでると思うけど、大好き。辛辣で、若い人に媚を売らない。『私は意地悪ばばあよ、だから何よ』っていう感じ。」
二冊目は、『知ってんけえ』(ききがきや)。
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ちえ子さん:
「これは南伊豆のおじいちゃんおばあちゃんに話を聞いて書いた、聞き書きの本。私も参加してます。天神原の巻は、今日参加者で来ていただいているお二人もメインで作ってますね」
イベントを終えて
こちらのレポートは全体の抜粋ですが、とても書ききれないようなエピソードもどんどん飛び出し、ちえ子さんの茶目っ気とあたたかいサービス精神につつまれた一時間でした。
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改めて、今回ファシリテーターを務めてくださった伊集院さん、イベントを一緒に盛り上げてくださった参加者のみなさま、そしてゲストとして登壇いただいた松本ちえ子さん、本当にありがとうございました!
※本レポートに掲載している写真の一部はちえ子さんよりご提供いただきました