結婚式考(人前式の誓いの言葉)1
結婚式考
おしゃれな式場での結婚式に招待された。
その際「人前式で、新郎新婦に誓いの言葉を訊ねるという役をお願いしていいですか?」と依頼された。そのときはあまり深く考えず、なんでも手伝いますよと引き受けた。
人前式は、神式、仏式、キリスト教式と同じように、世間に認知されていると初めて知った。
長らく結婚式に出席する機会がなく、知らなかった。神主さんや神父さんを招く費用も節約されるという。
結婚式というセレモニーも変化していた。
従来人生の区切り目に行われてきたセレモニーには本来意義があったが、いつのまにかその本来の意義が薄れて、違う趣旨になったのか?
同じく人生のセレモニーである葬式も、コロナ以降盛大なものは少なくなり、家族葬や無宗派、斎場での簡素なものへと変化が起こっているので、当然かもしれない。
知人の僧侶から、葬式も式場で勝手に手順を決めていると聞いたことがある。本来はそうじゃないのに…などとおっしゃる。お経を詠む時間の長さも式場の都合に合わせるらしい。
つまり式場が一番偉い。
結婚式もまた式場指導型に変化している?
さまざまな趣向を凝らした小イベントが式と披露宴の最中に行われて、参列者を楽しませる。
ブーケトスではなくてぬいぐるみを新郎新婦それぞれが投げる。
またウエディングケーキをお互いに食べさせる。新郎新婦のみならず、両親にもやってもらう。コミカルな仕掛けも用意されている。
でもこれはいったい何なの?
申し訳ないが、70代にはかなり戸惑いもある。
御両家の両親を含めた列席者の中で、私と夫が一番年長のようだ。祖父母の世代というか。
たとえ違和感があっても変化を楽しむと心得ている。
50年近く前、自分たちの結婚式では、新郎新婦の意見はほとんど通らなかった。
挙式会場、引き出物、祝言のかたち、披露宴、お色直しに至るまで、夫側の両親の意向で決められた。
新婦の出る幕はない。決定権がないのだから。ウエディングドラスすら着せてもらえなかった。和装のみ。式場はホテルの大きな和室だった。
昭和の時代。
恋愛結婚という言葉はそのころ新しかったか?
何しろほとんどの人がお見合いで結婚していたころの話。
見合い恋愛という言葉すらあった。
見合いで知り合ったあと、好きになって恋愛感情を抱くようになるのだそうだ。
変なことば。
結婚相手を見つけたい人は各自、釣書というもの(履歴書、プロフィール)を間に立つ仲人さんに渡す。両家のバランスを考えて仲人さんが組み合わせるので、本人は回ってきた釣書を検討して相手を選ぶ。
学校を卒業して、就職したら、男女問わず否応なしにこの中に投げ込まれる。
ある意味、釣書を選ぶだけで気楽だったのかもしれない。あとは全て人任せで、良きにはからってもらえた。
それでも離婚する人は今よりも少なかった。
令和の時代との違いを考えると、昭和は変てこりんで面白い時代、ひどい時代だったなぁと思う。
そして恋愛結婚だった私たちは、結婚式という際になって、いきなりその中へ投げ込まれた。
(今考えると、一度くらいお見合いを経験しておいても良かったかもしれない⁉︎)
式には必ず仲人がいないといけないから、町長に頼んで仲人の代理をしてもらった。頼まれ仲人という。頼まれ仲人は、お礼などの金品を受け取ることができる。つまり結婚してからあとも、新婚夫婦からの中元歳暮が欠かせない。
信じられないでしょう?
結婚式まで全く知らない人に新郎新婦の隣に同席してもらわなくては、形が整わないなんて。
違和感満載で、私には意味不明だった。
しかしそういうものだと言われて拒否できず従った。20代の初めで!
人々は戦後の貧しさからまだ脱却していなくて、誰もが辛抱強かったのかしら?
中身よりも形式が大切だったようだ。
高度成長を経て、幻の30年を経て、いまの令和の時代は何故かクールすぎてついていけない。
決して昭和の時代が良かったと言っているのではない。ただ、流れが大きく変わってきたことに、不思議な驚きがあるだけです。
私たちの世代でも、さっさと離婚した人も
結婚生活の途中で死別した人も
いっぱいおられる。
私たちは50年近く、感謝して仲良く暮らしているけれども。個人的には、結婚式はしてもしなくても関係なかった。夫と仲良くやっていくつもりだった。
結婚当時も今も変わらない。
そもそも結婚式っていったい何?
誰のためにするの?
人によってこの答えは違うのだろうと考えている。
さて、次回は、人前式の誓いの言葉について書きます。