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年賀状に想う
2023年11月27日
今年の1月に老衰により義母が逝去。
11月に入って年賀欠礼ハガキを早く出す必要があった。
10月から官製葉書のインクジェット用は準備済み。
しかし体調不良とプリンタ不調が重なり、手順がちっとも進まなかった。
ようやく先週末、文面をプリントした。
例年年賀状の宛名は手で書いている。
なので喪中ハガキも筆ペンで。
ネット社会になった。今どき年賀状も古いし、
その一部を手書きする人すら減ってきた。
裏も表も印刷が普通で。
また、年賀状は今年で終わりという年賀仕舞い。
毎年、何枚かに添えられてくる。
これも墓じまいや終活の一環かな?
当の本人が亡くなってしまうケースもあったり。
やや複雑な気持ちで年賀欠礼の宛名を書いているうちに、大切なことに気がついた。
人との交流を自ら断つのは、あまり良くないのではないか?
時間と経費の無駄だとして、人と交流するのをやめると、最後は自分の世界に閉じこもり、人生淋しくならないか?
長年、年賀状だけの交流の知人や友人。
これは自分の人生の財産ではないのか?
いまだに木版画を刷って年賀をくれる方もいらっしゃるのだもの。敬服に値する。
万一お目にかかるチャンスが将来訪れたとき、
たとえ何十年ぶりかであっても、年賀状の交流があれば、年月を感じずに話せると思う。
その人のことを大切に思っているからこそ
今まで年賀状を書き続けてきた。
お世話になったかた。助けてくれた恩人。
昔職場で一緒に働いた人。
同級生。かつて近所に住んだ人。
人生の折々に話したり食べたり旅行したり、一緒に働いてきた人たち。
年賀状は細い繋がりかもしれないが、
若いころのお顔を思い浮かべ宛名を書く。
毎年いただく年賀状からは、
誰かが私を想っていてくれるというチカラを
いただいている。
人の心のありがたさ。
形式に捉われずその人なりのやり方で構わない。
両面印刷もOK。全部手書きもOK。
一言書き添えられると嬉しいが、なくても問題ない。お元気でいらっしゃれば。
こちらもできる範囲でお許しください。
SNSで簡単に挨拶できるとしても、
やはり手書きのハガキも出したい。
自分から繋がりを断つことはしない。
書ける間は年賀状を続けていきます。
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今日もすてきな1日をお過ごしください。
地球と宇宙にありがとうございます。
愛をあなたに❤️
Have a nice time.
Take it easy.
(坂本の菊なますをお見舞に贈っていただきました)