magician

ゲストに千本松由季さんをお迎えし、お送りいたします。

ヘッダー(↓)の、天使の絵・コラージュも千本松由季さんによる創作作品とのことです。

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六本木が六本木ヒルズになる以前の、確かジュンク堂においてだったと記憶していますが、山田詠美の新刊発売記念サイン会に参加しております。
小説と写真による想像から、グラマラスで堂々とした、押しが強めのオーラを放つ御方かと思いきや、むしろ可憐な雰囲気でいらっしゃいました。
図々しく握手までお願いし、キモイですがたぶん目がハート状態でした。
当時私は二十代前半で、「バブルははじけた」とはいうもののまだまだその濃厚な香りを引きずった「女性誌」を、眼光紙背に徹するがごとく眺め回しているような女の子でした。
プワゾン!
「女性誌」に度々登場する作家・山田詠美や、下着屋を名乗るRue de Ryuオーナー龍多美子は、女優やモデル以上に私の憧れのお姉様でした。
アライア!
私自身はプワゾンやアライアっぽいルックスでは全くありませんでした。
お酒はいける口なので、高校生みたいな顔をしてジャケットを羽織り(敬意!)、開店直後のバーで一人、客が他にいないという意味でも、飲んだりしていましたが。
一二杯を平らげ30分以内には店を出る。変な女の子の客。面白いけど。

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時代と世代は移り変わっても、山田詠美にはまったことのある方ならお好みであろう次の二編が私が最初に拝見した千本松由季さんの作品でした。

かっこいい!そして酔えます。

「小説に酔う」という感覚を始めて味わったのが、山田詠美でした。
酔いを求め、山田詠美を読み尽した後は森瑤子に移りました。

千本松由季さんの掌編小説『香水と男』とショートショート『天使の骨格標本』を読み、そんな自分の読書体験を思い出しました。
また、やはり二十代の頃、今は無きプランタン銀座のギャラリーで見たベルナール ビュッフェ――黒の強く直線的な輪郭線のイメージが、わっと甦りました。
登場人物は日本人なのに、外国が舞台であるような、「パリ」のような小説だとも感じました。
パリには旅行で数日間訪れたこともあるものの、魔都「上海」と同様、私の「パリ」はほとんどが小説、エッセイ、漫画、女性誌、映画、美術作品の鑑賞等々で出来ております。

アートとファッションも千本松由季さんの小説世界に欠かせませんが、単独で「芸術」と言った場合と違い、アート、ファッションと並べてしまうと、軽薄に感じないこともありません。
しかし、ある種の重々しさや、深刻ぶり、高尚ぶり、上品ぶりを、ばっさりとなぎ倒すような美学や美意識の在り方は、千本松由季さんの作品の魅力でありましょう。
私も時には深刻ぶったり、高尚ぶったり、上品ぶったりしたくなりますが、御作品に触れ、横っ面を叩かれて目が覚めたような気持ちになったことがありました。

この千本松由季さんの美学、美意識は、濡れ場においても発揮されます。
美化されていない濡れ場というのはおそらくありませんが、美化のセンスによって上品ぶったものが下品になったり、下品ぶったものが高尚になったりやっぱり下品だったり、なんにせよヌケない濡れ場は濡れ場じゃない。
私も濡れ場を書くときは、ヌケるものをと目指しています。
苦手な方もいらっしゃると思いますが、読者としても書き手としても私にとって見どころです。
こちらの美しいはあちらの醜いかもしれず、好みの問題というべきであるかもしれませんが。
千本松由季さんの濡れ場はとっても好みです。

一推しは、短編小説『裸のイヌと男』です。

男女の恋愛小説『裸のイヌと男』
あらすじ/夕夏里(ゆかり)は中性的な魅力を持つフォトグラファー。ブライダル雑誌の撮影で新郎役のモデル、一基(かずき)に出会う。彼女は一基のヌードを、自分の性の象徴であるドーベルマンと一緒に撮り、本人に内緒でギャラリーで発表してしまう。

sexy,handsome,cool,and crazy!
「女」のイカれっぷりが爽快で、痛快です。
「酔える」を越えて「ヌケる」っっ!と感じました。
抜くモノは持っていませんが。

私にとって山田詠美は「酔える」が「ヌケない」、森瑤子もデビュー作の『情事』と『イヤリング』は「ヌケる」が、それ以外は「酔える」まで、といった感じです。
「酔える」かつ「ヌケる」と感じる千本松由季さんの作品が多数収録されたマガジン男女の恋愛小説集はこちらです。
(連発はここまでです。失礼いたしました。)

千本松由季さんのマガジンには、男女の恋愛小説集の他に、短編小説集があります。

短編小説集にはBL作品が収められていることから、千本松由季さんの小説作品はBLが基本と窺えます。
エッセイ 私の小説の書き方㊴ ゲイ小説しか書かない私が、女を書く決心をしたー!!?? 』『エッセイ 私の小説の書き方㊵ ゲイ小説を書いてる私が人生初?の男女の恋愛小説に挑戦してみて。』という記事もあり、間違いないでしょう。

男女の恋愛小説作品とBL作品では、だいぶ印象が異なります。
BL作品は、甘く、幻想的です。
中でも#紅茶のある風景 短編集はむせかえるように感じて、強く印象に残りました。
短編集その1は短編小説『割れたティーカップとショットグラス』です。

あらすじ/霞(かすみ)と樹一(きいち)は男子校の同級生だった。マッチョな男のゲイバーで編み物をしながらグラン・マニエ入りの紅茶をたしなむ童貞の霞を心配する樹一。しかし、ただの友人だったふたりに突如進展が。

その2短編小説『ソーサーの中に紅茶をいっぱいこぼしちゃって』、その3短編小説『紅茶作って熱いから冷まそうと思ってフリーザーに入れたら凍っちゃった。』と続きます。
色、味、香りのイメージが賑やかに私の中に溢れかえりました。
その様子を、私は「イメージが走る」と呼んでいて、絵画や彫刻等、美術鑑賞ではよくそうなります。
言葉によるテキストではめったにないというか、千本松由季さんの小説以外でそうなったのを思い出せないので、おそらくは初めてです。
#紅茶のある風景 短編集では、絵画が引用されているので、そのせいも考えました。
しかし、絵画の引用も見出し画像もない掌編小説『俺の不機嫌な銀色の蝶』 を拝読した際も色と光の「イメージが走った」ので、違うと思われます。
掌編小説『香水と男』とショートショート『天使の骨格標本』でも、ベルナール ビュッフェの輪郭線の「イメージが走り」ました。
千本松由季さんの小説の何かが「絵画的」なのでしょう。

さて、ここまで。
千本松由季さんのBL作品も好きだけれど、男女の恋愛小説はもっと好き。
でも、おそらく、男女の恋愛小説は千本松由季さんにとっては実験的な、一時的な作品で、今後いつまで読めるか分からない。
読めなくなったら、少し、残念かも。
(男女の恋愛小説の方がヌケるし・・・)
というのが正直な思いでした。
それを覆したのが、月刊アンソロジー『ネムキリスペクト』二月号に参加された作品、掌編小説『サタンの調べ』 でした。

BL作品ですが、一番好きな千本松由季さんの作品になりました!

「シコい」です!
「エモい」と言うところかもしれませんが、「シコい」と言わせて下さい。
シコるモノは持っていませんが。

千本松由季さん自身も掌編小説『サタンの調べ』が気に入られたようで、『エッセイ㉕ 自分で書いた小説が、ここまで馬鹿馬鹿しく気に入ってしまうこととは?』 を上げていらっしゃいます。
こちらのエッセイに寄せられた、『ネムキリスペクト』の主宰者であるムラサキさんの以下のコメントにもうんうんと頷いてしまいました。

千本松さんの本作は私も好きです。ハッピーですよね。そして飛躍があります。自分を別の場所に連れて行ってくれます。小説を書くという事はある種の憧憬で、作者は小説を通して何処にでも行けて、どんな自分にもなれます。そうした願望が小説を面白く致しますし、愛着になります。
この小説が連れて行ってくれる場所は現実のようでいて現実には無い桃源郷です。みんな正直で素直で屈託なくて。馬鹿馬鹿しくも幸福です。そうした世界で暮らしたいから、こういう小説を書く。私も同じなのでよく分かります!いつまでも浸っていたい世界観ですよね。

ムラサキさんはまた、この作品に「奇矯」があると評されていらっしゃいます。

千本松由季さんの作品の登場人物は、多かれ(女)少なかれ(男)イカれていると感じます。
そのイカれっぷりは、「奇矯」であり、読者を桃源郷へと連れていってくれる「魔法」の一つであるのでしょう。
いい加減にされやすいところですが、「魔法」は「無法」ではない、と声を大にして言いたく、『子どもに夢を与える』というnoteを書いたことがあります。
「イカれてる」とか「魔法」とかを、それっぽくしただけでそうなると考えていると感じる輩を見かけると、ペロペロなめていやがると思います。
千本松由季さんは「魔法」の使い手だと感じ、ペコペコしてしまいます。
そして、やはりBL作品の方が千本松由季さんの「魔法」は生き生きとされるのだろうと思いました。

最初こそ山田詠美や森瑤子を千本松由季さんの作品に見ていましたが、今は千本松由季さんの作品を味わい、楽しみにしております。


《 追記させていただきました 》