2022年夏アニメ感想 スプリガン
……ここに1枚のプレートがある。
高度に発達しすぎたがために滅びてしまった超古代文明の何者かが、現代の我々に警告を綴った伝言板である。
彼らは語る。「我々の遺産を悪しき者から守れ」と。
このメッセージを誠実に受け止め、超古代文明の封印を目的に活動する組織があった。そしてその組織の特殊工作員を――スプリガンと呼ぶ。
『スプリガン』の原作は1989年から1996年まで少年サンデーにて連載されていた。原作・原案はたかしげ宙、作画は皆川亮二。全11巻からなる単行本は現在累計発行部数1000万部を超える。サンデーに連載中の時から人気の高い本作は、今では「伝説の作品」として語り継がれ、人気は衰える気配を見せない。
本作が最初に映像化されたのは1998年。制作はSTUDIO4℃。監督は川崎博嗣。監修についたのは天才漫画家・大友克洋。1998年版の『スプリガン』では実験的な表現を多数試みられた作品で、その中で注目は「動くカメラワーク」。アニメは基本的に「平面の絵」の上に「平面のセル画」を載せることで成立する。ゆえにカメラは平面上にしか動くことができず、奥や手前にカメラが動くことはなかった。それを当時、活用され始めたばかりのCGを使って、自由自在に、演出家が考えた方向にカメラを動かせないか……その実験を試みて、成功した作品が1998年版『スプリガン』だった。
それから20年の時を経て再び映像化したのが、2022年度版『スプリガン』だ。制作はDavid Production(ディビッド プロダクション)。David Productionはゴンゾから独立して設立したアニメーション会社で、『はたらく細胞』や『炎炎ノ消防隊』といった代表作があるが、なんといっても『ジョジョの奇妙な冒険』のアニメシリーズだ。
監督の小林寛は『ひそねとまそたん』、『キズナイーバー』などを完成に導いた作家である。脚本の瀬古浩司は脚本家として『甲鉄城のカバネリ』『モブサイコ』など担当作品は多数だが、代表作は間違いなく『進撃の巨人』。『進撃の巨人』はアニメの脚本だけではなく、小説版も引き受けている。
こうした布陣で「新しい時代の『スプリガン』を」と制作されたのが本作である。1990年代に連載されていた原作を、基本的なストーリーを変えず、スマートフォンやドローンが登場する世界になり、兵士達が持っている武器も最新のものに変えられている。そうした変更点はあるものの、核となるストーリーとテーマだけは変更されず、ほどよく刷新されたのが2022年版『スプリガン』だ。20年前と時代観や世相は変わったが、物語としての芯は変わらない。原作終了から20年も経ったいまでも普遍性を持ち得ていることを示したアニメ作品となった。
では第1話、第2話から物語の基本的な構造を見ていこう。
冒頭5分。
この5分はプロローグとして作られている。第1話では主人公・御神苗優がある陰謀を阻止するまでが描かれ、第2話では御神苗優の学校生活が描かれる。
『007』的なオープニングアクションシーンが描かれる第1話。
第2話では御神苗優の学校生活が描かれている。数少ない御神苗優の日常描写だが、わずか5分で終了。御神苗優は平和な日常から、危険な任務の世界へ旅立ってしまう。
10分まで。
次の5分でそのエピソードにおける基本情報が語られる。第1話ではゲストキャラである山菱理恵が登場し、第2話では方舟が眠るアララト山にやってくるまでが描かれる。
第1話ではゲストキャラである山菱理恵が登場する。ゲストキャラは各エピソードのキーキャラとなる。
第2話でもゲストキャラであるメイゼル博士と助手のマーガレットが登場。スパイ映画では定番の、秘密兵器を解説する場面が入る。
第3話でも同じくゲストキャラである染井芳乃が登場する。
15分まで。
最初の10分を経過したところで、最初のバトルシーンが描かれる。バトルシーンの切っ掛けは変動があり、第1話では17分を越えたところでアクションシーンが始まる。第2話では10分からアクションが始まり、そこからおよそ10分間にわたってバトルシーンが描かれた。
第1話ではアメリカの武装部隊、さらにロシアの秘密部隊までも登場し、山菱理恵を拉致しようとする。ただ、アメリカの武装部隊はどう見ても山菱理恵を殺そうとしているようにしか見えない。シーンの迫力重視で、行動に辻褄が合ってない。
第2話ではファットマン&リトルボーイが登場する。さらに今回の助っ人キャラとしてジャン・ジャックモンドが登場し、かなり長大なアクションシーンがここで展開する。
(ちなみにファットマン&リトルボーイという名前は、ともに原子爆弾の名前。リトルボーイが広島に落とされた原爆。ファットマンが長崎に落とされた原爆)
20分。
全体が45分ほどなので、20分がちょうど中間位置。ここでクライマックスに向けた場面転換が図られる。
第1話では富士山麓のジャングルへ移動し、第2話ではマグドガル大佐がノアの方舟に入り、御神苗優とジャン・ジャックモンドが阻止する展開となる。ここからラストまでほぼ一直線。アクションが際立つシーンとなる。
第1話のクライマックスシーン。富士山麓での戦いから祭祀場での戦いまで、ほぼノンストップで展開していく。
第2話ではマグドガル大佐がノアの方舟の中に入り、それを御神苗優&ジャン・ジャックモンドの2人が阻止する展開が始まる。やはりここから最後までノンストップでアクションが展開する。
と、こんなふうにほとんど息をつく暇もなく、次から次へとアクションが展開していくのが『スプリガン』だ。物語の舞台は毎回変わり、エピソードごとにゲストキャラも変わっていく。いってしまえば『大長編ドラえもん』のような構成で、それがわずか45分ほどの間にものすごい勢いで展開していく。
私ははじまって3分で引き込まれた。はじまって3分でもう面白い。そこから45分間、ストーリーが猛スピードで滑走していって、あっという間に終わってしまう。毎回45分が一瞬に感じられる。体内時計がおかしくなるくらいの、異様な詰め込み方、待ったなしのアクションが展開していく。
物語の題材として扱われるのは、誰もが知っている伝承や都市伝説。主人公・御神苗優が身につけているアーマードマッスルスーツやナイフはオリハルコン製。ファンタジーものではお馴染みの、空想世界の鉱物・オリハルコンが登場している。第1話の舞台は富士山麓に眠る古代文明と八岐大蛇伝説。第2話はノアの方舟。これ以降も不法不死の妙薬ソーマ、水晶髑髏、ネオナチ、幾多の船を飲み込んだ幻の島……と、いってしまえばよくある設定。オカルトものでありきたりのネタばかり。下手すると通俗的に陥りやすいネタを、現代の物語の中にうまく組み込んでいる。
超古代文明のテクノロジーを「なんだかわからないもの」にせず、現代文明で可能な限り解析できるものとして作られている。現代文明は紀元前3300年前のメソポタミア文明の頃「鉄」の加工法を発見し、以来現代に至るも「鉄」を文明の中心に置いている。超古代文明はこの鉄文明よりもさらに一歩上。鉄以上の物質を採掘し、加工ができた文化だから、造形物は例えば玉を作った場合、真球度は現代の計測器では誤差が出せない精度で、硬度はダイヤモンド以上のものができる……としている。「超古代文明の産物だからなんだかわからないもの」なんてことはせず、それが現実にあるものと考え、まず前提となる科学的考証を置いて、その上にファンタジーを作る……と構造がしっかりしている。こういう作りだから、「ありきたりなオカルトネタ」ばかりなのに現実的に感じられるストーリーになっている。
その超古代文明を守る者、奪う者……この戦いが『スプリガン』の本テーマとなっている。これがなかなか複雑に作られていて、主人公・御神苗優が所属するのは「アーカム」といって、これはどうやら日本とアメリカが中心となって結成されたチームのようである。ただ構成員は日本人の御神苗優をはじめ、フランス人のジャン・ジャックモンド、中国人の朧……と人種は多様だ。
(ちなみに「アーカム」の名称はご存じラブ・クラフトの作品に出てくる架空の街から採られている)
敵となるのは、第1話ではまずCIAが敵として出てきている。そこからロシアの工作員。第5話ではネオナチが登場してくる。忘れてはならないのが、全編を通じて敵役として登場するマシンナーズ・プラトューンだ。アーカムは日本とアメリカが本拠となっているようだが、第1話、第2話とどちらもアメリカ政府が敵となって登場してくる。「アメリカだから味方」という単純な図式ではないのだ。
世界各地に伝わる伝承や都市伝説をベースにしつつ、時代の社会情勢を取り入れ、さらに近代兵器にも通じている……。いったいこの作者はどんだけ知識を持っているんだ。ただ知識を披露する場ではなく、それをエンタメの場に昇華する圧倒的力。こんな作品が面白くならないわけがない。Netflixで公開された6話まで、一気に見ても疲れは感じない。最後の最後までただひたすら楽しかった作品だった。
ただ、こんな作品にも唯一といえる欠点がある。というのも、それぞれのキャラクター達の内面が一切掘り下げられていない。
まず主人公・御神苗優の内面が掘り下げられることがない。構成が『大長編ドラえもん』に近い形式を取っているため、物語の縦軸と呼べるものがほぼない。御神苗優がどういった生い立ちで、どういった内面で、どういった動機を持って戦っているのか……。まったくわからないわけではない。第1話ではゲストキャラ山菱理恵を通じて御神苗優の少年期が語られたし、第6話では師匠ともいえるボーマンを通じて御神苗優の成長が描かれた。
ただし、それすら断片的だし、ゲストキャラクターのプロフィールについてはさらに希薄だ。第2話ジャン・ジャックモンドはとにかくスピードが速い、ライカンスロープ(狼男)である以上の設定は掘り下げられず、御神苗優に対しては厳しく接しつつも、最後にツンデレ的に「そういうところが気に入っているんだがな」とだけ語らせている。これはキャラクターを掘り下げている……というよりテンプレートに当てはめている描写に過ぎない。キャラ構築としては浅い。
第3話のゲストキャラである染井芳乃は最初から御神苗優と知り合いという設定で、どういう人物観なのか……ということは解説されない。第3話の後半に入り、実は霊を口寄せができる……というご都合主義にしか思えない設定が突如として出てくる。
他のゲストキャラについても同じく、最初から御神苗優の知り合いで、どういう出会いだったのか、どういう関係性なのかは説明されない。説明せずに、登場したらその直後からアクション展開が始まってしまうので、掘り下げられないまま。
これがこの作品における「圧縮法」だ。登場人物の紹介や説明はさておきとして、そういった「よくある展開」を省略して、一気に次の展開へ持ち込む。これを繰り返すから、次から次へと物語が展開していくように見えてしまう。これが『スプリガン』特有の、最初から最後まで急転直下という印象を作っているが、しかし弱点として「エピソードごとの深み」が現れてこない。ジャン・ジャックモンドのライカンスロープ設定にしても、染井芳乃の口寄せ設定にしても、前景となる描写がないからシーンを推し進めるためのご都合主義に見えてしまう。
それで、この弱点が『スプリガン』という作品の魅力をマイナスにしているか……というとさほどマイナスになっていないところがこの作品のすごいところ。そういう人物や世界観のことはさておきとして、徹底してエピソードを圧縮する、次々とアクションを描写する。ふとすると頭の処理が追いつかないくらいのものすごい展開が次から次へと起きる。このなんともいえないエンタメ性!
深みがないのは間違いないが、面白いは面白いのだ!
普通に考えれば、どのエピソードも1時間半くらいは必要なものを、45分に詰め込んでいる。それくらい圧縮しているからこその、このみっちり感。普通の映画なら50分目にくるような展開を、いつも22分ほどまでに押し込んでいる。1時間半くらい描けばもっと深いところまで描けば、おそらく退屈な中だるみが生まれるだろう。さて、どっちがいいか……創作における悩みどころだ。
敵キャラクターも内面が一切掘り下げられない。第1話の敵として登場するのは諸刃功一。彼はこう語る。 「我が諸刃家はかつて火の社に仕えていた杜人でね。富士火山を操り、噴火をおさめる役目を担っていた。その力の源こそが炎蛇。この富士の奥底に眠る超生命体だ。火の社は炎蛇を抑え込む鎖のようなもの。炎蛇を取り戻すことこそ諸刃家の悲願。エスヴェーエルはそのための隠れ蓑に過ぎん」
でもそこで情緒が語られるわけではない。確かに台詞の通り、諸刃功一の目的は一族がかつて持っていた炎蛇の力を取り戻すことだったのだろう。そのためにエスヴェーエルという謎機関すらも利用した。しかしそうなるまでの経緯、どういった感情でロシアの秘密結社に潜り込んだのか……といったものは一切掘り下げられない。こういうところで人物描写の弱さが出ている。
ところで余談だが、『スプリガン』は伝承や都市伝説がモチーフとして登場するが、その他にも色んなモチーフが足されている。
この諸刃功一というキャラクターを見ていて、あっと気付いたが、これは『天空の城ラピュタ』に出てくるムスカだ。ヒヒイロカネの柄に取り付けられた宝玉で操作盤に働きかけている描写は、ムスカが飛行石でラピュタの力を行使しているときの姿と一緒だ。
第4話『狂戦士』ではロボット兵器が出てくるが、そのロボット兵器は高熱のレーザーを撃ち出す能力を持っていて、そのレーザーによって床や壁が高温で溶ける描写があるのだが、またしてもあっと気付いた。こちらも元ネタは『天空の城ラピュタ』に登場するロボット兵士だ。そういえばこのロボット兵器の由来も、『天空の城ラピュタ』のロボット兵によく似ている。第4話は『天空の城ラピュタ』におけるロボット兵覚醒シーンを45分に拡大したエピソード……ともいえる。
こういう、一見すると見逃しそうな「ネタ」も大量に投入し敷き詰めているのがこの作品の魅力だ。私の気付いていない漫画・アニメネタも一杯あることだろう。
第2話「方舟」編において敵役として登場するクソガキ……じゃなくてマグドガル大佐。このキャラクターについても内面は一切掘り下げられないが、やりとりをよく聞いていると……。
優「こんな世界でもな、俺には大事な場所は友達や仲間がたくさんいるんだよ」
マグドガル「友達? 仲間? この場所にはそんなものは存在しませんよ」
優「嫌われ者のお前にはわかんねぇ話だよな!」
マグドガル「黙れ偽善者!」
おわかりいただけたであろうか。御神苗優が「友人や仲間」の話をして「嫌われ者のお前にはわかんねぇ話だよな」と言った途端、マグドガルの怒りがいきなり沸点に達している。それまで冷静に対処していたマグドガルがここでいきなり感情的になっている。感情的になって能力を使いすぎて、形勢が崩れる……という展開になっている。
ここが作中では語られない、マグドガルの内面がほのめかされているところ。ここからマグドガルがどういった生い立ちを持っていたか、推測できるように作られている。でも、まずいって「気付くか!」と言いたくなるような描写だ。色んなエピソードが圧縮されすぎて、「わかる人にしかわからない」……ように作ってしまっているのが『スプリガン』の弱点だ。
映像面について簡単に触れておこう。
キャラクターの描写は御神苗優の場合、体全体がCGで、顔のみが手書きとなっている。アクションが多い作品で、御神苗優が着ているアーマードマッスルスーツは非常に細かい線で成り立っている。これを1枚1枚手書きで描き起こすのは大変……それに、アーマードマッスルスーツを着ている姿は、ある意味「ロボットキャラ」に近いような外観になる。そういうところから、CGで描き起こしても違和感は少ないだろう……という見込みがあり、これはなかなかうまくいっている。
しかし顔だけはCGで作ると違和感になる。それに、ツンツン頭は3Dで表現しづらい。そういうところを含めて、体はCG、顔だけ手書き……という作り方になっている。
こちらのシーンでは上に着ているジャンパーまでは手書き。ジャンパーから出ている手、下半身はCGになっている。
アクションシーンとして「映える構図」はやっぱり奥から手前へと移動する動き。しかしキャラクターの立ち回りを捉える場合、こんなふうに横からの構図のほうが描きやすいしわかりやすい……というのがある。『スプリガン』では奥行きのある構図、横向きの構図を何度も使い分けながら描写される。
これだけの絵だとわかりづらいが、このカットは画面全体が動きながら、ファットマンの動きを捉えている。ファットマンが足に付いたローラーで高速移動しながら、コンテナの間をくぐり抜け、隠れている兵士を次々と発見し撃っている……という瞬間を描いている。
1998年版『スプリガン』ではCGを活用して「自由自在のカメラ移動」を実験的に制作されていたが、2022年版『スプリガン』はその発展系を見ることができる。CG時代の恩恵ともいえる見事なカット。
CG採用作品……といっても、もともとアクション描写に高いポテンシャルを持っている制作スタッフの作品。アクションシーンは「それっぽい描写」で逃げずに、足元まで見える構図で動きを捉えている。
こちらのカットでは斜面になっているところを走っている場面が描かれている。足元まで描写し、パースに合わせて足を動かす作画は難易度が高いし、さらに急斜面というシチュエーションが足されている。こんな難易度の高い描写もしっかり絵にしている。アクションを絵として描く場合に必要な能力は「空間把握能力」だ。「空間把握能力」がないと、アクションなんてほぼ何も描けない。David Productionのアニメーターが空間把握能力に長けていることがよくわかる。
こちらも足元まで描写されているカット。ただしパースについてはごまかせるように描かれている。坂道を手前方向に走りながら攻撃する……という作画難易度の高いアクション。足の動きは中割1枚か2枚のものすごいスピードで動いている。
第3話登場の染井芳乃。登場シーンも少なく、着ている服も「スーツ系」ではなくやわらかい「布」であるので、染井芳乃の動きはすべて手書きで作られている。こちらのシーンではマシンガンを撃ちつつ、画面手前に走っている瞬間が描かれている。足元までパースが引かれて、動き、移動感ともに破綻なく描写されている。CGに頼らなくてもこれくらい描ける……ということがわかる1カット。
全体を通して、とにかくも、アクション、アクション、アクション……。アクションをいかに嘘がなく、格好よく描写できるか。これに全精力を注いでいる作品だ。
ここまでに書いてきたとおり、Netflixアニメ『スプリガン』は最高に楽しい。シリーズアニメとして見ても、今期発表されたアニメの中でもクオリティ面では間違いなく一番。内容を見ると、ほとんど劇場アニメを6本一気に見た……というくらいの満足度(ただし、もしも通常の24分アニメだとした場合、12話ぶんのエピソード量になっている。実は普通にアニメシーズン1本分の尺数で作られている)。1本1本が劇場アニメとして作れるようなボリュームを45分程度の中に濃縮しているから、ものすごい勢いでお話が流れ去っていくように感じられてしまう。いまいちな作品が多いNetflixアニメの中でも大成功作品だ。
弱点もすでに書いた通り、「深み」がないこと。縦軸となる物語もなく、キャラクターの内面が掘り下げられることもない。だからこそ中だるみが一切なく、滑走するような物語展開となっているのだけど、後味として何も残らない。
前面で感じられる楽しさと、どこにも噛み応えのない浅さ……というのは物語作りにおける葛藤だ。アニメ『スプリガン』には深みがぜんぜんないけれども、しかしめちゃくちゃに楽しい作品なのだ。
さて、どっちを採るのが『スプリガン』という作品にとって相応しいのか? アニメ制作者はここで前面の楽しさのほうを採った。『スプリガン』という作品のまとめ方としては、おそらくそちらが正解だった。なぜならとにかくも楽しい作品になっているのだから。
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