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映画感想 ミッション・インポッシブル4 ゴースト・プロトコル

 今回紹介映画はトム・クルーズ主演! 『ミッション・インポッシブル/ゴースト・プロトコル』。
 ご存じトム・クルーズ主演・プロデュースの『ミッション・インポッシブル』シリーズ。そういえば3作目以降、観てなかったなぁと気付き、本作を見始めるも……あ、観たことあったわ。あーそうか、ドバイ・タワーに登るのって、4作目だったんだ。3作目だと思ってた。……と、そういうことすら忘れていたので、せっかくだから4作目から見返そう、ということになった。面白かったし。

 監督はブラッド・バード。本来はアニメーションの監督で、実写映画の監督はこれ1本のみ。
 経緯を話すと、1999年、ブラッド・バード監督作品『アイアン・ジャイアント』が公開。この作品は興行的には振るわなかったが、批評家・業界内評価は非常に高かった(スティーブン・スピルバーグも『アイアン・ジャイアント』がお気に入りで、それで『レディープレイヤー1』に登場している)。この作品を切っ掛けに、ブラッド・バードはピクサーに招かれ、作品を制作することに。
 するとその次の作品である2004年『Mrインクレディブル』で長編アカデミー賞受賞、アニー賞10部門制覇、つづく2007年『レミーのおいしいレストラン』でまたまた長編アカデミー賞とアニー賞を受賞。
 こうしたブラッド・バード快進撃の最中にトム・クルーズに声を掛けられて、本作『ミッション・インポッシブル』の監督を務めることになった……というわけだ。
 もちろん、本作『ミッション・インポッシブル4』は世界中で大絶賛。興行的にもシリーズ最大の成績を獲得し、ブラッド・バード監督の実力を広く世に知らしめることになった。


 あらすじを見ていこう。

 IMFエージェントのハナウェイはブダペストでとある人物に渡されるはずの極秘ファイルを奪う任務に就いていた。「簡単なミッション」――のはずだった。
 IMFのメンバーは首尾よく「運び屋」の人相を割り出し、バッグを奪う。しかしその直後には運び屋の仲間達が現れ、ハナウェイを追跡し始める。それをどうにか振り切って人気のないところに逃げ込んだ――がそこに女殺し屋サビーヌ・モローが現れ、ハナウェイは撃ち殺され、ファイルは奪われてしまう……。

 簡単なミッションのはずが難事件になりそうだ――そう察したIMFはモスクワ刑務所に服役中のイーサン・ハントを脱獄させ、任務に参加させる。
 コードネーム「コバルト」とは? それはかつてロシア情報局の核戦略担当者で、その正体はクレムリンに侵入し、データを盗み出さねばわからないという。
 そこでイーサン・ハントはフェデロフ将軍に変装して侵入、謎人物「コバルト」のデータを盗み出すことになった。「コバルト」と呼ばれる謎人物も間違いなくモスクワへ向かっている。彼より早くデータを盗み出す必要があった。
 イーサン・ハントは仲間達と共にクレムリン潜入を成功させるが、しかし肝心のデータはすでに盗み出された後だった。それどころか、通信に謎の人物の声が混入してくる。潜入がバレてしまい、イーサン・ハントは大慌てで脱走する。が、そこに爆破が起き、飲み込まれてしまう。


 ここまでで前半30分。
 前半30分だが、情報量がすごい。冒頭にとある「作戦」が描かれ、そこでキャラクターを立てているのにかかわらず、死亡。物語的にさっと流していいところなのだけど、ガッツリ描き込んでいる。設定作りに妥協していないことがわかる。
 イーサン・ハントの登場シーンは刑務所から。「主人公をいかに登場させるか?」はなかなか重要なポイントで、どうすればインパクトがあるのか、どうすれば印象に残るのか……。で、考案されたのはモスクワの刑務所。しかもその囚人の1人で、始まった当初はあえて誰なのかわからないような作り方をして、「石を投げている奇妙な囚人」を意味深に描写させておき、ある時「横顔」を見せて、「あ、トム・クルーズだ!」と思わせる。
 この描き方はうっかりすると主人公がいろんな場面描写に埋没してしまう恐れもあるのだが……。まあ、そこは主演がトム・クルーズだから。トム・クルーズじゃなかったら「はて? 誰が主人公だろうか?」となっていたかもしれない見せ方だったけど。

 刑務所脱走シークエンスを乗り越えて、その次はクレムリン潜入。「出た」と思ったら次は「入る」と、慌ただしい。
 荒木飛呂彦先生は、著書の中で『プラスの法則』というものを書いている。主人公の行動は、必ずプラスに向かって行かなければならない。物語の最終目標を立てて、その目標に向かって進んでいるという実感が与えられると『プラス』。そこから下がっているように感じられると『マイナス』と感じられる。読み手は『プラス』の物語を読んでいる時には快感を感じ、『マイナス』の物語を読んでいる時には不快感を感じる。
 『プラスの法則』はバトルシーンにも当てはまり、相手の行動に対していかに『プラス』を感じさせる手を打てるか。それは敵にとっても同じで、敵であっても『マイナス』の行動をさせると、読者の気持ちは萎える。敵もプラスの法則に則って、主人公を追い詰めている……という実感があると「好敵手」と感じられる。
 こうしたスパイ映画の場合、目の前に難題ミッションに対して、主人公がいかに『プラス』の行動を提示できているか……が見る側に快感を与えることができる。ただし、1つポイントがあって、主人公たちを『プラス』の行動に徹しさせすぎて難題ミッションが簡単に感じられてはいけない。簡単に達成できてしまえると、「なんだ簡単じゃないか」「警備ザルすぎないか」とガッカリした感じになる。潜入ミッションの場合は、警備員側も『プラス』に行動して行かなければならない。
 モスクワ潜入ミッションを見ると、最初の入り口のところで、警備員の男がイーサン・ハントの変装を不審がり「IDを」と声を掛けている。
 これもある種の「駆け引き」の場面。果たしてIDは通るのか、バレずに通り抜けることができるのか。
 同時進行で、スキャナーをだます機械も放り込まれるのだが、1度目はIDが通らず。そこでイーサン・ハントはとっさの機転で「やり直せ。二等兵。降格だぞ」と高圧的に叱りつけて、もう一度IDを通させる……これでやっとIDが通る。
 この辺りのやり取りは非常にうまくいっている。
(この機械をドローンで飛ばして潜入させているのだけど、どうやらクレムリンの赤の広場でドローンを飛ばすのは禁止されているらしく……まあ、そこは映画なので)

 その次は、廊下に巨大なプロジェクターを貼り込み、そのプロジェクターに精巧な廊下画像を映し出して、警備員の目をごまかす……というミッション。
 ここで、ベンジー・ダンに『マイナス』の行動をさせている。

 この瞬間。でも、この失敗は敵に悟られず……だから『マイナス』にはなっていない。ベンジー・ダンがまだ未熟であるということ、それからこのプロジェクターがどのような仕組みなのかわかるようになっていて、マイナスのようでいてマイナスになっていない。
 大事なポイントは主人公側がマイナス行動させず、相手側が主人公側を追い詰めるプラスの行動をさせなければならいということ。こういうやりとりが描かれていると「駆け引き」としての緊張感が現れてくる。
 イーサン・ハントは完璧な作戦でクレムリン潜入を達成するが……しかしデータはすでに盗み出された後だった! しかも、警備員たちの無線通信にこれみよがしな音声が入る! これでイーサン・ハントたちの潜入ミッションが失敗になってしまう。
 こうやって相手側の一刺しで主人公たちが追い詰められる。これが敵側の『プラス』の行動。これが描かれているから、緊迫感が出ている。

 さて、次のシーンに入ると、爆破に巻き込まれたイーサン・ハントが病院で目を覚ます。イーサン・ハントは件の爆破事件の犯人にされてしまう。イーサン・ハントはただちに病院から脱走をするが……。
 ところが、ここで変な「間」が生まれる。

 この場面。窓から脱走しようとしたイーサン・ハントだったが、しかし窓の外は思いがけず高所で飛び降りられず……。イーサン・ハントにしては珍しい失敗。
 はて? なんでここで変な間を作ったのだろう……。
 答えはこの刑事の顔を見せるため。刑事ではなく、正しくはロシア人諜報員だそうだが、まあそこはともかく。この男は後に登場シーンがあるため、見ている人に顔を覚えてもらうために、ここでちょっと顔を長く見せる間を置いている。
 このシーンは結局、電源ケーブルをスーッと滑り落ちていって脱出するのだけど……、うーん、あのケーブルは大人の男性1人を支えるほどの丈夫さはないと思うんだが……。まあそこを突っ込むのは野暮。

 実は引っ掛かりはその次のシーン。レオニド・ライセンカーという人物が登場する。家族を人質に取られて、テロリストに協力させられる。
 「家族を人質に取られて」……という印象的なエピソードで登場するのだけど、彼は映画の途中で死んでしまうし、その家族の安否は不明。なんだか中途半端に描かれているような感じがする。どうしてこんな描き方をしたんだろう……?


 続きのストーリーを見てみよう。  どうにか病院を脱走したイーサン・ハントは、ロシアを訪れていたIMF長官と合流する。クレムリンですれ違った謎の男は「カート・ヘンドリクス」であることが判明。過激な核戦争支持者で大学を追われ、そのままテロリストになった男だった。カート・ヘンドリクスこそがコード「コバルト」と呼ばれる謎の男の正体だった。
 カート・ヘンドリクスを追わなければ危ない……。ロシア側に知らせるべきだ。しかしそのロシアは、クレムリン爆破をアメリカの犯行と疑っていた。それもIMFの仕業ではないか……と。
 アメリカ政府はIMFを一旦切り離し、「ゴースト・プロトコル」を発令。以降はIMFメンバーは独立した組織となって、事件解決のために動くことに。
 イーサン・ハントはカート・ヘンドリクスを追うために、ドバイへ向かう。ドバイで核ミサイルの発射コードを持っているモローが現れ、コバルトの配下であるウィストロムが発射コードを買うはずだ。イーサン・ハントはそこに割り込む作戦を考えるのだった……。


 ここまでで50分。

 情報量が多く展開がスムーズなので、体感時間がものすごく短く感じられる。ほとんどの場面で状況が止まっている印象を与えず、次から次へと進行するので、ストレスを感じない。さすがにうまい作りだな……と感心するしかない。
 カート・ヘンドリクスの「核ミサイル終末論」は、なんだかずいぶん雑な理由。でもこれは、ある種の「マクガフィン」というやつなので、理由はなんだっていい。とりあえず、「この男を追跡する」……という展開にさえなればいいんだ。
(※ マクガフィン 小説や映画などのフィクション作品におけるプロット・デバイスの一つであり、登場人物への動機付けや話を進めるために用いられる作劇上の概念のこと。作中人物にとって重要でありドラマもそれをキーアイテムとして進行するが、物語の成立を目的とするならそれ自体が何であるかは重要ではなく代替可能ですらあるものを指す――Wikipedia)

 さて、いよいよ当時世界最大のビルであるブルジュ・ハリファが登場する。163階、828メートルのビルだ。

 このシーンの見所はもちろん、トム・クルーズによるビルの壁面登り。スタントなし、CGなし、本当にトム・クルーズがブルジュ・ハリファの壁面を登っている。しかも、トム・クルーズは撮影後も登り続け、とうとう828メートルの尖塔まで登ってしまったのだとか……流石だぜ、トム・クルーズ!
 ただ、このシーンにはツッコミどころがいくつかあって……。というのも「本筋」とは関係がない。
 このシーンにおける本筋は、モローとウィストロムの会合に割り込んで、ウィストロムに偽の発射コードを渡し、さらにモローとウィストロムに発信器を付けて追跡すること……。このビルの壁面登りはなんのためにやっているのかというと、ビルのセキュリティが思った以上に強力でハッキングできないから直接サーバールームに行かなければならない……という理由。
 うーん、なんか結構無理矢理に突っ込んだような感じ。
 もう一つのツッコミどころは、ビルの壁面を登っているイーサン・ハントをなぜ誰も目撃しなかったのだろうか……という謎。実際のブルジュ・ハリファは空き部屋が非常に多かった、という話があるけれども、誰も窓の外を這い上る男を目撃せず、通報もしない……というのも不思議な状況。
 それに、かなり高いビルなのだけれど、窓を開けても風が入ってこない。
 見所は見所だけど、実は「本筋」から外れている……というちょっと変なシーン。
 世界一高いビルの壁面を登ること、それ自体が目的の「主」であって、「サーバールームに侵入しなくなった」という理由は「従」の関係性になっている。トム・クルーズにビルを登らせるために無理矢理に理由をくっつけた……みたいな感じになっている。

 ただ、このシーンを入れたおかげで、その他のミッションの準備時間が圧迫され、シーン全体に緊迫感が出た、というのもある。
 それに、件の発射コード受け渡しシーンだけど……実はこのシーン、あまり面白くない。ただ計画したものが順調に進んで……というだけ。その計画を、モローが見破って……という下りはあるものの、それ以外に緊張感のある瞬間がない。
 ということは、「ビルの壁面登り」を入れたおかげで作戦内容がガタガタに崩れていき、予想つかない展開になって面白くなった、だから引き立てる効果はあった……と言える。

 ところで、本作の監督は本来アニメが専門の映画監督だ。でも正直なところ、「アニメ監督らしさ」はあまり出てこない。「アニメっぽい見せ方だな」といえなくもないのは、砂嵐のシーンの最後で、嵐がスーッと引いていく瞬間だが、それでもああいった見せ方は実写でないというわけでもない。
 それでも、「おや?」と感じられたのは上の場面。
 ウィリアム・ブラントが瞳に仕込まれたカメラで発射コードを撮影している。モローがそれを見て、不審に感じる……という場面。
 この技法を、「クレショフ効果」と呼ばれている。

 映画ファンはこの画像を見たことがあるでしょう。
 編集テクニックの1つで、まず無表情の男の顔がある。その男の後に、「棺桶に入っている女の子」の画像を入れると、男は「悲しんでいる」ように解釈される。男の画像の後に「料理」の画像を入れると、男は「空腹なのだろう」と解釈される。男の画像の後に「女の裸」の画像を入れると、男は「欲情している」と解釈される。編集テクニックの1つで、観客にどのように考えさせるか、をコントロールできる……という手法である。
 さて、このシーン、女優さんはただ「見ている」だけ。目を細めたり、ちょっと顔の角度を変えたり……というのはあるけれど、基本的にはただ「見ている」だけ。でも編集の流れで、「おや、モローは勘づいたのか?」と観客に察せられる。
 こういう見せ方は別にアニメ監督特有の見せ方ではなく、実写映画でもよく使われる。でもアニメのほうがよく使われる。なぜなら、アニメキャラクターは実写ほど表情豊かにキャラクターの顔を作ることができない。アニメキャラクターの顔はデフォルメが入っているから、実写俳優ほど表情豊かではない。そういう理由で、「クレショフ効果」的な手法は、アニメの基本ですらある。
 で、このシーンだけど、「殺し屋のモロー」は“殺し屋らしさ”を出すために終始無表情。無表情だからこそ、クレショフ効果が使われ、感情の動きが表現された。
 あまりアニメ監督らしいところがない『ミッション・インポッシブル4』だけど、無理矢理に解釈すると、「ここはアニメ監督っぽいかな」と言えなくもない。

 ドバイでのやりとりを終えて、映画は1時間20分。
 ここで一旦カート・ヘンドリクスを見失い、一行はインドへ向かうことに。ずいぶん慌ただしい。
 インドに入ってから、インドのメディア王とちょっと戯れる一幕があって、ついに映画はクライマックス……と、全体を通して見るとかなりジューシー。次から次へといろんなできごとが起きて、見飽きない。かつ映像的に面白い展開が次から次へと描かれる。とにかくも賑やかな映画だ。
 全体を通して、物語は『プラスの法則』が意識されている。主人公たちは基本的に失敗しない。しかし主人公の予想を超えた敵の行動によって計画が狂わされる……という展開が取られている。駆け引きとしての面白さがしっかり描かれて、最後の最後まで緊迫感がある。
 本作の特徴といえば、イーサン・ハントが一度も銃を使っていないこと……とよく言われる(麻酔銃は例外にして)。おそらくそれは、最初にそういう指針を立てたのではなく、「結果的にそうなった」ということなのだと思うが、しかしそれゆえに、どのシーンも一捻り二捻り……というシーンの作りになった。例えばIMF長官が殺された後、イーサン・ハントは銃撃を受けるが、銃撃で返さず死体をデコイに使って、その間に逃げている。力押しで乗り切るのではなく、何か一捻りを加える。そういった作りのほうが、「ああ、ミッション・インポッシブルらしな」という印象になる。といっても、イーサン・ハントが銃を使わなかったのは、この作品だけなんだけど。
 そうえいば『ミッション・インポッシブル』シリーズといえばマスク。これも本作では主人公側は使っていない(敵のほうが使っていた)。「定番のものはあえて使わない」……この映画ならではのオリジナルを追求して結果、本作にしかない個性が生まれていたように感じられる。

 とにかくも、まず「楽しい」と言える一作。すでに10年前の映画だけど、今でも充分見応えある。ぜんぜん古びていないアクション映画の秀作である。


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