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6月10日 『T.Pぼん』にダメ出しをしたい

 Netflixアニメ『T.Pぼん』。原作は1978年から1986年にかけて藤子不二雄名義で発表された作品。原作は第1部、第2部まで連載で描かれたが、残念ながら第3部の途中で原作者死去のために未完となった。予期せぬ作者の死亡だったために、長らく単行本に全話収録もされていなかったが、2012年発売の『藤子・F・不二雄大全集』で全話収録されている。

 実は過去にアニメ化されており、1989年に日本テレビ系にて2時間特別枠で『藤子・F・不二雄アニメスペシャル SFアドベンチャー T.Pぼん』というタイトルで放送された。制作はスタジオぎゃろっぷ。監督は湯山邦彦。後にアニメ『ポケットモンスター』シリーズで総監督を務めることになる作家だ。
 おぼろげながら、私もこの時の放送を見た記憶がある。2時間スペシャル1回で終わるのはもったいないくらいに面白かった……という印象がある。もしかすると、同じように思った少年少女が、大人になって『T.Pぼん』の企画をこの時代に出した……という流れかも知れない。
 新たに制作されたNetflixアニメ版はボンズ制作。監督は安藤真裕。アニメーターとして長いキャリアを持つクリエイターで、ProductionIG、ボンズ、PAWORKSといったアニメスタジオを拠点として、かなりがっつりしたアニメの原画を担当している。監督としては『花咲くいろは』『赤髪の白雪姫』『天狼 Sirius the Jaeger』などがある。
 藤子・F・不二雄作品の中でも、「幻の名作」と呼ばれる『T.Pぼん』。この作品が現代に復活したことを喜びたい。

 その内容についてだが――……。
 2024年版『T.Pぼん』は面白い。きとんと作られている。しかし見ているといろいろと引っ掛かるところがある。今のままでも問題はないのだが……もしも私がこの作品のプロデューサーだった場合、脚本段階で「練り直せ」と指示を出す。ではどこが引っかかりだったのか、細かく挙げていこう。

 まず第1話プロローグシーンから。並平ぼんが時計を見ていると、時計が急速に回転を始める。
 何かしらの異変が起きた。奇怪な現象が起きて、視聴者を惹きつける場面だが……。
 なぜこんな現象が起きたのか? それはリームがタイムボートを暴走させたから、という理由が後に説明されるが、しかしこういう現象は後のシーンでは描写されていない。するとこのシーンだけがどうしても全体から浮き上がってしまう。タイムボートを使ったら、周囲の環境にどんな影響を与えるのか……という興味深い描写ではあるのだが、なぜその現象を並平ぼんが観測できたのか? これも、この近辺でタイムボートをうっかり暴走させてしまったから……ですべて説明できるけれど、するとあまりにも「うっかり」が重なりすぎている。これではあまりにもリームが間抜け……。
 ここは、「なぜタイムボートが暴走してしまったのか?」もう一段階“理由”があってほしい。現状だと引っかかりになってしまう理由の第1に、話が出来すぎ。ご都合主義的になりすぎている。第2に、このうまい解決法を見つければ、物語全体を貫く縦軸の構造になり得る。物語に深みを与えるチャンスだったかも知れないのに、作り手はそこを見逃してしまっている。

 公園へ行くと、東屋の屋根に女の子が引っ掛かっている。
 要するに「落ちもの」を示唆したシャレ。
 これも「タイムボートをうっかり暴走させたから……」という描写なのだが、引っかかりはロケーション。こんなところに引っ掛かっていたら、ありとあらゆる人に目撃されちゃうでしょ。日常的な半径でありながら、主人公とヒロインでしかあり得ない、絵になる特別なロケーションがこういう場面には必要。

 要するにこういうシーン。

 続いて、友人の白石鉄男を転落させてしまうシーン。事故を起こしてしまった……それはいいのだけど、転落事故はどうなんだろうか? 作劇を見ると、この場面だけ妙に浮き上がっているというか、はみ出しているというか……どこか相応しい感じがしない。
 その後、リームが駆けつけて、時間を巻き戻しする。この「巻き戻し」も作中ではほとんどやらなかったものなのに、ここで使うのはどうなんだろうか? さらにこの後、時間が巻き戻されたことを並平ぼんが観測している……ということになっている。ここで並平ぼんが、時間の巻き戻しを観測できている……ということに理由付けがされていない。「並平ぼんが時間の変化を観測できる人間だった」ということに理由付けができていれば、後々面白い展開を始めるための布石になったかも知れないのに、やはり作り手は見逃してしまっている。

 その後、千年杉の切り株の側で、並平ぼんはたまたまタイムボートを発見し、1000年前の過去へ転移してしまう。ご都合主義もここまでくると「ちょっと待て」となる。ここも並平ぼんが、何かしらの特異点的存在……という設定を持たせたほうがいい。

 キャラクターについての引っかかりはブヨヨン。もうちょっとどうにかならなかったのか。現代的な密度を持った風景描写と、ブヨヨンのキャラクターが合っていない。ブヨヨンというキャラクターがいてもいいのだが、もうちょっとくっきりとした像を持たせた方がいい。原作を尊重したのかも知れないが、キャラクターとして浮いてしまっている。

 次は個々のエピソードを掘り下げていこう。

 第2話。山田ハナ71歳は、戦地に行った“息子”の帰りを待っている……というが。
 71歳? 孫ではなく息子? この時代は結婚と出産は早かったはず……。晩婚だったとしても、息子は40歳前後……。

 こちらがハナばあちゃんの“息子”だが……。いやいや、“孫”でしょ。息子というにはちょっと無理がある。

 第3話の引っかかりはこの人。この人は時空犯罪者で、王墓の財宝を狙って過去の時代にやってきたが、タイムマシンが故障してしまい、この時代に取り残されてしまった……というが。
 時空犯罪者の登場は良い。主人公がタイムパトロールであれば、それに対応する悪役として時空犯罪者がいるべきだろう。問題なのは、この犯罪者が物語上のプロットになんの影響も与えていないこと。いても、いなくてもいい。この男を登場させるために、無理矢理に盗賊達に捕まる……という展開を作っている。展開が無理矢理な上に、最後に「実は時空犯罪者だった」と言われても、驚きがない。途中、この時空犯罪者が何か計画している……と示唆する場面があるが、それに対応する場面が存在しない。展開や描写に意味づけができていない。
 それに時空犯罪者をこの時点で登場させるならば、この後の展開に向けた“予兆”として機能させるべきではなかったのか?

 第9話に時空犯罪者が再び登場する。
 時空犯罪者が出てくること自体はいい。引っかかりはここしか出てこなかったこと。どうせなら、主人公に対する宿敵な存在にすればどうだろうか。そうすれば「時空犯罪者を追う」という縦軸の物語展開ができていく。時空犯罪者……という魅力的な存在が出てきているのに、アイデアやキャラクターに広がりが出せていないのが惜しい。

 ついでなので9話の引っかかりどころを挙げると、時空犯罪者は近くに他の訪問者がいることを気付きつつ、密猟をやっている(後に「さっきのやつらか」という台詞がある)。
 いやいや、迂闊すぎるでしょ。目撃者を作ると後々厄介だし、その相手はタイムパトロールかも知れないのに。

 第5話に戻りましょう。
 第5話、魔女狩り時代のフランスへ行くと、いきなり矢で撃たれてしまう。鹿を狙った密猟者の矢が“たまたま当たってしまった”……というが、いくらなんでもご都合主義すぎるでしょう。たまたまでこんな都合のいいところに当たるものか。
 この矢による負傷で、並平ぼんとリームは行動不能になってしまうのだけど、そういう展開を作るためにしては、強引すぎる。

 第5話ではこの女の子が魔女の嫌疑をかけられてしまう……。
 この時代のヨーロッパはどうなっていたのかというと、ルネサンスが起きて新しい時代の変化が始まり、さらにキリスト教化も広がる過程だった。魔女狩りはそういう時代の端境期に起きた野蛮な現象だった。この時代のヨーロッパは、完全にキリスト教化されておらず、まだ土着的な宗教や信仰があちこちに残されていた。

 そういう時代に、村から外れた一軒家に住んでいて、先祖伝来の「薬」を作っていたこの少女はなんなのかというと、非キリスト教徒。地域に伝わる伝統の継承者であって、キリスト教徒ではない。この時代のキリスト教は、「外の世界からやってきた伝統」であって、地域に伝わる伝統文化を破壊したのがキリスト教だった。

 でもそういう宗教対立が妙にふわっとしている。森の中に住んでいて、動物がお友達……という妙にメルヘンちっくに表現されている。しかも魔女の嫌疑がかけられた切っ掛けが色恋……わかりやすいが、これは歴史物の描写としてどうなんだろうか?
 この作品に必要なのは、「抽象度を維持しつつ、密度を上げること」ではなかっただろうか。「密度を上げる」というのは「リアルに描写する」ではなく、一定抽象度を維持したまま、物語の情報量を上げる……ということ。

 だいぶ変な例を挙げるけど、例えば『日常』という作品。シュールギャグアニメということで抽象度はかなり高め。しかし背景をよくよく見ると、細かいところまで描かれており、実は結構情報量は高い。情報量を上げすぎるとバランスが崩れるから、上げすぎてもいない。このバランス感覚が心地よいから、どのシーンを見てもふんわりしているように見えて、厚みが感じられる画面になっている。
 この例は描写的な情報量だけど、物語上の情報量も操作できる。『T.Pぼん』第5話の例で言うと、抽象度は維持したまま、その時代に何があったか、どんなできごとがあったか……その情報量を上げることはできたはずだ。


 『T.Pぼん』8話を見ると、クオリティは高くないが、戦艦がここまでがっつり作り込んでいる。第5話はメルヘンちっくな捉え方なのに、こっちはやたらとディテールがしっかりしている。情報量にバラつきが大きい。

 こういうところもね。銃身に残っている弾丸をわざわざ抜いている。「情報量を上げる」というのは、こういうこと。リアリティとは質感やトーンだけの話ではなく、こういう情報量を上げることでリアリティを出すことができる。こういうのを、全体にわたってやってほしかった。

 ただ、その第8話も「?」なところがあって、この一軒家に住んでいるお婆ちゃんは、戦時中に許嫁を亡くしており、以来結婚することもなく1人で過ごしてきたという……。
 うん? ちょっと待て。学校教師ってそんなに稼げる仕事だったか? というか、結婚しているわけでもなく、子供がいるわけでもなく、これだけの広さのある一軒家を所有する理由はなんだろうか?(親から相続した……という話かも知れないけど)
 まったく駄目……とは言わないが(実は資産家の令嬢だったかも知れない)、設定を考えると不自然じゃないか?

 第8話でもう一つ気になったのは、モンペ。セーラー服にモンペ……確かにこの時代にこういう組み合わせはあったが……。モンペのサイド部分に見えてる白はなんだろうか? まさかセーラー服がチュニック丈なのか? それともパンツ?

 物語的なツッコミはここまでにして、次にキャラクターを見てみよう。
 ずーっと引っ掛かっていたのはリームというキャラクター。可愛いんだが……何者なのか最後までわからない。2056年の世界からやってきて、ミドルスクールの3年生……ということだけが明かされているが、それ以上の掘り下げがまったくない。2056年の現実世界ではどういう立場で、どういう親がいて、どういう友人がいるのか……。キャラクターとしての厚みがまったく感じられない。可愛いけど、紙に書いたハンコみたいなキャラになっている。

 並平ぼんを相棒にして、様々な事件を解決してくわけだが、しかし二人の関係はまったく深まることはない。二人の間にあるのは、友情なのか、恋愛感情なのか……そのどちらも掘り下げられない。リームは付き合いがいいらしく、こんなふうに並平ぼんを誘い出してくれるが、しかしその過程で関係性はまったく深まらない。
 これも縦軸の物語にすべきところで、活動を続けていく過程で、少しずつ結束が深まっていく……もしかしたら恋愛感情も……そういう展開にしたほうが絶対にいい。現状だと、エピソードが進んでも、二人の関係性に成長がまったく現れない。どのエピソードを見ても同じトーンになっている。二人の関係の経過を見守る必要もない。あまりにも無味乾燥なシリーズの作りにしてしまっている。

 キャラクターの引っかかりはこの二人。安川ユミ子と白木陽子の二人。
 さあ、どっちがどっちだ?
 私には“色違いキャラ”にしか見えない。書き手がうまいから、可愛いキャラになっているのだが、なんでここまでソックリなキャラクターにしちゃったのだろうか? ほぼ色違いキャラにしか見えないのだが、なぜか安川ユミ子は「みんなからの人気者」というポジションで、白木陽子はそうでもない……という扱いになっている。

 白木陽子だって可愛いだろ!!!!

 単独で出てくると、どっちなのか本当にわからなくなる。さあ、これはどっちだ?
 答えは安川ユミ子。……安川ユミ子だよな?

 最後に主人公・並平ぼんについて。並平ぼんは“驚異的なまでに平凡な少年”として描かれている。テストでもこの通り50点。
 しかしタイムパトロールとなって、教科書の内容を圧縮学習でまるごと頭の中に入れるようになっていく。すると並平ぼんはもう“平凡な少年”ではなくなっているはず。さらに様々な時代へ行き、様々な体験をするから、そのぶんの成長があるはずだが、そこがまったく描かれない。

 設定上のツッコミどころだけど、タイムボートのこの部分をカシャカシャと操作する場面がよくあるけれど……ここテキトーすぎじゃないか。未来ガジェットなんだから、ボタンを押したらホログラム立体でウインドウが現れて……というふうにしてもよかったのでは。

 タイムパトロールの存在を知ってしまった並平ぼん。しかし未来の世界において、大きな影響を与える……ということがわかったため、存在を消されないかわりに、タイムパトロールとなって活動することになる。
 第4話でどんな影響を与えるのか……が明らかにされるのだけど、あれはどうなんだろう? 内容が問題なのではなく、そのエピソードがそこで終わってしまっている。あそこで終わっちゃうと物語に厚みが生まれない。こういうところも縦軸の物語に絡ませていって、実は並平ぼんがタイムパトロールになったこと自体が未来に大きな影響を与えていた……ということにしてもよかったのではないか。

 ツッコミはここまでにしましょう。
 2024年版『T.Pぼん』は現状でも面白いといえば面白いのだけど、しかし引っ掛かるところが多すぎる。ここに挙げたところの他にも、気になるところは一杯ある。もしも私がプロデューサーだったら、「待った」をかける。もうちょっと個々のシーンやキャラクターに厚みを作りましょう。物語の縦軸を作りましょう。といっても、「大がかりな改変をせよ!」とか「予算をかけてゴージャスに!」という話ではない。「原作を無視せよ!」というわけではない。細かい引っかかりどころを見直し、穴埋めをするだけで、今のバージョンよりも確実に良くなるはず。それが見えるから、ああ惜しいな……となってしまう。
 『T.Pぼん』のアニメはすでに第2シーズンが計画されていて、それも楽しみにしているけれども……たぶん「うーん、ここはこうじゃないよな」とか言いながら見るんでしょうな。


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とらつぐみ
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