映画感想 007 24 スペクター
映画『スペクター』は『007』シリーズ24作目。公開は2015年。監督は前作に引き続きサム・メンデスが続投。「MI6存在意義とは?」それを問うた『スカイフォール』のその先を描くのが本作である。
制作費は推定2億4500万ドル。一部では「3億ドルでは?」ともいわれ、公表されていないが、『007』シリーズでもっとも予算のかかった作品だとされている。
これに対して世界興行収入は8億ドル越え。『スカイフォール』に次いでシリーズ2番目の興行収入になっている。一方評判はRotten Tomatoesによると63%の支持率。『慰めの報酬』の支持率65%よりも低い。決して悪くないが、「やや厳しい」という評価が与えられている。
では前半のストーリーを見ていこう。
冒頭の舞台はメキシコ、「死者の日(11月1日~2日)」と呼ばれるお祭りの真っ最中だ。そんな最中に、ジェームズ・ボンドはターゲットを発見する。スキアラだ。
ジェームズ・ボンドはスキアラの行方を追い、とある建物の中で交わされている密談を聞く。どうやらスタジアムで爆破テロを計画しているようだ。ジェームズ・ボンドはそれを未然に防ぐために、スキアラを殺そうとするが――。
直前で察知されてしまった。スキアラはお祭りで人々が集まる広場のまっただ中にヘリコプターを呼び寄せる。ジェームズ・ボンドもヘリコプターに乗り、その中で乱闘を繰り広げる。そのままスキアラを群衆の上に落下させて殺害する。
イギリスに戻るジェームズ・ボンドだったが、メキシコでやらかした大乱闘は新聞記事になっていた。Mが「メキシコで何をやっていた」と尋ねても、ジェームズ・ボンドは「たまたま休暇中でテロに遭遇した」とはぐらかす。
その夜、Jにアパートまで『スカイフォール』の遺留品を運ばせる。ジェームズ・ボンドはなにをやっていたのか? ジェームズ・ボンドはとあるビデオをJに見せる。それは先代Mの死後、ジェームズ・ボンドのところに贈られてきたものだった。
「私に何かあったら頼みたいの。マルコ・スキアラという男を追って。殺して。葬儀にも行って」
ジェームズ・ボンドはJに、メキシコでの密会の中で出てきた「青白い王」について調べるようにお願いをする。
その後ジェームズ・ボンドはマルコ・スキアラの葬儀に出席をする。未亡人のルチアを気にしてその自宅へ行くと、ルチアはまさしく殺されるところだった。夫の死によって、ルチアも死の宣告を受けていた。
ジェームズ・ボンドはルチアを救い出し、仮初めの関係を築くと、今夜0時にカルデンツァ宮殿で夫の後継者が選ばれることを聞き出す。
ここまでのお話が35分くらい。
まず冒頭のメキシコシティで開催される「死者の日」。死者を偲び、死者について語り合うためのお祭りとされている。日本の「お盆」に思想が近いかもしれないが、メキシコの「死者の日」はもっと陽気に死んでいった人達にお祝いをして、そのことで生命の喜びを分かち合おうということを主題としている。
映画は「本当の死者の日」ではなく、映画用にお祭りで使用した大道具を用意し大群衆を集めて再現したものだろう。それを5分に及ぶ長回しで描いてみせるという、なかなか大がかりなことをやっている。
「死者の日」はみんな死者にまつわるコスプレをしているので、衣装は「白」「黒」で埋め尽くされている。黒い衣装を着た行列の中に、白のタキシードを着たターゲットが列に逆らうように登場してくる。この白い男を追いかけていくと、黒の骸骨コスプレをしたジェームズ・ボンドが出てくる。登場人物の際立たせ方、視線の誘導が非常にうまい。
ではなんで冒頭に「死者の日」というバカみたいにお金のかかるお祭りを描いたのか、というと死者にまつわるお話だから。かつて映画の中で死んでいった人達についてもう一度語る映画だし、今度の宿敵は「死んだはず」の人だから。映画の冒頭に「死人は生きている」というメッセージが出てくるので、死者にまつわる映画が本作の主題である、ということがわかる。
ジェームズ・ボンドはこのメキシコで計画されていたスタジアム爆破テロを未然に防ぐ。このテロはなんだったのか?
だいぶ後のシーンになるが、東京で「ナインズ・アイ(9つの目)委員会」なるものが開催される。この委員会で世界の諜報機関が入手した情報を共有しましょう……ということになるが……。しかしこのシーンでは、南アフリカが「否決」したために、会議はまとまらず終了になる。
その後、南アフリカで爆弾テロが起きる。それから一転して、南アフリカは合議に「賛成」するようになり、「諜報機関の情報共有」が決定される。
このナインズ・アイの背後にいるのが、今回の宿敵“スペクター”総帥フランツ・オーベルハウザー。ナインズ・アイで得た情報が、そのままフランツ・オーベルハウザーとスペクターのもとに流れるという仕組み。南アフリカは反対したから、爆破テロで脅しを掛けられたわけだね。メキシコの爆破テロも、同じ理由に基づく脅迫だった。メキシコでのテロは未然に防がれたが、計画されていたこと自体が政府の心を折るくらいのインパクトはあったらしく、メキシコも会議で賛成している。
このスペクターの動きを事前に察知し、死ぬ前にヒントを残していたのは、Mの慧眼だった。
ジェームズ・ボンドはCことマックス・デンビーが何か怪しい……と睨んでいて、新任Mにもいま調査している内容を告げずに(MI6に情報を上げると、悪の組織に知れ渡るらしい……ということを察知していたので、Qに行方を追わないように、とお願いもする)、単独でローマへ行く。
そのローマで登場してくる未亡人ルチアはなんとモニカ・ベルッチ! 本作公開時は51歳ですよ。信じられないくらい美しい。全裸にはならないものの(レーティングのせいか!)、肌を見せてくれるが、まだ若々しい。相変わらずすごい女優だ。
ルチアとのセックスシーンの後、情事の最中に得た情報を元にカルデンツァ宮殿へ行く。そこではスペクターたち幹部が集まり、会議をしているのだった……。
ああ、昔の映画でよく見た「世界征服を企む犯罪組織」の「悪の幹部」が「ボス」に対して犯罪報告するシーンだ。まさか今の時代にこんな懐かしいシーンが見られるとは思わなかった。昔の映画で描かれたような「あのシーン」が現代にアップデートされるとこんな感じなんだ……。
前作『スカイフォール』で「007とは何なのか」という問いかけをした後、何を描くのかと思ったら、まさかの先祖返り。「結局『007』ってこれだろ」……ということなのだろうか。
それでスペクターとは何なのか? というとダニエル・グレイグ版ジェームズ・ボンドに登場した悪党は実はみんなスペクターの幹部だった……ということが明らかにされる。『カジノ・ロワイヤル』『慰めの報酬』『スカイフォール』……その全てに登場した悪党、事件が本作の中で総括されていく。
これまでに制作されたダニエル・グレイグ版ジェームズ・ボンドを総括する! ……という試みは「おお!」という感じだったのだが……。何が引っ掛かるかというと、その大ボスことフランツ・オーベルハウザー。シルエットが小さい。しかも声が小さい。マイクに顔を近付けないと、声が拾えないくらい小さい。
映像で逆光が与えられて存在感を出しているけど、その本人に存在感がまったくない。「世界征服を企む悪の犯罪組織」の総帥としてのオーラがない。間もなく顔が出てくるけど、ふつーのオジさん。
えー……この人が……。
こんな人に対して悪の幹部達が緊張しているかのような演技が入るのだけど、その緊張感を背負うほどの存在感が役者にない。なんでこんな小さいオジさんに、悪の幹部達が従っているのだろうか……と不思議しかない。その辺の部下に逆襲されて殺されそうな感じがしてしまう。
このスペクターの総帥フランツ・オーベルハウザーとは何者なのか?
ジェームズ・ボンドは両親が死んだ後、とある家庭に引き取られることになる。それがフランツの家庭。ジェームズ・ボンドとフランツは一時兄弟のような関係で育った。
そういうわけで、本作もジェームズ・ボンドとフランツ・オーベルハウザーは「鏡面」の関係にある。「ジェームズ・ボンドはもしかしたら悪の総帥になっていたかも知れない」……それがフランツ・オーベルハウザーだ。
今回のヒロインであるマドレーヌ・スワンは酔っ払った時に「ボンドが2人に見える」と言う。これも「フランツがジェームズ・ボンドの影」ということを示唆した台詞。ジェームズ・ボンドは前作とは違う意味で、自分自身と向き合うためにフランツとの戦いに向かって行く……。
という今回の構造だけど、この構造が見えづらい。
前作は「廃墟の島」や「ジェームズ・ボンドの生家」などが登場し、ジェームズ・ボンドは自身の影と向き合う一方、自身の起源と精神の有り様とは、というところまで掘り下げ、テーマを鮮明にさせていったのだが、今作はその構図が見えづらい。
後半に入り、隕石で作られたクレーターが舞台となって、この惑星が構築された起源のお話が、要するに「ジェームズ・ボンドとフランツの起源」になぞらえて語られるのだけど、お話がさすがに抽象的でわかりづらい。
このクレーターでできた建築物のところへ行くシーン、悪の総帥に会いに行くのに車で迎えられ、銃を引き渡し、その後掴まってしまって拷問を受ける……という展開になるのだが……。
どうにもわざとらしい。
この拷問シーンをQからもらった腕時計で切り抜けるのだけど、これも「そうなるんだろうな」とあらかじめ予感させるもの。そういう展開にさせるために、舞台やアイテムが用意されている、という感じがして、どれもわざとらしく感じてしまう。こういう展開を「段取り芝居」というのだけど、ものの見事にこれにハマってしまっている。そういうシーンを作るための段取りをみんなでやっている……というわざとらしさが出てしまっている。
最後にはクレーター施設が大爆発。このシーンは大量の爆薬が使われ、「映画史上最大の爆破シーン」としてギネス世界記録に認定されている。しかしなんで爆発が起きたのか……。あの中をフランツ・オーベルハウザーはどうやって生きのびたのか……。シーンの流れに納得感がない。
クライマックスは旧MI6本部。フランツが旧MI6本部でジェームズ・ボンドを罠に掛けようと待ち構えている。これはフランツがMI6をすでに掌握しているんだ、という姿を見せるためのもの。
この中にやたらと大がかりな爆弾がセットされているのだけど……。わざわざ作ったのか、となんだか呆れてしまう。それで、ジェームズ・ボンドは相手が指示された通りの順路に誘導されていくし、最後にはなぜかセットされていたネットの上に飛び降りて助かる。
その次はフランツが乗るヘリコプターをハンドガンで撃ち落とすのだが……。さすがにそうはならないだろう。クライマックスシーンに持っていくための、強引な展開に見えてしまう。こういう場面こそ、Qから「特別な銃です」と秘密兵器を渡しておくべきだった。
こんな感じに『スペクター』は全体を通して無理矢理感が出てしまっている。
悪の総帥フランツ・オーベルハウザーの存在感の弱さ。なぜあんな小さなオジさんが悪の総帥やっているのか、という納得感に欠ける。
シーンの持って行き方も、「そういうシーン」を作るために、それぞれのキャラクターたちが段取りっぽく動いてしまっている。それがわざとらしく見えてしまう。わざとらしく見えるから、アクションシーンを見てもハラハラ感が薄い。
さらにテーマが見えづらい。フランツはジェームズ・ボンドの「影」で、結局のところジェームズ・ボンドは自身と向き合っていく……というテーマが流れているのだけど、そのテーマを示すためのエピソードが少ない。語られているけれど、本編ストーリーの陰に隠れがちになってしまっている。
問題なのは、このテーマに情緒が感じられるかどうか。ジェームズ・ボンドとフランツの関係性にどれだけの感情が感じられるか、あるいは感動できるか……。物語の中心はジェームズ・ボンドとフランツに集約されていなければならないのだけど、この関係性に感動できない。なぜ感動できないかというと、フランツがジェームズ・ボンドを心情的に追い詰めてないから。見ている側を不安にさせていない。不安感がないから、解放感もない。
そのうえに、やたらと尺が長い。2時間28分。テーマや感情の経緯が見えないまま2時間越えの尺だから、ぼんやり見てしまう。
前作『スカイフォール』の大ヒットの後、予定になかった1本を大急ぎで作った作品なのではないだろうか……という気がする(そうはいっても間に3年もあったのだが)。お話の組み立て自体は非常に良い。悪の組織「スペクター」が出てきて、これまでのストーリーが総括されていく。しかもその悪の総帥がジェームズ・ボンドの影のような存在で……。
面白くなりそうなのに、どうにも全体が薄らしている。テーマが深まっていかない。監督や脚本が前作と同じなので、充分にポテンシャルを発揮できなかったのは、何かしらあったのだろう。サム・メンデスのような優れた才能を持った監督がこんな薄い映画を撮るわけがないので、うまくいかない要因が別にあったのかもしれない。
本作を最後に、ダニエル・グレッグ=ジェームズ・ボンドは引退。この映画がダニエル・グレッグ版『007』最後になると思われたが……どうやらもう1本あるらしい。
大丈夫なのだろうか?