映画感想 インシディアス 2章
やっぱりホラーはお屋敷だよねー!
『インシディアス』シリーズ第2作目。制作・公開は2013年。製作はみんな大好きブラムハウス・プロダクション。監督は信頼のジェームズ・ワン。脚本はリー・ワネル。音楽はジョセフ・ビシャラ。1作目のメインスタッフは全員集まっている。出演者も1作目と同じメンバーが集まった。
前作が2010年公開で、今作は2013年。この間に『死霊館』シリーズもスタートしている。前作は大ヒットではなかったものの、制作費たった150万ドルで9700万ドルも稼いだので、すぐに続編のGOサインが出た。ところが映画会社はジェームズ・ワン&リー・ワネルを抜きで続編を制作しようとした。それに強行に反発したのがプロデューサーのジェイソン・ブラム。映画会社は「ジェームズ・ワンは抜きで」、プロデューサーは「ジェームズ・ワンは絶対必要」の押し問答が数年繰り返され、3年経ってやっと制作にこぎ着けられた……というのが本作。前作の大成功の後、すぐに続編が制作されなかったのはそういう事情のようだ。
本作の制作費は500万ドルと相変わらずお安い。主要な舞台が3つほどしかなく、出演者も10人以下なので、予算は安い。それでも収益は最終的に1億6100万ドルにもなり、前作以上の大成功となった。公開初週に4027万ドルも稼いだので、1週間で余裕の黒字だった。
ただし評価は芳しくなく、映画批評集積サイトRotten Tomatoesによれば批評家支持率39%。平均点は4.8。かなり残念な評価となっている。
どうして残念な評価になったのか……それを込みで見ていこう。
まず前半のストーリーから。
お話しはジョシュの子供時代。1986年、その頃のジョシュは夜ごとに見る奇妙な夢に悩まされていた。そこでやって来たのがエリーズとカールだった。
エリーズはジョシュを催眠状態において、経過を観察する。ジョシュの声に導かれて部屋の中を探ると……突然何者かがエリーズの腕をひっかいた。
ジョシュにつきまとっている“何者か”は“友人”ではない。“悪霊”だ。ジョシュの体を乗っ取ろうとしている。今すぐにジョシュの記憶を封じて、「幽体離脱」の能力も封じなければ……。
とやりとりしている最中、ジョシュが立ち上がり、虚空に向かってこう言った。「案内するよ」。ジョシュは夢遊病状態で廊下に出て、指をさすのだった。するとドアがひとりでに開き始める……。
現在。
霊能者のエリーズがランバート家のソファに座ったまま死亡した。警察がやってきて調査が始まり、ジョシュが容疑者になってしまう。
ランバート家はジョシュの実家に移って、日々を過ごすのだった。
悪霊が祓われ、平和が訪れた……と思われたが、夜になると家中に奇妙な気配が漂う。誰もいない音楽室のピアノが鳴り始め、玩具が勝手に動き出す。赤ちゃんの泣き声して部屋へ飛び込むと、赤ちゃんがベビーベッドの外で寝ていた。
まだ終わってなかった。悪霊は一家についてきて、この屋敷にやってきていたのだった。
一方、スペックス&タッカーはエリーズの家へやってきていた。これまでたくさんの死者を見てきたから、エリーズの死も乗り越えられると思っていたが……2人の精神的ダメージは大きい。
エリーズの家でしばらくくつろいでいると、書斎の扉がひとりでに開き始める。あの扉には鍵がかかっていたはず……。扉の向こうへ行き、階段を下りていく。真っ暗な部屋へ入っていくと、たくさんのビデオテープの山を見付ける。スペックスはそのうちの一つに目を留める。そのビデオテープには「1986年 ジョシュ・ランバート」と書かれていた。
ここまでで25分。
今作ではジョシュ&ルネ夫妻が夫のほうの実家へと移ってくる。そこは堂々たる西洋屋敷造りの家で……。やっぱり幽霊ものはお屋敷に限る。
これまでの定石だと、この辺りからホラー映画のホットスポットに入っていくのだけど、今作はそれが非常に薄い。もちろん「怖がらせるためのシーン」はちゃんとあるのだけど、そういったシーン自体が少ないし、シーンの作りもあまり独創的な表現ではない。「あれ? これで終わり?」「よくある見せ方だなぁ」という感じ。それに出てくる悪霊達も、さほどたくさんではない。ほとんど白いドレスの女の悪霊1人しか出てこないので、「なぁんだ」という感じもある。
なるほど、この辺りが評価が伸びなかった理由か……と推測できる。期待したものがなかった……というのが難点の一つ。
この先の展開はどうなるのかというと、「悪霊の正体は何者なのか」それを探求していく物語になっていく。
ここからはネタバレ全開で話をしていこう。
悪霊が家の中にいると察知したロレインが、エリーズの家へ行き、そこでスペックス&タッカーとカールと合流する。
(カールを見て、『序章』に出てきたエリーズの謎の友人は彼だったのか……! と気付く。やはり順番通り見なくちゃわからなくなる)
まず霊体になったエリーズと交信し、病院「天使のマリア」へ行けという指示を受ける。マリア様は天使じゃないよな……というツッコミはさておき、その病院はロレインが若い頃に勤めていた場所だった。
ロレインが女医だった頃、病院に少年のジョシュを連れてきて奇妙な体験をしたことがあった。
ジョシュと一緒に集中治療室の患者パーカー・クレインの側へ近付くと、昏睡状態だったパーカーが突如起きだし、ジョシュに襲いかかる……という事件があった。
(この回想シーン、女医だったロレインがハイヒールで病院内を歩いている。ハイヒールはないだろ……)
それから数日後、ロレインはエレベーター内でパーカーと一緒になる。「パーカーさん、まだ病室を起きてはいけないわ」と声をかけるが、パーカーは何も答えない。1階でロレインはエレベーターを降りて、受付へ行き「104号室の患者が歩いているわ」と報告するが、受付の女性は動揺して「その患者は数日前に亡くなったわ」と答えるのだった。
ようするに、すでに死亡しているパーカーが霊体となって病院を離れていった……。そこにロレインが偶然遭遇した……という場面だった。
その後、パーカー・クレインの家を探索する展開となる。
パーカーの家も、廃墟になっているが元お屋敷だ。やっぱり幽霊ものは洋館に限る!
その家の中で、パーカーは毒親から少年パーカーではなく、少女マリリンとして育てられていたことを突き止める。パーカー自身は“男”という性自認だったが、母親は無理矢理「マリリン」という女性人格としてパーカーを育てていた。
やがてパーカーはやがて母親に染まり、女装して、母親に命じられるままに犯行を重ねるようになっていった。『序章』『第1章』に出てきた黒い花嫁衣装の老婆の正体はパーカーであった。
パーカーは母親に命じられて、女装した姿で女を誘拐し、殺害していた。死体は隠し部屋に移されて、その隠し部屋にはベンチがずらっと並んでいて、そこに女の死体が並べて座らされていた。
死体は死後けっこうな時間が経っているのにもかかわらず、死斑が出ているだけで腐敗もせず、ミイラ化もしていない。たぶん殺した後、何かしらの処理が施されて、屍蝋状態になっていたのだろう。
ただあの毒親がどうしてこんな奇妙な行為を息子にさせていたのか、それは謎のままあった。
とにかくもパーカーは母親に命じられて凶行を重ねていたのだけど、心の奥では母親に反抗していた。こんなことはやりたくなかったし、母親のせいで歪みきった少年時代を取り戻したいと思っていた。おそらくはパーカーの人格は2つに分裂していたのだろう。
パーカーが女装して女を誘拐していた事件は“黒衣の花嫁事件”として一度は表沙汰になったが、しかし警察の捜査の手がパーカーに及ぶことはなかったらしい。パーカーはこの事件で警察に掴まることなく、そのまま月日は流れて老人となり、ある日自分のペニスを切り落とそうとして、緊急入院する。そこで病院を訪れていたジョシュに狙いを定めて襲いかかる。自分の少年時代を取り戻すために、ジョシュの体に乗っ取ろうとしたのだ。それ以来、ジョシュの周囲にパーカーの悪霊が出没するようになる。
それで第1作目のラストシーン、黒衣の花嫁こと女装パーカーはジョシュの体を乗っ取った。ジョシュの魂は最初から肉体の外にいて、ジョシュ自身の中にはパーカーがいた……という状態で第2作目がスタートしている。
映画がはじまって25分から60分まで、ジョシュに取り憑いた謎の悪霊が何者か? というお話しが展開していく。脚本としてはかなりしっかり作っている。ジェームズ・ワンは『死霊館』の経験からただ怖がらせるシーンを並べるだけではなく、実のあるシナリオを作り出そうとした。
ところが――困ったことにこれがあまり面白くない。評価があまり芳しくない理由は、主にこの展開があまり面白くなっていないことにあるんじゃないか……。
アクション映画もホラー映画も構成に似たようなところがあって、アクション映画も最初の20分から30分ほどの間で設定解説をやって、その後、エンタメ映画としてのホットスポットに入っていく。たいていのアクション映画で楽しいのは前半25分から50分ほどの間。ここが作り手にとって「フリースタイル」の場なので、かなり自由にアクションシーンを展開させることができる。
(ほとんどのアクション映画を注意深く観ていれば気付くが、前半に展開されるアクションシーンは物語の展開上、特に意味がない。そのアクションシーンがなくても物語は成立する。しかしそこでどんな面白いアクションを展開させられるかで、映画の評価は決まっていく)
ホラー映画も同じで、25分から50分ほどの間で見せ場が作られていき、その後、結末へ向かって動き出す。この前半部分はエンタメ映画として大事なポイントで、ここでいかに楽しませられるか、で評価は決まっていく。
ところが本作の場合、ここをちゃんと実のあるストーリーで埋められてしまった。理想を言えばシナリオ進行と恐怖演出が両立していれば良いのだが、なかなかそういうわけにはいかない。
「物語とドラマは定義が異なる」……そこそこの映画好きであればこういう言葉は聞いたことがあるだろう。「物語」というのは、その世界観になにがあるのか、どういった経緯なのかを解説する場面。「ドラマ」というのは見せ場。アクション映画ならアクションシーン、ホラー映画なら恐怖描写、コメディ映画ならギャグシーン、エロ映画なら濡れ場。物語とドラマというのは、実は同時進行ができないものなのだ。
映画において、作り手が見せたいもの、というのはもちろん「ドラマ」の部分。しかしドラマの部分だけをポンと置いても、その見せ場を最大限効果が発揮されるわけではない。どういった経緯があるのか、その前提を解説するのが「物語」。物語がきっちりしていないと、ドラマをどんなに頑張っても魅力を発揮することはない。
VFXにこだわった大作映画がどうして失敗するのかは、この物語にかかっている。どんなにものすごいシーンがあったとしても、その前提となる物語がしっかりしていないと、それが最大の効果を発揮することはない。逆に物語がしっかりしてさえいれば、こだわったシーンが生き生きと輝き出す。物語はドラマを殺すこともあるし、うまくいけばブーストをかけてくれることもある。実は大したシーンでなくても、物語がさえしっかりしていればドラマが強烈に輝くことさえある。
という話で本作『インシディアス 第2章』を見ると、本来「怖いシーン」で押していくべきところを「物語」で固めてしまった。ジョシュに取り憑いた悪霊が何者なのか。それを追求するストーリーが展開していく。
この間「ホラー映画としての描写」はどうしても薄くなりやすい。ロレインとスペックス&タッカーが調査をしている間、家に残されているルネが恐怖体験をし続ける。そこでちゃんとサービスとしての恐怖シーンはしっかり用意されている。
この恐怖シーンが問題で、たいして怖くないんだ。というのも表現がありきたり。ホラー映画の醍醐味は「トリック撮影」にある……というのが私の考え方。ちょっとした一工夫でどうやって新規な奇妙さを表現できるのか。それをうまく表現できていれば、より新鮮な怖さを感じさせることができる(ここでCGにはあまり頼らないほうが良い。アナログ撮影でできないことをやっても、どういうわけかあまり驚きに繋がらない)。
そのトリック撮影がうまくいっているか……というとこの映画の場合、あまり良くない。どの表現もどこかの映画で見たな……という感じ。この映画ならではの新しさがない。
どこかロレインとスペックス&タッカーの調査シーンの間を埋める軽めのサービスシーン……そんな程度のものに感じられてしまう。調査シーンのほうにウエイトを置きすぎて、恐怖シーンの開拓を怠ってしまった……そんなふうに感じられてしまう。
すると物語自体が面白ければ良い。ホラー映画であるから物語自体が怖くあればいいのだが……。ここは意外とうまくいっていて、パーカー・クレインを巡るお話しはかなり不気味だとは思うのだけど、なんとなく薄くなってしまっているのが残念なところ。悪くはないのだけど、それ以上にはなっていない。
何が悪かったんだろう……。どうして物語が薄味に感じられたのだろう。確かに薄く感じられたけれど、それがなぜなのかはわからない。
この辺りが本作の評価が低かった理由だと考えられる。
25分から60分までの調査シーンを乗り越えて、映画はクライマックスへと進行する。ジョシュの体内に悪霊が入っていることを突き止めたロレインが、実家に戻ってルネに報告する。
後半の見せ場は、心霊ホラーとしての見せ方ではなく、悪霊に取り憑かれたジョシュの暴れっぷり。要するに『シャイニング』のジャック・ニコルソン。ジョシュ役のパトリック・ウィルソンの芝居にはかなり力が入っているし、エンタメとしてもしっかりした見せ場になっているのだが……。しかし思った以上にブーストがかかってないのは、ここまでの物語で勢いが出てないから。
全体を通して見ても悪くないホラーだとは思うが、しかしそこまで驚くような作品でもないのも確か。前作の謎めいたシーンに理屈を与えてみたけども、思った以上にドラマティックなものは出てこなかった、という感じだろうか。
ところでこのシリーズを『序章』から見始めて、あの花嫁衣装の老婆はエリーズに取り憑いているのだと思っていたが、実はジョシュに取り憑いていたんだな……。