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追記 エンタメで考える場合。

一つ手前

 脚本制作作法として、やってはいけないことの一つとして、

「間抜けなキャラクターは描くな」

 というものがある。
 間抜けなキャラクターによる行動は、見ている側を苛つかせるし、物語を停滞させる悪因にもなる。

 今回の話に紐付けて考えると、視聴者・読者は「客観的視点」で物語を見ているから……ということが理由として挙げられる。
 視聴者・読者必ずしも登場人物達と同じ目線で見ているわけではない。客観的な視点で物語を読んでいるから、読者は常に登場人物達が直面する問題に対して、完璧なアンサーを作り出せる。読者は安全な立場で物語に接することができるから、いくらでもベストなアンサーをシミュレーションして出すことができる。
 だから、もしも物語の登場人物が明らかに間違った回答をすると読者は苛立つ。なぜなら、読者は「合理的視点」で物語を読み、常に登場人物の行動をジャッジし続けているからだ。
 そういった理由で物語の登場人物は、普通の人より冷静で頭もよく設計していたほうが良い。登場人物の行動や決断が読者の想定を上回ったとき、読者は物語に痛快さを感じる。
(ただし、最初に提示されていた登場人物のスペックを大きく超えるような身体能力や異能を突然発揮すると、読者の気持ちは冷めるのでやってはならない)

 読者が登場人物の行動に感情移入するタイミングとは、現実的に決断の難しい問題に直面するときだ。
 よくある問いとして、「トロッコ問題」が挙げられる。
 
 線路を走っているトロッコが制御不能になってしまい、このままだと5人がトロッコに轢き殺されてしまう。
 主人公は線路の分岐器に前にいる。トロッコを分岐すれば5人は助かる。その代わりに1人が死ぬ。

 この問題が主人公自身の問題に紐付けられているとき、感情移入の度合いは大きくなる。
 主人公自身の問題というのは、分岐した先にいる1人というのが主人公の恋人だった場合。主人公は自分の恋人を救うために、5人を殺すのか? ……という問いを代入すると、より複雑になる。

 明らかにアンサーのある問いに対しては、物語の主人公は正しく答えに行き着かねばならない。そういう問いに対しては、登場人物より先んじて読者がアンサーに行き着くからだ。
 読者が容易にアンサーに行き着かない問題、明確なアンサーのない問いを突きつけたときに、読者の気持ちを惹きつけることができる。「客観的視点」で答えが出ない問いを前にし、しかもそれが主人公の問題と紐付けられているとき、読者は「感情移入」の思考で読むようになる。読者を「客観的視点」にさせないこと、より「主観的視点」に持ち込むこと。つまり登場人物の感情はどちらを選択するのか見守りたくなるような問いを、物語に与えたほうが良い。

 読者・視聴者は作者が思っている以上に物語や登場人物に感情移入しない。中には最初から感情移入してやろう、と思って見る読者もいるが、それは超少数派だ。大抵はやや“上から目線”で物語と接する。
 感情移入して見ようとするまで、時間が掛かる……ということは心得ていたほうがいいだろう。


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