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映画感想 REBEL MOON1・2

 ザック・スナイダーのオタク性炸裂映画!!

 いやー大変だった! 今回の映画は『REBEL MOON』。ザック・スナイダー監督オリジナルのNetflix映画。2024年4月に公開され、同じ年の8月には完全版が公開。
 着想は1997年頃まで遡る。ザック・スナイダーが大学生時代に構想した作品だったが、2012年ディズニーカンパニーがスター・ウォーズの権利を獲得したとき、「スターウォーズのスピンオフ」として提案していた。しかしディズニーは却下。その後、ワーナー・ブラザーズに売り込むも却下。2020年代に入り、ようやくNetflixで映画化が決定。実に20年越しのプロジェクトだった。
 公開後、Netflix視聴数1位に輝き、3日で2390万回視聴された。世界全体で7290万回視聴。
 しかし評価は芳しくない。批評集積サイトRotten tomatoのレビューを一覧で見てみよう。
パート1 スタンダード版 批評家:22%(181レビュー) 一般:56%
パート1 ディレクターズカット版 批評家:53%(19レビュー) 一般:74%
パート2 スタンダード版 批評家:16%(116レビュー) 一般:47%
パート2 ディレクターズカット版 批評家:67%(15レビュー) 一般:78%
 とにかく評価は低い! ディレクターズカット版は評価を取り戻しているが、よくよく見るとレビュー数が少なく、要するに好きな人しか見てない。パート1、パート2ともにトマトは弾けてるし、ポップコーンも倒れていて、パート2のディレクターズカット版でようやくそこそこの評価を得られた……という感じになっている。
 この評価はちょっとどうなんだろう……。Rotten tomatoのスコアが異常なほど低いが、かといって「面白くない」というわけでも「クオリティが低い」というわけではない。その逆で、それなりのクオリティには達している。なのにこの評価だから「どういうことだろう?」という疑問。とりあえず、そちらを込みで映画の内容を掘り下げてみよう。
 今回は大変だった! というのもスタンダード版4時間見た後、完全版6時間を2回視聴。ドラマシリーズを2週したような状態で疲れた。これで記事一回分にしかならないから、しんどい。

 いつものように前半のストーリーを見てみよう。


 とある辺境の惑星。そのどこかに小さな村があった。
 いよいよ春。種まきの季節だ。村人達が新しい季節を祝って、ロングハウスに集まり、祝杯を上げていた。
「聞いてくれ! この村の長の勤めとして念を押すが、豊作の神々は俺たちの敬意の印をお望みだ。捧げ物を! そして俺たちは種まきの方法を心得ている。激しく突き上げた腰と歓喜の叫び声だ! 種を元気に芽吹かせること! だから今夜は大いにやりまくれ! 収穫を願いつつやり、日々の糧に感謝しつつやれ!」
 村長のシンドリの号令で、村の若者達が一斉に騒ぎ出す。それぞれパートナーを見つけて、それぞれの場所へと消えていった。コラも周囲を見回し、手頃な男を捜す。ガンナー……いや、デンに狙いを定め、誘った。
 その夜は情熱的なひとときを過ごす。
 デンとの情事を終えた後、コラはむなしさに囚われながら、居候をしている老人の家へと帰る。コラはこの村の出身ではなく、2シーズン前にやってきた流れ者だった。村の誰にも言えない過去を背負っていた。2シーズンこの村にいて、村の人々も受け入れてくれているけれど、どうしても「よそ者」の気分は抜けない。
 私に愛される資格はない……コラはそう思っていた。

 翌朝、早くに起きて村人らとともに種まきをしていると、頭上に忌まわしい影が現れた。帝国のドレッドノートだ。
 まさか、こんな村に……。
 コラはすぐに村の鐘を突き、村人らに警告を送った。
 帝国の軍艦が来た! やつらはすべてを略奪するつもりだ!
 村人らも論争した。帝国はなにをするかわからない。しかし帝国はいい商売相手になるかも知れない。交渉して、いい条件を引き出そう……。
 間もなく帝国の軍団が下りてきた。要求はやはり「食料」だった。村長はノーブル提督を相手に、「村人が食べるぶんの食料しかない。分けられるとしても、ほんのわずかだ」と慎重に答える。
 その答えに、ノーブル提督は村人らの様子を見て、「実に健康そうだ。充分に食べているはずだ」と指摘する。本当はもっと収獲があるんだろう――そう追求し、はぐらかす村長をいきなり殺す。そのうえで、「10週間後にまた来る。1万ブッシェル用意しておけ」と捨て置いて去って行く。
 1万ブッシェルなんて……。収獲できるのは1万2000ブッシェルが限界だ。このままじゃ村が崩壊する!
 これから村はどうすればいいんだ……。崩壊を予感したコラは、こっそり村を去ろうとする。しかし帝国軍人が村の娘に乱暴をしている様子に、自分を抑えることができず、飛び出してしまった。その場にいた帝国軍人を全員虐殺する。もう後戻りはできない。戦うしかない。
 しかし自分一人と村人たちだけで戦えるわけがない。コラは仲間達を探すために、宇宙へと旅立つ。


 完全版をベースにしているけど、ここまでで1時間。主人公コラの動機が固まるまで1時間……ちょっと展開はゆっくりペースだね。
 前半のあらすじを見て気付いたと思うが、この作品、ほぼ黒澤明監督『七人の侍』。『七人の侍』SFリメイク作品だ……と言ってもいいくらい。物語のあらすじも、その後の展開も、だいたい『七人の侍』そのまんま。

 間もなくコラは様々な惑星を巡り、戦士達を集めてくるのだけど、その戦士も『七人の侍』をベースにしている。
 画像を比較しながら見てみよう。

 まず村の指揮をするタイタス将軍と島田勘兵衛。笑えるくらい風貌も似ているでしょ。「敗戦の将」という設定もそのまま。

 次はタラクと菊千代。風貌はさほど似ていないけれど、野生児のイメージは菊千代をヒントにしたのでしょう。タラクは実は王子様……という設定がある。

 ネメシスのイメージ元は久蔵でしょう。寡黙で実直な剣士だが、実は人情家……という設定が共通する。ネメシスはさらに子供好きで涙もろい……という設定も足されていて、なかなか可愛いキャラになっている。
 ところで、本作は一時「スターウォーズのスピンオフ」であった頃があった。ということはネメシスはジェダイの騎士になっていたかも知れない。

 アリスは帝国軍二等兵だったが、村の娘と恋に落ち、帝国を裏切ることになる……。村の娘と恋に落ちる、といったら岡本勝四郎だ。作品を見ている間は気にならなかったが、こうやって画像を並べると顔も似ている……。
 完全版で明かされるが、アリスも実は亡国の王子。勝四郎ももともとは旗本の息子なので、こういう設定も寄せてきている。

 実際の映画を観ると「オイオイ」と言いたくなるくらいに、『七人の侍』。しかし、そういえば最初の『スターウォーズ エピソード4』も黒澤明監督『隠し砦の三悪人』を丸パク……じゃなかった、インスパイアの作品(ストーリーは『隠し砦の三悪人』、世界観は『デューン』)。黒澤明作品を元ネタにして生まれたSFだったのだから、『REBEL MOON』も『スターウォーズ』シリーズの一つにしてしまえば面白かったのに。「スターウォーズのスピンオフ」としての『REBEL MOON』が可能性としてなくなったのは、かなり惜しい。

 黒澤明の話はさて置くとして、単独作品としての『REBEL MOON』を見ていきましょう。

 すでに書いたように『REBEL MOON』は一時『スターウォーズ』のスピンオフとして企画されていた。たぶん、その頃に一度世界観を固めたんじゃないかな。一度『スターウォーズ』のスピンオフとして制作し、その後オリジナル作品として作り直した経緯があるので、世界観は『スターウォーズ』そのもの。知らない人に「これ、スターウォーズですよ」と騙して見せても、気付かれないくらい。
 こんなふうにレーザービームを打ち合うシーンのエフェクトとサウンドは、どう見ても『スターウォーズ』

 ただし、レーザービームは独自解釈があり、「溶岩のようなものを圧縮して射出している」という設定となっている。こうやって一次停止したものを見ると、確かに溶岩。着弾すると、粘性の液体がパッと弾けるようなエフェクトが発生する。人体にヒットしたところをよく見ると、一瞬溶けているのも確認できる。こういうところで、『スターウォーズのスピンオフ』ではなく、オリジナル作品にしようとしている。

 主人公達の敵は、宇宙の全てを征服しようと邁進する帝国である。
 フィクションの世界の帝国は、とりあえず「悪い奴」と決まっています。
 この話をする前に、「なぜ戦争は起きるのか?」という話を押さえておきましょう。
 戦争は食料ないしは物資が得られなくなったときに起きます。自国領土内で生産ができなくなった場合でも、他国との健全な交易が行われている最中は、戦争が起きることは通常ありません。しかし不条理な条件を突きつけられ、食料ないし物資が得られない……という局面になったとき、戦争は起きます。
 ところがそういった要件はさて置きとして、「領土を拡大すること」そのものを是としちゃった国が歴史上ありました。それがロシア帝国。
 他国の領土を押さえておきたいのは、その地域を制圧しておいて国民の安全を図るため……のはずだったけれども、そこから一歩進んで、領土の拡大そのものを「王の務め」にしちゃった国がロシア帝国。
 まあそれも、日露戦争で負けちゃったことでミソが付いちゃったけど。

 『REBEL MOON』の帝国軍服って、第一次世界大戦時代のロシアをモデルにしているんだって。
 かといって、現実のロシアとの敵対関係を煽っているわけでもなく、たんにモチーフの一つ。「帝国と言えば……」で連想して帝政ロシアってことにしたのでしょう。

 お話しを『REBEL MOON』に戻しましょう。
 ところが帝国の王は、「そろそろ領土を拡大し続けるの、やめようか」と考え始める。領土を拡大する意味、なくない? ……戦争の非人道性に気付いてって話だけど、そもそも「戦争する意味ないんじゃ」……という気付きがあったからでしょう。戦争をやめて、植民地にしていた地域も開放しよう……と考えます。

 それに元老議員の一人、バリサリウスは反対します。「領土を拡大し続け、強い国であることが我が国の姿ではないのか!」と国民と煽り立てます。このバリサリウスの意見に、議員達も喝采を上げます。国王だけが「やべーよ、やべーよ」って顔をします。
 事実、これを切っ掛けに戦争をやめられなくなってしまう。

 なぜ国王は戦争をやめようと考えたのか? それはイサ姫が誕生したから。

 帝国には古い伝説があり、イサと呼ばれた王女が不思議な力で戦争を終結させた過去があった。イサ姫は伝説のイサ王女と同じ名前が与えられたが、どうやら伝説の王女と同じ力を持っているらしい……。
 王はイサ姫の力を知り、感銘を受け、「戦争はやめようか……」と考えるに至った。

 本作はそこまでロシア帝国をなぞっているわけではないと思うが、もしかするとイサ姫のモデルはアナスタシアかもしれない。
 アナスタシアはロマノフ王家最後の娘。1917年に革命が起き、とある家の地下で銃殺される……という最後だったが、なぜかその後「アナスタシアはまだ生存している」という噂が立った。当時の都市伝説だった。1997年に「アナスタシア生存説」をネタにしたアニメ映画『アナスタシア』が制作されたこともある。
 銃殺されたと思われていたイサ姫が実は生きていた……ということが映画の最後に明かされる。すこしアナスタシアを彷彿とさせるものがある。

 設定的なところを見ていきましょう。
 帝国の兵士であるノーブル提督は、杖を持っている。この杖は巨人の大腿骨。「神聖なるロクナの大腿骨だ」と説明される。

 この作品にはもう一人巨人が登場する。機関室に出てくるこれ。スタンダード版では単に「オシャレな意匠」でしかなかったが、完全版では実は生きた巨人だった……ということが明かされる。燃料になっているのは生物の死骸で、それを炉に放り込み、この巨人が生体エネルギー的なものを吸い上げて、戦艦の動力として出力している……という状態。
 謎めいた設定だけど、この巨人は無理矢理生かされて、戦艦の炉にされちゃっている状態らしい……。
 ここまでの話をまとめると、かつていた伝説のイサ王女が巨人との戦いを終結させて、巨人の死骸は杖にされたりして、生き残った巨人はこうやって拘束され炉やなにかにされている……ということかな?

 こちらにも巨人が映っている。たぶん、この巨人は後の展開の伏線でしょう。

 次にテーマ的なものを見てきましょう。
 完全版で新たに追加されたシーンの中に、こんな台詞が出てくる。
「お前を許す」
 作品の中で、重要なシーンで「お前を許す」という言葉が繰り返される。

 物語の中で戦士達が集結してくるわけだが、実は戦士達はみんななにかしらの「後悔」を背負っている。「あの時、もっと違う行動をしていれば」「命がけで戦っていれば……」――自分は罪を背負っている……みんなそう考えている。

 実はスタンダード版と完全版とで、サブタイトルが変わっている。

スタンダード版
パート1:炎の子 パート2:傷跡を刻む者
ディレクターズカット
パート1:血の聖杯 パート2:赦しの呪い

 スタンダード版の「炎の子」と「傷跡を刻む者」はいずれも主人公コラを示している。戦火の子供であったコラ、その後、スカーギヴァー(傷跡を刻む者)の異名を与えられ、その名前の通り帝国に「傷跡」を刻むことになる。
 ディレクターズカットの「血の聖杯」は、まず「聖杯」はイサ姫を現している(ジミーが王女を「聖杯」と表現する場面がある)。そのイサ姫が殺されたことによって、アンコントローラブルに陥った帝国。パート2は「赦しの呪い」。戦士達全員が過去の戦いに後悔を抱え、罪を背負っていると思い込んでいる。後編の戦いには、その呪いに立ち向かっていく……というテーマがある。

 自分自身に課せられた罪という呪いに立ち向かう……というのが本作の大テーマとなっている。そこでパート1冒頭に、その罪が刻まれる瞬間そのものが描かれる。これが冒頭シーンに描かれるのは、テーマ提示のため。

 もう一つ、重要なシーンがこちら。このおじさんは、後に帝国の元老議員となるバリサリウス。もともとは前戦で戦う兵士だった。
 ここはそのバリサリウスと少女だったコラが出会う場面。バリサリウスは、コラの持つ拳銃を自分のアゴに当てて、「解放してくれ」と乞う。
 実はこの時点で、バリサリウスは自身をコントロールできなくなっていた。自身の闘争心をコントロールできない。無意味な殺戮をやり続けてしまう。この時のバリサリウスにはまだ「罪の意識」が残っていて、コラに「解放してくれ」と訴えるのだった。
 実はバリサリウスは死にたかった。自分を止めてくれる誰かを欲していた。
 本当は死にたいバリサリウスと、そして「スカーギヴァー」の異名を持つコラ。バリサリウスは今も行方不明のコラ探していて、再会を望んでいた。その理由は……。
 この辺りも今後のシリーズ展開への布石でしょう。

 ここからは細かいシーンのニュアンスを読み解いていきましょう。

 パート1冒頭。コラは最初からガンナーに好意を寄せていたが、しかしさほどでもないデンと肉体関係を持つ。わざと自分の本意に触れないようにしている。本当はこの村で、静かな日々を過ごしたい……その気持ちを自分ではぐらかそうとしている。自分は罪を負っている、許されてはいけない……それがコラの考え方だった。

 死者の歯でレリーフが作られている。中央にはイサ姫の写真。たぶんイサ姫への追悼……ということでしょう。

 娼館のシーンの最後に出てくるこれ……なんなんでしょうね? 『メトロポリス』のマリアっぽいけど。「格好いいの作ったから見てくれよ」かな?

 ロボットのジミー。スタンダード版では前編の最後にこの姿になっているが、完全版ではこうなるまでの過程が描かれていく。案山子のマントを身につけ、森で朽ち果てた鹿の頭蓋骨をかぶっている。どういうことかというと、ジミーはこの「農場の化身」になっている。命令者を喪い、自由を獲得したジミーは、農場周辺の静かなひとときを過ごす。その過程で次第に森の自然と一体化し、「農場の化身」となっていく。
 「農場の化身」というだけの存在であって、別に主人公達の味方ではない。あくまでも中立の立場。自由意志を獲得したので、兵士の命令も聞かないし、コラの命令も聞かない。ただし農場に危機が迫っているから、帝国を「敵」と見なす。

 大砲射撃シーン。クランクをカラカラと回して、砲台の角度を変えている。このアナログな感じがたまらん……。

 ここまでに見てきたように、めちゃくちゃに作り込んだ作品……であるのになぜか低評価。確かに引っ掛かるところはある。そこを見ていこう。

① ボスキャラが弱そう。

 村に帝国の弩級艦がやってくるのだが、率いているのはこの人。ノーブル提督。
 この人が……ぜんぜん強そうに見えない。最初のステージに出てくるボスキャラって感じ(実際は強いんだけどね)。
 『REBEL MOON』はこれで終わりではなく、シリーズ展開する予定で、事実として最初のボスキャラというポジションだった。
 でもやっぱり、宿敵は強そうに見えなきゃ。ここはダースベイダーみたいなのを出さなきゃ駄目だよ。いや、ダースベイダーそのものを出せって意味じゃないよ。画面に映った瞬間、「あ、こいつ、強い」と思わせる風貌にしないと。ここまで独創的なSFなのに、ボスキャラが普通に軍服着ているだけ……というのも平凡に感じてしまう。もっと見た目にインパクトのあるキャラを出してほしかった。

② 世界観が散らかって見える。

 この件はあとでもう一回取り上げるけれど、『REBEL MOON』の問題は「世界観の軸」がないこと。『REBEL MOON』には様々な世界観が次々と登場してくるのだけど、しかしどれも「どこかで見た」という印象。過去に作られてきた様々な作品の合成物・キメラのような作品になっている。『REBEL MOON』ならではの「個性」ってなに?
 おそらくここが『REBEL MOON』一番の問題。Rotten tomatoのレビューをザッと見たけれど、SFイメージがどれも「どこかで見たよな……」というところにみんな引っ掛かっていた。オリジナリティがない。
 イメージがなにかの引用であること自体は問題ない。問題なのは、この『REBEL MOON』という世界観を一連なりで統括する独自イメージがないこと。
 例えば『スターウォーズ』にはフォースとジェダイ騎士というものがいて、この2要素が世界観の軸になっている。その周辺のイメージはどれもどこかからの引用だけど、フォースとジェダイ騎士というものがあるから、ちゃんと『スターウォーズ』の世界観の一つになっている。そういう意味での『REBEL MOON』という世界観全体を貫くオリジナルイメージがない。この構想がないから、様々なワールドが出てくるのだが、イメージがバラバラ、世界観が散らかっているように見えてしまう。
 『REBEL MOON』を統括するオリジナリティは1つだけあればいい。2つも3つもいらない。2つも3つもあると、設定が渋滞するだけ。このたった1つのオリジナリティすらなかったことが、駄目だったところ。
 『REBEL MOON』は一時「スターウォーズのスピンオフ」として構想されていた時期があったわけだが、そのまま「スターウォーズのスピンオフ」として発表されていれば、「世界観に個性がない」と言われることもなかったかも知れない。『スターウォーズ』という独自性がそこにあるから。

③ 前編があまり盛り上がらない。

 『REBEL MOON』の前編はコラが様々な惑星を巡り、仲間達を集結させる展開である。「仲間達の集結」はバトル漫画、スポーツ漫画の前編パートでお馴染みの展開で、私はこれ自体が一つのジャンルではないか……と考えている。
 「仲間達の集結」は様々な漫画の中で描かれてきたが、あまり失敗事例がない。仲間達の集結はそれ自体が盛り上がりどころだ。本作の元ネタ映画『七人の侍』も前半パートは仲間達の集結だが、この前半パートだけでも普通に映画1本分の面白さがある。
 ところが『REBEL MOON』の前編、戦士達が次々と集まってくるパートがあまり盛り上がらない。なぜだろうか?
 原因の一つは、世界観が散らかっているから。仲間達が背負っている世界観があまりにもバラバラ。この作品には「帝国」という恐るべき敵がいて、世界中がその脅威に晒されている……という設定だったはずだが、仲間集めのパートに入ると、その設定はいったん横に置いたままになる。メインストーリーとあまり関係ないところでお話しが進んでいく。
 後編に入って、実は全員が帝国に故郷や家族を奪われて……という背景が説明されるが、これは前編で説明すべきだった。
 もう一つ、それぞれのキャラクターのドラマの掘り下げが弱い。それぞれのキャラクター達がどんな動機でコラたちに協力するのか……。その経緯にドラマがない。戦士が仲間になる過程で、なにも乗り越えているものがない。
 前編はドラマの盛り上がり・盛り下がりがなく、どこかエスカレーターに乗っているかのようにスィーと展開してしまう。映像だけは高品質だけど、どこか上滑りして感じられてしまう。見ている人を引っ張り込む切っ掛けが薄い。だから冗長に感じられてしまう。
 Rotten tomatoのレビューを読んでいて、世界観のオリジナリティのなさと同じくらいたくさん見られたのが、「冗長で退屈に感じられる」という書き込み。冗長に感じられる理由を分析すると、おそらくこういうことだろう。

 もう一つの問題は、それぞれのキャラクター達が物語の中でどんな役割を発揮しているのか、不明瞭であること。戦士達が集まってくるけれど、それぞれの戦士が持っているスキルが、戦いの中でどんなふうに発揮されるのか……それがよくわからない。7人も集める必要あった? そのせいで尺が伸びちゃったんじゃない? ……と感じられてしまう。
(ネタ元が『7人の侍』だったから、それに合わせたんじゃないの? ……と思って観てしまう)
 ちゃんと映画を観ていれば、それぞれのキャラクターが戦場で活躍している場面が描かれるけれども、しかし確かに中心のドラマを盛り上げるための効果はさほど発揮されていない。この中の1人2人いなくても、物語が成立しちゃう。
 ここも「前編があまり盛り上がらない」というところが災いした部分。前編のストーリーとの繋がりが弱かったから、後編のドラマが盛り上がらず終わってしまっている。

 ここからは小さなツッコミどころ。

 前編の村のシーンだが、なぜか自動扉。こんな田舎の村に自動扉? たぶんSFっぽさを出すため……でしょう。問題なのは二つ、1つめはどこから電源を引っ張ってきているのか不明。もう1つは後編では自動扉がなくなること。
 村は夜でも電気街灯が煌々と輝いているけど、どこで発電しているのだろう? 電線も見当たらないし……。この世界特有の原理があるのかも知れないけど……

 映画のラストシーン、オチにあたる部分だけど……。
 最終的に帝国を退けて一件落着! ……という雰囲気になってるけど、農場に戦艦落としちゃって本当に良かった? 来年も問題なく農業できるものなの?

 『REBEL MOON』が4月に公開された後、ものすごい不評で、わずか半年後に『ディレクターズカット版』が公開されたが……。
 しかし内容はそんなに変わらなかったな……。ただ長くなっただけで。新エピソードによって物語の解釈が変わる……ということもなかったし。「赦し」にまつわるエピソードが追加されたけれども、これを読み取れたという人はどれだけいただろうか……。
 『ディレクターズカット版』が公開されて、作品評価はある程度持ち直したが、レビュー数を見ると10分の1。好きな人だけがついてきたから、評価が上がっただけ。
 これから見る人にどっちを見るべきか。時間に余裕がなければ『スタンダード版』、暇だったら『ディレクターズカット版』。ディレクターズカット版を絶対に見るべきオススメの理由が特にない。

 それで、じゃあ『REBEL MOON』は面白くないのか……というとぜんぜんそんなことはない。確かに引っ掛かりはあるといえばあるが、実際見るとそこまで大問題でもない。だからこの作品の評価がやたらと低い……ということに気付いたとき「なんで?」となった。もうちょっと評価されてもいいんじゃないかと……。『七人の侍』SFリメイク映画として、それなりにきちんとできているよ。

 私がこの作品を見放したくない理由は、ストーリーやクオリティ云々の話ではなく、ザック・スナイダー監督の「オタク的」な部分を見たから。

 映画の前半、種まきをやっているところに、帝国のドレッドノートが襲来する……。あ、この光景『風の谷のナウシカ』だな。

 酒場……じゃなくて娼館。ここのシーンはあからさまに『スターウォーズ エピソード4』に出てくる酒場。内装が和風になっているのは、映画のアイデア元が『七人の侍』だからでしょう。
 ここでちょっと疑問なのは、エイリアン・キャラが一杯出てくること。エイリアン・キャラがこんなにいるのに、メインキャラにエイリアンがいないのはなぜだろう?

 この娼館に、ちょっと悪そうなやつが出てきて、味方してくれる……。お前、ハン・ソロだろ。ここまで『スターウォーズ』オマージュ入れているんだから、スターウォーズのスピンオフとして作られたら良かったのに。

 ネメシスと出会うシーン。セットのイメージからカット割りまで、もろ『ブレードランナー』。

 ノーブル提督が「触手エッチ」を楽しむシーン。
 これはまた……。日本のエロ漫画が元ネタなのかな……海外にもこういう文化ある?

 敵艦に潜入した後、なぜか変装を解いて、タンクトップ姿で行動するコラ。
 なんで変装を解いちゃうんだろうか……あ、わかった。『ダイ・ハード』オマージュか。

 「反乱軍出撃! 敵機を撃墜せよ!」「了解!」「了解!」という感じのシーン。パイロットの顔アップショットがポンポンと流れるのだが、3カット目がエイリアンキャラ。おい、このカットの流れ、『スターウォーズ』でも見たぞ!

 ここまで見てきてわかるように、『REBEL MOON』は様々な映画・アニメのイメージのキメラ映画。ザック・スナイダーが今まで見てきて、好きだった映画、アニメのイメージがあちこちに登場してくる。実はめちゃくちゃに「オタク的」な映画。ザック・スナイダーのオタク性が炸裂しちゃった作品。
 なんだ、ザック・スナイダーって俺たちと一緒だったんじゃん。
 しかも、めちゃくちゃに厨二病的。いちいち格好つけるんだ。わざとらしく、大袈裟にポーズ決めて、すかした台詞が出てくる。オタク的なうえに、厨二病も炸裂。あー恥ずかしい!
 それがわかってくると、だんだん愛おしくなってくる。俺たちが考えるようなことを、ザック・スナイダーは大予算をかけてやったんだ。ある意味、「オタクの夢」を叶えたような映画。
 ただ、難点なのは、ただひたすらにオタク的に好きなものを詰め込んだ結果、イメージが渋滞ぎみ。そのうえにオリジナリティに欠ける。欠点があるのは間違いない。
 でも「オタクの夢を叶えた映画」として見ると、ある意味で満点。よくやったよ、ザック・スナイダーは。オタクの夢がぎっしり詰まった、宝石箱のような作品。そういう見方をすると、この作品も愛おしく見えてくるはずだ。
 俺たちの仲間だ……そう思いながら見ると、この映画の印象も変わるはず……(?)


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とらつぐみ
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