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映画感想 Mank/マンク

 1月27日視聴!

 Netflixオリジナル映画は、映画館にかけるにしては地味、テーマが特殊、なのに予算はそこそこかかる……というタイプの作品が多いような印象があるのだが、『Mank/マンク』もそういったタイプの作品。わかりやすい活劇や、泣かせる演出なんか一切なし。上級者向け映画となっている。
 こういった「売れそうな要素がないが観るべきドラマ作」に場所を与えているところがNetflixの面白いところだ。

 まず、お話の前提として、映画『市民ケーン』を見ておくことが絶対。というのも、この『市民ケーン』のシナリオがいかに描かれたか、が作品のテーマとしているからだ。
 私も『市民ケーン』は見たのだが、1941年の作品とは思えないくらい現代的なドラマ作りに驚いた覚えがある。例えば主人公ケーンの夫婦生活。最初はアツアツの夫婦だったが、クイックパンを挟み、瞬く間に冷え込んでしまうまでを、ほんの数カットというくらいの短さで描いている。同時代の映画も観たのだが、あの時代の映画はドラマがもっとモタモタしている。『市民ケーン』だけがいきなり現代的なスピーディでしかも奥深いドラマを作ってしまっている。見せ方に時代感をほとんど感じさせない作品だった。

 当時、『市民ケーン』を巡るトラブルというのは一杯あったらしく、まず『市民ケーン』の主人公が実在人物ウィリアム・ランドルフ・ハーストがモデルになっていること。しかも無許可。
 ウィリアム・ランドルフ・ハーストはお城住まいの新聞王で、『市民ケーン』の撮影を止めさせるために映画会社RKOを買収して企画取り下げをさせようとしたくらい。それくらいお金を持っている富豪だった。監督で主演のオーソン・ウェルズはとんでもない大ボスに喧嘩売っちゃったわけだ。
 『市民ケーン』完成後も劇場公開をとりやめさせられたり、お抱えのライターに酷評を書かされたりで、当時『市民ケーン』は売れなかったし評価もされなかった。当時としてあまりにも実験的手法が盛りだくさんすぎて観客の理解が追いつかなかった、というのもあるが、当時は新聞王ハーストが仕掛けたネガキャンの影響が強力すぎて、ちゃんとした評価が下されなかった。
 『市民ケーン』の評価はその後じわじわと上がっていき、今となっては映画史の中でも最高の1本として色んな所から評価されまくっている作品に化けた。今なおリピートされ続ける名作中の名作映画である。

 そんな伝説に映画『市民ケーン』がいかにして生まれたか――しかも脚本に光を当てることがテーマとなっている。

 お話の舞台は1930年代ということなのだが、それを表現するための謎のこだわりが全編に張り巡らされている。
 まず白黒作品だということ。これはわかりやすい。
 オープニングシーンだが、映像の上にテロップを貼り付けたということがすぐにわかるように、わざわざデジタルでテロップ周辺のゴミを表現している。
 車の運転シーンは背景がスクリーン撮影になっていて、しかもそれが一目でわかるようになっている。
 手前の人が黒っぽい服を着ていたら、動く時にゴーストが発生する。
 奥と手前のピントが極端な時、わざと合成っぽく見えるように作っている。現代の高性能カメラで撮影したら、あんな変な印象にはならない。
 極めつけは15分おきに画面右上に「タバコの焦げ跡」が出てくる。最初のタバコの焦げ跡が出てきた後、フィルムが入れ替えられたことを表現するために画面がちょっと揺れるところまで表現されている。
 最近の映画はデジタル上映なのでこの「タバコの焦げ跡」は消えてしまったのだが、昔の映画にはあった(DVDでも初期の頃はタバコの焦げ跡が残っている作品もあった)。このタバコの焦げ跡が出てくるタイミングで、映写技師がフィルムを入れ替えていたのだ。

 と、わざわざ昔風の映像を作るために、フォーマットまで古くしている。「なんだよ、そのこだわり」と苦笑するレベルの入れ込み方。
 一方で、映像作りは相変わらず凄い。
 デヴィッド・フィンチャー監督は照明にこだわる監督だと感じているのだが、今回も光の使い方が凄い。
 室内撮影は奥の方に強い光が当たっていて、斜めに差し込んでくる光を印象的に見せつつ、近景の役者にはソフトな照明を与えている。
 今回は白黒映画ということもあって、この表現が極端になっている。奥行きを表現する時は暗部と、光の差し込んでいる部屋と交互に入れられている。室内シーンはどれも光の表現がやたらと美しい。
 セット内照明はもしかしたらデジタルだと思うが、十文字の光がわざわざ足されている。で、レンズに映るハレーションがどのカットもきっちり役者を避けている。光のハレーションが役者を囲んでいるように表現されている。これはデジタルなのか、照明の効果なのかわからない。
 どの構図も照明の置き方が画としてバッチリ決まっていて、あの画面を作り出すためにどれだけ作り込んだんだろうか……と驚く。
 この映像作りは1930年代40年代には絶対にあり得ない、フィンチャー監督ならではのこだわりが生み出したもの。

 1930年代の映画スタジオ再現も凄かったのだが、それ以上に凄かったのは、新聞王ハーストの宮殿。ハーストの宮殿はおそろしく広く、内部には動物園があった……というのは有名な話だが、それを映像で再現している。いったいロケ地はどこだったのだろうか、どこからCGだったのだろうか……と考えてしまう。
 宮殿内の、異様に豪華絢爛なセットの作りもただ唖然とする。天井が異様に高い。セットだとしても、どの場面も巨大なステージを用意して作らねばならない。よく作り込んだな、と驚く。内容が地味な割にやたらと予算がかかるわけだ。

 さて物語は、脚本家ハーマン・J・マンキーウィッツの視点で描かれる。マンキーウィッツ、通称マンクだ。
 マンクは酒飲みで思ったことをはばからず口にする、気まぐれで無頼な感じの男だ。だが正義感の持ち主で、ドイツで危機に陥っているユダヤ人のアメリカ亡命を手助け、ユダヤ人達が静かに暮らせる街を作ったりしていた。
 そういう行動力ある正義感の持ち主だが、それをこれみよがしに言ったりもしない。何か喋る時にはだいたい憎たらしい皮肉。そういうタイプのアンチヒーローだ。

 マンクはとある西部劇映画の撮影で、女優のマリオンと出会う(この時の西部劇はなんだったのだろう?)。この女優マリオンこそ、あの新聞王ハーストの愛人。『市民ケーン』にも登場してきた女優だ。ハーストはこの愛人の女優を有名にしようと入れ込むが、結果的にどの映画も失敗してしまう。
(「薔薇のつぼみ」はマリオンのオマンコのこと……という説がある。作中でも登場してくる)
 やがてマンクは新聞王ハーストと知り合いになるのだが、同時に政治闘争にも巻き込まれていく……。
 この辺りの時代感はよくわからない。(作中でも取り上げられる)映画『キングコング』で描かれていたが、この時代のアメリカは大恐慌のまっただ中。『キングコング』を見てわかるように、仕事をなくした女優が窃盗する場面から始まる。マンクの劇中内でも、映画会社が社員への給料カットを宣言する場面がある。映画会社の社員達が困窮していく様子が描かれていく。
 そうした最中に行われる選挙で、今後の労働者の行方が変わってしまう……。
 しかしその選挙ニュースが映画会社の作り物。偏向放送だった。マンクは業界人だから、ラジオの声を聞いてすぐに「これはあの女優の声だぞ……」と気付いてしまう。知り合いの監督は映画会社のセットや役者を動員したウソニュース番組を制作しはじめ、特定候補者に優位な状況を作ろうとしている。そうした偏向報道作りのトップにいるのが、かの新聞王ハーストだった。
(そういえばオーソン・ウェルズはかつて『火星人襲来』というラジオドラマを作っていた。このラジオドラマはちょっと聞いただけでは本当のニュースっぽく聞こえるような仕立てだった。こういうところに引っかけた展開だったのかも知れない)
 誰が当選するかで、労働者の有り様が変わってしまう。正義感の持ち主マンクはそれが許せない。しかしとうとうマンクの意にならない政治家が当選されてしまう……。

 まず『市民ケーン』を見ていることが絶対という前提に上に、その時代のアメリカの政情も理解していないと、かなり難しい作品。
 私も1回見たところで作品の半分も理解できていない。マンクは諸々の事件の後、ハーストへの逆襲として『市民ケーン』の脚本を書き始めるわけだが、しかし『市民ケーン』のストーリーはよくよく確かめてみるとそこまでハーストの地位を貶めるものではない。それどころか、ハーストの内面――子供時代からずっと続く孤独をあぶり出している。愛人マリオンも、ハーストが抱えている孤独が表現していることに驚いている。貶めるところか、むしろ同情たっぷりに描いている。
 なぜマンクはそこまでハーストの内面を言い当てることができたのだろう? ハーストという人物をいつから深く思い入れるようになったのだろう?
 これは映画をもう一回観た方が良いかな……。とそんなふうに引っ掛かる映画だった。

 でも、Netflixのマイリストに放り込んでいる映画がまだ一杯あるからな……。ちゃんと観れていないという印象があるから、もう1回ちゃんと観たいのだけど……。


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