映画感想 ジョン・ウィック
今回視聴映画は『ジョン・ウィック』!
2014年に公開されたハリウッド映画。キアヌ・リーブスは主演兼制作総指揮を務め、『マトリックス』以来の当たり役と評価されている。
制作費は2000万ドルに対し、世界興行収入が8800万ドル。この大ヒットを受けて、『ジョン・ウィック』はシリーズ化。現在も続編が制作され続けている。
監督はチャド・スタエルスキ。実はスタントマンで、『マトリックス』の時にはキアヌ・リーブスのスタントを務めていた。その以前には総合格闘技でリングに上がって戦っていたという異色の経歴の持ち主である。本作の前に2011年頃から様々な映画で「第2班監督」としての実績を積み、本作においてついに監督デビューを果たすことになった。
チャド・スタエルスキの主な監督作品は、まだ『ジョン・ウィック』シリーズしかない。
前半のストーリーを見てみよう。
ジョン・ウィックは妻と共に平和な生活を送っていた。だが間もなく妻は病気に冒され、この世を去ってしまう。
哀しみに暮れるジョン・ウィックのもとに、1匹の子犬が配送される。妻がこの世を去る前に、1人取り残される夫を想って手配していた犬だった。
ジョン・ウィックはこの子犬と共に、愛する人を失った日々を過ごす。
だがある夜、街のチンピラたちが、ジョン・ウィックの家に強盗に入る。チンピラたちはジョン・ウィックを殴り、犬を殺し、車を奪っていった……。
ここまでが15分。
チンピラたちの正体は?
すぐにジョン・ウィックは町の自動車工場を訪ねる。盗んだ車を持って、チンピラたちがここを訪れたはずだ。例のチンピラたちは間違いなく工場を訪れていた。チンピラたちの正体はロシアンマフィア「タラソファミリー」のボス・ヴィゴの息子であった。
一方、ヴィゴは息子がジョン・ウィックの車を盗んだと知り、逆上する。
「お前はジョン・ウィックを知らないのか」
ジョン・ウィックはかつてタラソファミリーが雇っていた凄腕の殺し屋だった。だが愛するの女ができたために、5年前に組織から足を洗い、平凡な生活を送っていたところだった。
ヴィゴはすぐにでも殺し屋たちを派遣し、ジョン・ウィックを殺そうとする。だがジョン・ウィックはその殺し屋たちを瞬く間に全員殺してしまうのだった。
ここまでが30分。
なんで15分刻みでお話を紹介するのかというと、この作品、15分区切りで展開・舞台が変わるように作られている。正確には15分より短かったり長かったりするのだけど、おおむね15分区切りでお話が進んで行く。
台詞が非常に少ない。情景描写だけで語るように作られている。
例えば冒頭のシーン。ジョン・ウィックは大きな家の中、1人で過ごしている。台詞はまったくない。始まって5分くらいでやっと台詞が出てくる。だが端々で、その家の中に「もう一人」いた、それは男の妻だった……ということがわかるように作られている。さらに、何者かが死去したことを示す映像。
こうした台詞のない作品、説明の少ない作品は、よく批評家から「IQの低い映画」とか言われがちなのだけど、実際には台詞無しで画だけで読めるように作るのはかなり難しい。実際にはそこそこ以上にIQが高くないと作れない映像の作りだ。『ジョン・ウィック』の冒頭シーンはかなり情緒豊かに描かれているし、かつ説明として充分な描写がされていて、非常によく作られている。
で、冒頭15分くらいのシーンだけど、ちょっと不思議な心地がある。というのも、主人公が何者なのかわからない。どんな仕事をしているのか? かなりいい暮らしをしているようだが、なぜなのか? 不自然なほど生活観が全くない。
映像の説明は妻が死去したことだけしか描かれない。しかし「ただ妻を亡くした哀しい男」の話ではなく、なにかあるぞ……と思って、じっと見てしまう。
要するにジョン・ウィックは「引退した殺し屋」なのだけど、冒頭15分くらいはそれがわからないように作られている。最初の10分くらいは「恋愛映画が始まった」みたいな印象すら漂わせている。前情報を見ずに映画を観ると、「そういう映画だ」という気配すら感じさせないように作られている。(冒頭でボロボロになっているジョン・ウィックが描かれているけれど)
で、チンピラの襲撃の後、「実は凄腕の殺し屋だった」……ということが驚きと共に明かされる。それから殺し屋たちの襲撃があって、ジョン・ウィックのとんでもない身体能力が披露されて……という仕組みになっている。「実は凄腕の殺し屋」だったという台詞による説明が入るのだが、その後すぐにどれほどの腕前なのかがわかる映像の作りになっている。ある意味で「少年漫画」的な描き方だ。
この展開で一気に引き込もうとしていて、これは非常にうまくいっている。
バトルスタイルについては私はよくわからない。よく言われることに、「ガン・フー」と評されるアクションだ。
「ガン=カタ」と呼ばれるアクションスタイルがある。2002年公開映画『リベリオン』の作中で披露されたアクションだ。名前の由来は「ガン(銃)」に日本武術の「カタ(型)」を組み合わせた呼称で、もちろん現実には存在しない、映画の世界のみの格闘スタイルだ。ガン=カタは銃撃戦にカンフーのスタイルをミックスさせた動きで、あえて銃撃戦を短距離で展開させ、カンフー風のアクションの中に銃を取り入れている。銃は撃てば終了の必殺の武器ではなく、そこに至るまでのアクションを取り入れることで、バトルの単調さを回避し、一つ一つのバトルを印象深いシーンに仕上げている。
『ジョン・ウィック』はガン=カタの派生的なアクションスタイルで、カンフースタイルではなく、柔術が取り入れられている。相手の攻撃を受け流し、隙を作り、その一瞬の隙を突いてバンバンバン! と撃つ。
その時の構え方だが普通銃を身構える時は、持ち手を水平に、まっすぐ伸ばすものだが、ガンフーの場合は常に腕を曲げている。近接での戦いを想定した構え方だ。実際、『ジョン・ウィック』のバトルシーンは場所が狭かったり、人で一杯の最中で戦うので、非常に合理的な構え方に見える。
さらに撃つ時には胸、頭と正確狙って撃っている(シーンによっては足、胸、頭と撃つ)。いきなり頭を狙ったら、相手は避けようとするが、胸、頭という順番で撃てば相手の動きを静止させ、確実にヘッドショットを狙える。撃つ時の手数・弾丸数も非常に少ない。
銃弾はすぐに弾切れになる。私は映画を観ながら残弾数を数えるタイプのガンマニアではないので(残弾数を数えるガンマニアはわりと多いらしい)、弾丸の数が正確かわからないが、とにかくしょっちゅう弾切れ、リロードする。『ジョン・ウィック』ではいつも大量の敵が出てきて、ジョン・ウィックはたった一丁の拳銃で対処するように描かれている。弾丸を撃つ数はだいたい一人に対して3発以内で収まっているが、しかし人数が多いので、すぐに弾切れを起こしてしまう。
映画に出てくる銃は、場面の都合によって弾丸数が無限になったり、いきなり弾切れになったりするものだから、『ジョン・ウィック』のような見せ方が非常に新鮮だ。
後半、自動小銃を持ってのバトルがあるのだが、そこでもバババババと撃ったりせず、トトト・トトト・トトトと3点撃ち。やはり最小の手数でヘッドショットを狙う。映画『イノセンス』でバトーがやっていた戦い方だ。下手な射撃で無駄撃ちせず、的確にヘッドショットを狙っていっている。で、やっぱりすぐに弾切れを起こす。
では次の15分を見ていこう。
ジョン・ウィックは殺し屋御用達ホテル「コンチネンタル・ホテル」に場所を移す。コンチネンタル・ホテルには裏社会における鉄の掟がある。「その場所で“仕事”してはならない」。コンチネンタル・ホテルは殺し屋で一杯のホテルだが、しかし殺し屋たちにとっての“安全地帯”であった。
そのホテルを拠点にして、ジョン・ウィックは情報収集を開始する。ホテルのオーナーであり、裏社会に精通するウィンストンから、犬を殺した犯人・ヨセフがとあるナイトクラブにいることを教えてもらう。
一方ヴィゴも腕利きたちの殺し屋を集め、「ジョン・ウィックを殺した者に200万ドル」さらに「掟を破って殺した者には400万ドル」という懸賞金をかける。
前半から一転、物語は殺し屋の社会へと踏み込んでいく。殺し屋御用達ホテル……なんて聞いているとワクワクしてしまう。この殺し屋の社会について、説明的な解説してくれないが、かわりに映像で説明している。ジョン・ウィックと応対するホテルマンがいるのだが、これがなんだかやたらと格好いい。この存在だけで全部説明してしまっている。こういうところのシャープさは見事。
次の15分が、ヨセフが潜伏するナイトクラブに単身突撃していく場面。ここでジョン・ウィックの身体能力の高さがわかる。
使用武器はナイフとハンドガンH&LP30L(コンペンセイター付き)一丁のみ。接敵したら正確な射撃で胸部・頭部と数発以内で射殺。あまり殴ったりはせず、突撃してきた相手を柔術で受け流し、体制を崩させてからの射撃。人が一杯のナイトクラブの中での大乱闘だが、一般人の巻き添え殺人はゼロ。銃を持ったヨセフの用心棒のみを1人1人正確に殺していく。「拳銃一丁で突撃、相手を全滅させる」というロマンをリアルな映像で表現してくれている。
こういった敵の拠点に単身でカチコミに行く……という描写はアクション映画ではお馴染みだ。ほとんどの映画では、こういうシーンは大量の武器を持って、その武器を使い捨てながら進行していく(よくありがちな描写として、一見武器を持っていなさそうに見せて、身体検査でコートを開くと大量の武器が……)。『ジョン・ウィック』の面白さは、本当にナイフ1本、拳銃1丁のみでカチコミに行って、ほぼ壊滅状態まで追い込んでいく。やっていることは「ヤクザの鉄砲玉」なんだけど、そこで「無双」しちゃうところが格好いい。ロマンがある。
ただ、殴ったりの乱闘戦は弱いのかもしれない。掴まれてからやられる場面がある。相手に掴まれない半径を意識しつつ、接近してきたら柔術で受け流し、絶対外しようのない中距離で狙い撃つというパターンが多い。遠距離になると急に射撃の精度が落ちる。遠距離での射撃は無駄撃ちになるから、あえてやらない……という戦闘スタイルのようだ。
こういったアクションヒーローは「絶対無敵」として描かれる場合がよくある。『座頭市』は作品によりにけり(作品によって監督が違うので、スタイルも全く違う)だが、座頭市の前に立つと相手が不自然なくらい弱々しく倒れていくように見えてしまう場面がある。
『ジョン・ウィック』のアクションは立ち回りの納得感。主人公は絶対無敵のヒーローなのだが、動きに納得感がある。あのスピード、正確な射撃なら、主人公が不自然なくらい「無双」しまくっていても変な気はしない。むしろあれだけ超人的な動きをする人間であれば……と納得できるように描かれている。
アクションの描き方も、細かいカット割りをせずに、やや長回し。人物はフルサイズ。人間の動きを映像で読みやすく描かれている。すると「ごまかし」も効かなくなるわけだが、カット割りのごまかしを入れずとも、キアヌ・リーブスの鍛え上げられたシャープな動きで納得させられてしまう。こういうところは、元・スタントマンらしい映画の撮り方だし、しかもキアヌ・リーブスのスタントマンをやっていた人物だからこその俳優と監督の間の信頼感も感じる。
ナイトクラブの襲撃、肝心のヨセフには逃げられてしまう……という展開までが55分。前半戦終了となる。以降は「無数のザコ」との戦いではなく、鍛え抜かれた殺し屋同士の戦いがメインとなっていく。
『ジョン・ウィック』はプロットを書き出すと、せいぜい数行で終わるような作品だ。そういった作品をいかにカタルシスたっぷりに描くか。私はそんなにアクション映画を観ない方だが、久しぶりにいいアクション映画を観た……という気分になった。初期の『ダイハード』やアーノルド・シュワルツェネッガーが主演をした『コマンドー』のようなアクション映画の系譜に入る作品だ。
シンプルなプロットのアクション映画は、ふとすると誰にでも脚本が描けそうな気がする。だが、実際描いてみるとなかなか難しい。シンプルさを維持しつつ、味わい深い感動を与えられる作品というのはそうそう描けるものではない。では複雑にすればいいのかというとそうでもなく、複雑にすればするほど、なにかをやったような感じにはなるけれども、メインテーマがぼやけて何なのかわかりづらくなる。映画のプロットとはむしろ数行で描けるようなものでなければならない……と考えたほうがいい。そうでないと、誰にも伝わらない。
『ジョン・ウィック』は徹底してシンプルを心がけている。映画全体を通しても、台詞の数が少ない。細かい説明がほとんど省かれている。だが伝わるようにできている。
例えば殺し屋マーカス(ウィレム・デフォー)はジョン・ウィック暗殺の依頼を受けて、スナイパーライフルを持ってホテル手前のビルに張り込むのだが、ベッドに横たわるジョン・ウィックを見てさっと気が変わってしまう。ジョン・ウィックを救おうと動き始める。
ここでも台詞による説明は無し。表情でも説明しない。説明するのは「迷っているスコープの動き」のみだ。これだけで伝わるように作っている。こういう画で説明するところが、「映画らしさ」を作っている。
アクション映画的快楽は、映像で作り上げるものである。ただ派手に爆破すればいいというものではなく、ただ過激にすればいいというものでもない。その作品らしさと、徹底したシンプルさが大切だ。言葉ではなくアクションで語ってこそ、アクション映画だ。『ジョン・ウィック』はその要件を完璧に満たした作品だ。なるほどこの作品がヒットし、続編が作られていった理由がわかったような気がする。
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