映画感想 ムーンフォール
今回視聴映画はローランド・エメリッヒ監督『ムーンフォール』。
インディペンデント系映画としては史上最大1億4000万ドルという大予算で制作された作品。アメリカでは2022年2月4日公開だが、日本では劇場公開されず、Amazon Prime Video配信のみで公開された。映画がはじまって最初に「木下グループ」と見慣れない会社のロゴが出てくるが、日本の配給会社で木下グループ(キノフィルムズ)の映画館にて公開される予定だった。
米国での評価は映画批評集積サイトRotten Tomatoesによれば高評価が36%で、平均点は10点満点中4.4点。日本ではAmazon配信のみとなってしまったが、そのAmazonでも酷評がずらりと並ぶ。残念ながらかなりの低評価となってしまった。
主演はパトリック・ウィルソンとハル・ベリー。ハル・ベリーは相変わらず美しいなぁ……と見ていたのだが、今年で55歳の女優。55歳だと! 嘘だ! まだ20代くらいにしか見えない。この映画で一番信じられないのは、ハル・ベリーの年齢かも知れない……。
では映画本編を観ていこう。
2011年1月12日。
主人公ブライアン・ハーパーはジョー・ファウラーと新米マーカスとともに人工衛星の修理任務に当たっていた。対話を楽しみながら作業を進めていたのだが、ふとマーカスが何かを見詰めて、「あれはなんです?」と呟く。ブライアンが振り向くと、眼前に真っ黒な“何か”が迫った。
何かがスペースシャトルをかすめて、飛んでいった。マーカスが放り出され、ブライアンは暴走したスペースシャトルに引き込まれてしまう。ブライアンはただちにシャトルの中へ入り、バルブを開いてシャトルの回転を止める。ジョーは気絶しているようだが、生命の危険はない。マーカスに呼びかけるが、応答はない。ブライアンがシャトルの窓から外を覗くと、月のクレーターに何か着地したような煙を噴き上げていた。
結局、新米マーカスは宇宙空間で行方不明のまま。帰還したブライアンは任務中の事故の責任を問われてしまう。宇宙で謎の“何か”を見たと証言するのだが、誰も信じてくれない。その時一緒だったジョーは気絶していたため、何も見ていない。ブライアンはそのまま宇宙飛行士の仕事を喪うのだった。
10年後。
自称・巨大建造物学者のK・C・ハウスマンはとある大学に潜入していた。清掃員の扮装をして、とある教授の研究室に忍び込み、データを盗み出す。
間もなくデータから月の軌道半径が減少していることを突き止める。このまま軌道半径が小さくなり続けると、地球と衝突する。この問題を早く誰かに知らせねば……。K・C・ハウスマンは元・宇宙飛行士のブライアン・ハーパーと接触を持つが、相手にされず追い出されてしまう。
そのブライアンも問題を抱えていた。息子のソニーが車を暴走させ、挙げ句覚醒剤も所持していたために逮捕されてしまっていた。10年前の事故以来、収入が不安定で、住んでいる家には毎日「退去命令」の通知が届いている。ブライアンは息子の保釈に奔走している最中だった。
ジョンソン宇宙センターに勤めているジョー・ファウラーも月の軌道半径が短くなっていることを突き止めていた。あと月が地球を3周半する間に高度1万7000キロまで接近し、そこまで接近すると月は崩壊し、その破片が地球に降り注ぐことになる。そうなるまでの猶予はあと3週間……。
宇宙センター所長は「このことは口外禁止だ」と箝口令を敷くが、その時にはすでにネット上での噂になっていた。誰かが気付いて、ネット上に情報を流していたのだ。
ここまでの展開で25分。映画前半部分となる。
まずは映画のプロローグに描かれる「アポロ11号」について。
アポロ11号は1969年7月16日ヒューストン州にあるケネディ宇宙センターから発射され、同年7月20日月面に到着した。搭乗員はニール・アームストロング、マイケル・コリンズ、バズ・オルドリンの3名。これが人類初の月面着陸となる。この辺りのストーリーは『ファースト・マン』のところで触れたので、そちらを読んでね。
この歴史的な事件は世界40カ国でテレビ中継され、アメリカでは視聴率94%、日本でも60%という驚異の数字を叩き出した。
ところがまさに月に到着という7月20日、ほんの一瞬、アポロ11号との通信が途絶えた瞬間があった。それが現在でも噂が絶えない「謎の2分間」である。
よく言われている話が、この間に宇宙人と交信していた、とか、この2分間に聞かれてはまずような会話が……つまり「ものすごい大きさだ! 宇宙船がある!」という発言があったから……などなど、様々な都市伝説の発信元になっている。
この謎の2分間は今現在も論争の的になっていて、様々なSFの元ネタにされている。例えば『トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン』では、この2分の間に月面裏にある宇宙人の施設を訪れていた……みたいな話が作られている(2分の間にそれは無理がある)。
このエピソードをプロローグに入れている、ということは、つまりそういう都市伝説を元ネタにしたようなお話を描きますよ……という宣言である。「リアルで真面目なSF」ではなく、もっとファンタジー寄りなSF活劇映画ですよ……という注釈として、このエピソードが最初に描かれている。
というプロローグの後、2011年、物語の発端となる事件が描かれる。ブライアン・ハーパーが宇宙での船外活動中に“何か”の襲撃を受ける。しかしその“何か”について誰も信じてもらえず、しかも同僚を事故で死なせた責任をとらされ、NASAをクビになる。
ブライアン・ハーバーはそれまでは「ベテラン宇宙飛行士」としてキャリアを築き上げていたが、この事件を境に転落。妻とも離婚し、思うようにならない人生を歩むことになる。
もう一人の主人公が登場する。「巨大建造物学者」を自称するK・C・ハウスマンだ。ハウスマンは月が天然自然のものではなく、高度な文明を持ったエイリアンによって建造された人工物であると主張し、その月軌道が本来の軌道からずれていることにいち早く気付き、それを誰かに知らせようとする。
ローランド・エメリッヒ監督おなじみの「変人科学者」である。ローランド・エメリッヒ監督は『インディペンデンス・デイ』の頃から、まず変人科学者が異変に気付き、誰かに知らせようとするが信じてもらえず、それから間もなく変人科学者が宣言したとおりの事態が起きてしまう……という展開を採っている。『デイ・アフター・トゥモロー』『2012』……どれも前半30分のストーリー展開はだいたい一緒である。
K・C・ハウスマンは「巨大建造物学者」を自称しているが、博士号を取っているわけではなく、普段はファストフード店勤め。認知症の母親がいる。「学者」を自称しているが誰も研究を信じてもらえず、生活も思うようにならず、自己実現が満たされていない男……。それがK・C・ハウスマンが抱えている葛藤である。
このハウスマンの葛藤と、ブライアンの葛藤がやがて噛み合ってくることで物語が進むように作られている。
続きの30分を、ざっとダイジェストで見ていこう。
自説を誰にも聞いてもらえなかったk・C・ハウスマンは、月が接近している事実をネット上で公開する。大騒動となりNASAは事態の収拾を図ろうと、「問題ではない」と発表。その一方で月に向けて探査記を放つのだった。
ブライアン・ハーパーはニュース番組で「月が接近している」という事実を知り、ようやくK・C・ハウスマンと会うことを決める。
そうしているうちに月接近により水位が異常上昇をはじめ、海岸沿いの街に大波が押し寄せる。
間もなく月に到着した探査機だったが、何者かの襲撃を受け、乗組員は全員死亡。探査記も破壊されるのだった。その様子を見て、宇宙センター所長はジョー・ファウナーにすべての権限を預けて逃亡。前所長は去り際にジョー・ファウナーにある秘密を教える。
その秘密とは10年前の事件の時、NASAは謎の“何者か”がスペースシャトルを襲撃していたことを察知していたこと。ジョーはようやく、ブライアンが真実を話していたことを知るのだった。
ジョーはブライアンに呼び出しをかける。それにK・C・ハウスマンもついてきてしまう。任務はこれから宇宙へ行き、爆弾を設置し、あの“何者か”を破壊すること。
しかし発射直前にエンジンの一つにトラブルが発生し、任務中断。
津波が迫っている最中、全員が避難するが、K・C・ハウスマンは諦めず月に行く方法を考案。ハウスマンの計算では、大気圏から出ることさえできれば、そのまま月の引力に引かれて到達できる……というのだった。
ここまでで1時間ちょっと。この段階で後半クライマックスに向けた前提が全て揃うことになる。
まず津波のシーンだが……。これはひょっとしてミニチュアかな。今でもハリウッドでミニチュア撮影されていることに驚いた。それ以外のほとんどのシーンはCGのようだけど。
前半30分を過ぎたところで、じわじわと世界の崩壊が始まる。月の接近により水位が上昇し、海岸沿いの街は津波に沈む……正直なところ、南極の氷がすべて溶けたわけでもないし、そうはならんやろ、という気もしたけれども。
という考証の問題はさておき。ここから大破壊の場面に入っていくのだが、その画作りはさすがローランド・エメリッヒ監督。非常にうまい。超自然的な災害と、それを画としてまとめあげる才能は今でも世界一。こういう画作りのセンスはもともとアーティストを目指していただけあって相変わらずうまい。
問題なのがシナリオ作り。
これから宇宙へ旅立つ3人、ブライアン・ハーパー、ジョー・ファウナー、k・C・ハウスマンの3人はそれぞれに家族がいて、それぞれで何かしらに問題を抱えている。
ブライアンは息子がグレて不良に。ハウスマンは認知症の母を抱えている。ブライアンもハウスマンも自分の言っていることを周りから信じてもらえず、社会性を築くことに失敗している。
ジョーの元夫は国務総省のかなり偉い人。問題が深刻な状況に陥っていく最中、権限はNASAから国務省の取り仕切りになり、月に核ミサイルを撃ち込むという計画が立ち上がる。月に核ミサイルを撃ち込んでもたいして効果がない上に、放射能を世界中に振りまくだけ……。ジョーは元夫を介して、なんとしてでも留めてもらおうとする。
地球規模の危機を前にして、グレた息子ソニーは、父と和解し、自分の役目を自覚し、ジョーの息子となぜか一緒についてきた中国人を守るために命懸けで逃亡する。
(なぜか登場する中国人は中国資本が入っているから。シナリオ的にいてもいなくてもいいようなキャラクター。大金を出してもらってので、忖度は大事だ)
こうして「地上」と「宇宙」2つの物語が同時に進行し、ドラマを盛り上げていく……という構造になっているが――残念ながら噛み合っているような感覚がしない。まずブライアン・ハーパーと息子ソニーとの父子の対立と和解の物語だが、特に目立ったドラマもなく和解に至り、息子ソニーはジョーの息子を守るために命をかけるようになっていく。父と子のドラマに感動するようなフックがなく、ただ「約束事だから」とすーと流れていく感じ。
次にk・C・ハウスマンの物語。ハウスマンは誰からも話を聞いてもらえない変人研究者のレッテルを貼られ続けていたが、しかし自分が主張していたことの全てが正しかったことが証明され、自己実現達成のためにもう一歩、踏み出していく。まず憧れだった宇宙へ行くことになり、最後には自己犠牲で地球を守る決意をする。
ハウスマンの物語もドラマチックなもののはずだが、こちらも感動できない。どこかすーっと流れていく感じ。ハウスマンが憧れだけで終わっていた宇宙飛行士の夢を実現させて、さらに自説が正しいことが証明されて……こういう一つ一つに感動があっていいはずなのに、感動できない。「俺の説は正しかったんだー!」って叫んだって良かったはずなのに、そういう感動を表現してくれない。
最終的にハウスマンは自己犠牲を選択するわけだが、合理的な蓋然性が特にない。いきなり、そういう展開に入っていって、「おい、どうした?」という感じだ。
ブライアン、ハウスマン、ジョー3人それぞれに物語を持っていて、1つの任務に当たっていく過程で葛藤が解消されていく……という構造になっているのだが、どういうわけだがうまく噛み合っていない。シーンの一つ一つはわりとしっかり作られているはずなのだけど、なぜか感動できない。いい球が来ているのに、その全てに空振りするかのような展開になっている。
どんな優れたイメージがあっても、物語がうまく回らなければ推進しない。イマジネーションを活かすも殺すも物語次第。『ムーンフォール』は物語のほうが空回りしているせいで、イメージは格好よく作れているのに、どこか気の抜けたようなものになってしまっている。
破壊のイメージだが、画そのものはものすごく格好いい。ここはさすがローランド・エメリッヒ監督。
ただ引っ掛かったのは、「遠景の画」と、登場人物達が活躍する「近景の画」が噛み合っているように見えないこと。登場人物達があの凄まじいデザスター映像の中にいるように見えず、どこか別の世界のできごとを編集でくっつけたような感じに見えてしまう。CGで作ったイメージと、俳優達が活躍するシーンが別次元で起きているように見えて、それを編集で繋いでいるだけ……というのが見えて、そこでもちょっと拍子抜け。この2つを繋ぐ、「中景の画」があればよかったのだが……。
映画の後半はトンデモ・ファンタジーになっていく。詳しい内容は伏せておくが、かなりファンタジー寄りのSFになっていく。これがあまりにもトンデモな内容だったため、Amazonでのレビューを読んだけど、椅子から転げ落ちた人が多かったようだ。
ここも「噛み合っていない」問題で、映画の冒頭にアポロ11号の「謎の2分間」を前提として置いていて、「そういう都市伝説的な変なお話をしますよ」という前提があるのだけど、しかしその間のストーリーでそういう話はみんな忘れてしまう。忘れるようなお話になってしまっている。そこで唐突にトンデモな話が出てきて「オイオイ」となってしまう。
これはトーンが揃ってない……ということが問題で……。
例えば『インディペンデンス・デイ』。あの作品では、ある日宇宙人がやって来て、人類への襲撃を始めました、それに対して現職のアメリカ大統領が戦闘機に乗って活劇を繰り広げる……というバカな前提でバカな展開がひたすら繰り広げられる。途中の、エイリアンをぶん殴って気絶させる、というシーンもいいフックになっている。最初からバカなプロローグで始まって、ずっとバカなトーンでお話が展開していっているから、うまく整っているように感じられる。
『ムーンフォール』の場合は、どこにトーンを置いているのかわからない。もっとバカな話をしたいのか、リアルな地球崩壊の物語を作りたいのか、家族のドラマをやりたいのか……。そこがわかりづらい。
この問題を解消する一番手っ取り早い方法は、『ムーンフォール』をアニメーションで作ること。アニメだったらリアリティラインや抽象度の整合性を取りやすく、最初から最後までずっと同じトーンで物語を進行させられる。後半のトンデモ展開も、アニメであれば自然に受け入れられる。
実写でやると、全体に整合性を取らなくてはならない。前半の物語はもっとライトに描き、後半のトンデモ展開はもっと重く描く。といっても、どの程度トーンをコントロールすべきなのか……はなかなか難しいが。
映画『ムーンフォール』は評判を聞いても誰も良いとは言わないし、実際見るとかなり笑っちゃうような作品であるのは間違いない。でもまったくダメな映画というわけではない。地球に月が接近していくところの画作りは非常にうまい。ただ物語がイメージの推進力になっていないこと。あと、とにかくもバランスが悪い。
しかし――だからといって嫌いな映画ではない。これはこれで愛嬌がある。駄作映画かも知れないけど、可愛いところはある。愛すべき駄作映画として、けなされつつも愛される映画になっていくんじゃないか……という気はする。
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