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映画感想 死霊館のシスター2 呪いの秘密

 呪いは継承される……。

 2013年から始まった『死霊館』シリーズの現時点での最新作『死霊館のシスター2 呪いの秘密』(本来はタイトルに『2』は付かないが、ここではわかりやすくするために付けます)。あの謎のシスターの正体は何者なのか……そこを掘り下げた作品となる。
 監督はマイケル・チャベス。2009年から短編映画で映像作家としてのキャリアを積み、2019年『ラ・ヨローナ~泣く女~』で長編監督デビュー。2作目が『死霊館 悪魔のせいなら無罪』、そして3作目が本作『死霊館のシスター2』となる。次回作は『死霊館 完結編』となっており、今のところ長編映画のキャリアのすべてが『死霊館』シリーズとなっている。
 制作費は3850万ドルに対し、興行収入は2億6950万ドル。映画としての純利益は8500万ドルだとみられている。大成功といえる収益だ。
 映画批評集積サイトRotten tomatoでは136件の批評家によるレビューがあり、肯定評価は51%。一般レビューは72%。まあまあそれなりの評価だ。前作が批評家24%、一般レビューが35%と惨憺たるものだったから、だいぶ持ち直したと言える(とはいえ、シリーズ全体で見ても下から3番目だが)。興行収入は前作のほうが高く、3億6000万ドル。前作の不評が今作の収益に影響した……ということだろうか。
 前作はシリーズ最低の評価となったが、しかしそれなりに稼げたので、どうにか次回作がスタート。本作に繋がった。

 ストーリー紹介の前に、時系列の確認をしておきましょう。

1952年 死霊館のシスター
1956年 死霊館のシスター2 ←今作
1958年 アナベル 死霊人形の誕生
1970年 アナベル 死霊館の人形
1971年 死霊館 ←シリーズ第1作目
1972年 アナベル 死霊博物館
1973年 ラ・ヨローナ~泣く女~
1977年 死霊館 エンフィールド事件
1981年 死霊館 悪魔のせいなら、無罪。

 『死霊館』シリーズは第1作目がヒットした後、無計画な建て増し的に続編が作られてきたので、私もシリーズすべて見ているが毎回確認しないとどの作品がどの作品の続きだったかわからなくなる。今作『死霊館のシスター2』はもっとも古い歴史である『死霊館のシスター』の4年後、アナベル人形誕生の秘話を描いた『アナベル』の2年前。シリーズの主人公であるエド&ロレイン・ウォーレン夫婦が活躍は1970年代からだから、本編シリーズに繋がるのはもうちょっと後ということになる。

 では本編ストーリーを見てみよう。


  ルーマニア聖カルタ修道院での事件の後、アイリーンはイタリアの修道院でひっそりと暮らしていた。あの修道院での事件は仲間たちからも怪談話として語られ、アイリーンがその当事者であると誰からも知られていなかった。
 そんなある時、アイリーンを訪ねてくる者がいる。枢機卿だ。
 事件が起きた。ハンガリーの小さな村で、尼僧が拳銃自殺をした。そこを切っ掛けに、司祭や修道女が次々と自殺する事件が起きている。何者かがルーマニアを出て、西へ西へと移動している。その調査をするのだ――という指令を受ける。
 アイリーンはあまりにも危険だと断り、前回の戦いで功績を残したバーク神父はどうしたのか尋ねる。するとバーク神父はすでにコレラで死去していた。
 アイリーンはやむなく任務を受けて、旅立つことに。そこに見習い修道女のデブラが付いてくる。アイリーンはデブラに「危険な旅になる」と警告するが、デブラは構わず付いてくるのだった。

 一方フランスのマダム・ローラン寄宿学校。かつてアイリーンとともに戦ったモリースは、その学校で使用人をやっていた。教師のケイトとその娘のソフィーと仲良くなり、穏やかな日々を過ごしていた。
 しかし時々、モリースに何かが取り憑く。モリースは狂気に陥り、人を襲うようになっていた……。


 ここまでで前半24分。
 あまり掘り下げるところもない作品だけど、見ていきましょうか。

 プロローグはとある教会。この場所はエクサンプロヴァンスのウルスリン礼拝堂。1924年に歴史的建造物として指定された。実際に映画のように、路地の向こうにある礼拝堂なのだとか。

 なんでもない一場面だけど……なんでワインをあんな高い位置に置くの?🙄 地震が来たら落ちるでしょ。地震が起きなくても、すぐに落ちて割れそう。たぶん、少年が台に乗って、慎重に下ろす……という所作を描きたかったんだと思うけど。

 少年の後ろ姿から、カメラがすっと動いてこの絵画を捉えます。この絵は何なのか?

 元になっているのは1521年に描かれた『セント・ルシア』。元になった作品にはちゃんと目玉は描かれております。映画版は目元を真っ黒に塗りつぶされている。
 描いた画家はドメニコ・ディ・パーチェ・ベッカフーミ。1486~1551年。ルネサンス後期マニエリスム時代のイタリアの画家だ。
 ドメニコはもともと農民の子だったが、絵の才能が認められて、地主が保護者になったためにベッカフーミの名字をもらったらしい。
 活動は主にシエナで。時代的にはすでに新しい画風様式が広まりはじめていたのだけど、ドメニコはちょっと古風なマニエリスムにこだわり続けた画家だった。

 聖ルチア(ルシア)とは何者なのか?
 西暦283年から304年頃に実在した聖人。
 ルチアの母エウティシアは長年下痢に苦しんでいたが、シチリアの聖女・アガタの噂を聞き、ミサに参加し、アガタの墓の前で病が直るよう一晩中祈り続けると、夢の中に聖アガタが現れて、エウティシアの下痢は回復したという。
 それからしばらくして、母エウティシアは娘のために婿を連れて来た。しかしその婿がキリスト教徒ではなかったから、ルチアは「私はすでにキリストと婚約していますから」と拒否した。
 当時はまだキリスト教迫害の時代。婚約を破棄された婿は怒って、「あの人キリスト教徒ですよ」と密告。ローマの兵士たちがルチアを引き立てにやってきたが、ルチアは「聖霊に満たされたために」どんなに手を引っ張ってもぴくりとも動かなかった。ローマ兵士は拷問として、ルチアの両目をえぐり取る。それでも奇跡が起きて、ルチアは目を見ることができたという。

 そういうわけで、聖ルチアが描かれるときは両目をお皿に載せている絵画が描かれるようになった。聖ルチアが正式に聖人になったのは6世紀のこと。ネットで「聖ルチア」と検索すると、Wikipediaの次に出てくるのが聖ルチア病院。現代では病院の名前になっている。

 という話しをWikipediaに書かれているままに書き写したけれども……昔の話しはよくわからない。ローマ兵士が引き立てにやってきて、奇跡が起きたというけど、結局ルチアは両目をえぐられて死んでいるわけで……。墓の前で一晩祈ったら下痢が治った……というエピソードも「なんだそりゃ」、という感じで。
 3世紀頃の記録なので、なんだかわからないことが多い。
 『死霊館』は一応、「実録ものホラー」ということでお話しが出発している。エド&ロレイン・ウォーレン夫妻は実在人物だし、アナベルの呪い人形も実在、エンフィールド事件も本当にあった事件。
 そのシリーズ3作目『エンフィールド事件』に登場する「あのシスターは何者なのか?」……それを掘り下げようというのが『死霊館のシスター』であるが……。しかし、シスターの元ネタなんてものは存在しない。ここで実録ものから離れた物語を作らなければならなくなった。シスターの由来をどこから持ってくるか……そこに苦心している様子が見て取れる。

 前作ではシスターは悪魔ヴァラクが尼僧の姿をしていた……ということだったが、(前作はなかったことにして)今作では設定が変更。シスターの正体は聖ルチアだった……ということになって再出発となる。
 ちなみに演じているのはボニー・アーロンズ。主にホラー映画でいろんな脇役を演じ続けている女優。『死霊館』シリーズでは亡霊シスターとして出演し続けている。

 前作の主人公、アイリーンはとある修道院で静かに過ごしていた。映画の中では4年前に起きた事件とされる、前作の聖カルタ修道院での惨劇は、修道女たちにとって「怪談話」として伝わっていた。暇な時間に聖カルタ修道院のできごとを怪談話として話して、みんなで怖がっていた。まさかアイリーンがその当事者だったとは知らずに……。

 アイリーンは静かな日々を過ごしていたけれど、イタリアの片田舎の修道院に、突如枢機卿が訪ねて来ます。最近、奇妙なできごとが起きている。修道士、修道女が次々に死んでいる。事件はルーマニアを出発し、西へ西へ進み、フランスに入ろうとしている。何かが起きている。アイリーンよ、調査に行くのだ……と指令が下る。
 それはいいんだけど、この人はなんでやってきてすぐに食事を始めたのだろうか。これから人と会うというのに。この映画に限らず、枢機卿っていつも何か食べているイメージだが……。

 一方その頃、フランスのとある学校。マダム・ローラン寄宿学校だ。元は修道院で、その後ワイン貯蔵庫になり、現在は女子寄宿学校になっている……という変遷を辿った学校だ。この設定には後半、意味が出てくる。
 引っ掛かったのはこの空撮ショットだが……。建物の形をよく覚えておいてほしい。

 中庭からの風景と一致しない。中庭の様子、窓の形、どれも違っている。
 たぶん空撮ショットは別のところ。空から見て「映える場所」を選んで撮影した……ということでしょう。
 寄宿学校の元になり、ロケとして使われたのは、冒頭の礼拝堂と同じくエクサンプロヴァンにある実際の修道院。

 でもたぶん、大部分のシーンはセット撮影じゃないかな……。
 というのもこの廊下のシーン、ほとんどのシーンで庭が見えないようになっている。庭まで作られているが、たぶんその反対側の風景が作られていない。作られていないところを見せないように、庭を見せない構図にしているんじゃないかな……。
 実際には庭を見せるシーンはあるけれど、たぶんカメラ位置を反転して撮っているんじゃないかと。

 こちらが実際の修道院で撮影された場面。

 こちらがたぶんセット撮影のシーン。
 中央に同じマリア像が建てられているが、よくよく見ると別の場所。窓の形も違うし、実際の場所ではあんなに蔓草が茂っていない。
 実際のロケ地を破壊するわけにはいかないので、シーンによってロケとセットを使い分けたんじゃないだろうか。

 マダム・ローラン寄宿学校に入って最初のシーン。不良生徒が校長にイタズラしてやろうとゴキブリを捕まえてます(こういう子嫌い)。
 地下貯蔵庫からスタートし、中庭をつっきて廊下に入り、階段を上がっていく……。これはそれぞれの場所がどういう連なりになっているかを説明している場面。セットはバラバラに作ってあるので、こういうところでどのように繋がっているかを見せている。

 さてその前半のシーンで、早くもモリースが悪霊に取り憑かれている場面を見せる。
 あ、そんなに早く見せちゃうんだ……。

 恐怖描写のポイントは階段。冒頭のシーンでも、階段がらせんになっていて、上下が見えなくなっている。学校のシーンの階段でも、奥の方が見えないようになっていて、そこに何かがいる……という見せ方になっている。いい見せ方だ。
 単に、セットの中に階段があったから活用しよう……ということだと思うが。

 今作の最大の見せ場は、やはりここ。本を売っている売店。風が吹いてきて、ページがぺらぺらとめくれ始めて……。

 雑誌に掲載されている画像が、偶然にも上下がぴたりと揃い始める。

 ぴったり合ったところが徐々に大きくなっていき……。

 最後にはシスターのシルエットになる。
 これ、どうやって撮影したんだろうか? CG? それとも実際の撮影? なんにしてもこれだけの雑誌を用意して、中の絵が合うように組み合わせて……作るの大変だっただろう。よくできているな……と感心した場面。
 これが恐怖描写かというと、どうなんだろう? という気はするけど……。でも面白いシーンなのは間違いない。
 ちなみにこの映画、第22回ビジュアルエフェクトソサエティアワードのフォトリアル長編映画における優れた効果シミュレーション部門にノミネートされている。
 マイケル・チャベス監督は前作『悪魔のせいなら、無罪』でもユニークが画面構成の場面があった。そういうトリック撮影にこだわるタイプなのだろう。

 今作が良かったポイントはライティング。どのシーンも光が美しい。画面はちょっと暗め、その中に差し込む白い光……これがなんともいえない高級感を演出している。

 この場面もうまい。
 この直前まで暗い恐怖描写があったところで、すっとドアが開いて、白い光が差し込み、少女たちが笑いながら駆け出していく……。恐怖描写が一転して救済に変わる。うまく作っている場面。

 ちょっと好きだったのが、校長の演技。どのシーンもばっちりポーズを決めながら台詞を言ってくれる。アニメみたいな演技。こんな人、現実にいたら面白すぎてずっと観察しちゃう。映画らしい誇張演技だ。

 ホラー映画はムードが大事。
 この場面は、フランスの路地で少年たちがサッカーを興じている……こんな日が落ちて、人がいなくなった時間にサッカーをやっている子供たちってシチュエーションとしてどうなんだ? という気はするが。でもこの場面を入ったとき、なんともいえないムードがある。すでに異世界に迷い込んだ、不穏さが漂う。
 幽霊なるものは現実にいない。現実にいないものを、いかに真実味を感じさせるか。映画の世界では宇宙人やとんがり耳エルフや、なんでも登場する。どのように物語や設定を作れば、こういった実在しないものを本当らしく表現できるか。その場面をどう描くかも大事。そういう意味で、この映画はよくできている。

 まとめです。
 『死霊館のシスター』第2作目。もともとはシリーズ3作目である『エンフィールド事件』に出てくるあのシスターはなんなのか? たぶん「単なるイメージ」でしかないキャラクターだったが、その後、シリーズの中にぽつぽつと意味ありげに登場するようになり、やがてエド&ロレイン・ウォーレン夫妻の宿敵っぽい雰囲気を持ち始めたが……。あのシスターの正体を巡る物語……というのが本作の趣旨。
 前作では「悪魔ヴァラク」だった……ということで落ち着いたが、なんかシックリこなかった。そこで改めて3世紀の聖人・聖ルチアのエピソードが掘り下げられ、その末裔が……という展開となったが。
(でも聖ルチアって結婚する前に拷問で死んでるけど……。その末裔って? 親族の末裔って事かな)
 あのシスターは何者なのか……それを掘り下げる探偵ものとしての側面を持っている。

 ただ「探偵もの」として見ると、いまいち導線が弱い。フランスの礼拝堂で幻視を見て、その後文書館へ行くと、なぜか全てを察している神父が事の真相をなにもかも話してくれる。
 たぶん、事件が起きたとき、この神父も何事かと調べていて、そこにアイリーンがやってきたから、調べていたことを全部話した……ということでしょう。でもここでお話しが一気に進みすぎていて……。もう少しその過程でヒントを出して、ここでまとめ……という形にして欲しかった気が……。
 文書館のシーンで映画の55分といったところ。お話しの転換点となっている。ここから後半戦に向けて、展開していく。

 ホラー映画の難しいところは、5~10分に1回は恐怖描写を入れなければならない。恐怖描写を入れると、物語が停滞する。観客が見たいのはまさにそこだから。恐怖描写をやるためには、映画のトーンは一回落とさねばならない。そこからもう一度物語を展開させて……とやるには、なかなか面倒くさいトーンの入れ替えをやらなければならない。
 恐怖描写をやりながら物語も展開する……。例えばフランスの少年ジャックからロザリオを渡されるが、恐怖描写と物語進行が同時に進められた。合理的に見えるが、描写が渋滞する。夜の、誰もいない小道で少年たちがサッカーをやっている……というシュールな光景になってしまった。それ自体も幻視だった……という説明にできなくもないけど。
 恐怖描写と物語進行の両立させる難しさが出ている。

 すこしテーマ的なものにも触れておきましょう。
 主人公アイリーンの“助手”として登場するのが彼女。デブラ。兄弟たちが軍隊に入ったから、娘は修道女だ……と単純な理由で修道院に送られてきた。しかしデブラは“信仰心”なるものを一切持っていない。現実主義者だった。

 キリスト教だけではなく、どんな宗教でも、儀式となるとあらゆるものが象徴化する。キリスト教の儀式ではパンがキリストの肉、ワインがキリストの血……ということになっている。これは“見立て”である。実際にはただのパンとワインだ。それをキリストの肉と血、ということにしましょう……というのがキリスト教の儀式。
 しかしデブラはあんなものは信じられない、と語る。

アイリーン「信じれば、ワインはキリストの血になるのよ。信じる心があるからこそ奇跡が現実になる」
デブラ「そうかもね」
 デブラには信仰心がない。危なくて連れて行けない。だからアイリーンは「帰りなさい」と言う。
「信じる心を見いだして」
 ついてきたいなら、せめて信仰心を持て。それが悪魔に抵抗できる唯一の手段なのだから。
 このやりとりが、映画のクライマックス、ワインで悪魔を葬る結末に繋がっている。最終的にデブラが信仰心を持つようになった……というのがドラマになっている。

 さて、結末。いきなりネタバレしますよ。
 戦いが終わった後、アイリーンはこんなふうに、ロザリオを持っている手を震わせる。この手の映画のこういう表現の意味といえば、「信仰の揺らぎ」。アイリーンの出自が明らかになり、戦闘シーンでは目が光るシーンがありました。
 ということは……もうおわかりですね。
 エンドクレジットにはいると、エド&ロレイン・ウォーレン夫妻が登場して電話を受ける。こうしてエンフィールド事件と繋がる。
 といっても、あんまり物語的な繋がりはなかったね。

 引っ掛かりはあるが、ホラーとしてきちんと作られた作品。途中にも書いたけれども、セットの作りとライティングが非常に高品質。修道院らしい暗さを清らかさの両方がうまく表現されている。これはホラーらしい雰囲気を作ることにもうまく機能している。
 すると引っ掛かりは展開で……。大枠の物語自体はこれで良いとは思うが、そこに至る展開で停滞したり、かと思ったら一気に進んだり、微妙に緊張感が足りなかったり……。ここでちぐはぐな印象になってしまったのが惜しい。
 見ている間は、「これは脚本が確定していない状態で撮影をはじめちゃったんでは……」と感じたが、脚本はしっかりできていたらしい。すると監督の「やりたい場面」がストーリー進行を圧迫させちゃった……というところか。
 そこに目を瞑れば、だいたいの面で「いい映画を観たな」と思わせてくれるホラーにはなっている。


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とらつぐみ
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