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映画感想 リズと青い鳥

 「青い鳥」は誰?

 業界屈指の存在感を誇る京都アニメーション制作の『響け!ユーフォニアム』が最初にテレビ放送されたのは2015年4月。最初の放送時の評判はさほど高くなく、Newtypeアニメアワードでも中間発表14位。ただ吹奏楽を描いた作品としての評価はすこぶる高く、高校吹奏楽部の内実を当事者なら「わかる」というほどに描き込んでいた。なにより凄かったのは楽器描写。ただでさえ描写の難しい金管楽器を1コマの手抜きなしで描き、演奏シーンの指使いは専門家も太鼓判を押すほどに正確。当時から「部活ものアニメ」としてのトップランナーとして君臨し、評価は放送後むしろ高くなっていったほどだ。
 アニメシリーズは翌年第2シーズンが放送され、さらに翌年には総集編が2編に分けて劇場公開された。その後、2019年4月に劇場オリジナル作品として、主人公黄前久美子2年生になってからの活動を描いた『響け!ユーフォニアム 誓いのフィナーレ』がある。今回取り上げる作品はそのちょうど1年前2018年4月に公開された同シリーズの『リズと青い鳥』だ。
 『リズと青い鳥』の立ち位置はやや微妙で、タイトルに『響け!ユーフォニアム』を掲げていない。メインストーリーから独立した作品となっていて、テレビシリーズを知らなくても楽しめる……という作品になっている。シリーズの主人公である黄前久美子はほんのちょっとしか出てこない脇役になっているし、キャラクターデザインや画面のスタイルもまったくの別モノになっている。ただし、テレビシリーズを知っていないとわかりづらい部分もあるし、『リズと青い鳥』で悪戦苦闘した演奏が『誓いのフィナーレ』で完成する……という構成になっている。完全な“スピンオフ”にはなっていない……というのが本作の微妙な立ち位置。
 ただ独立した作品としては正統派続編よりも存在感は大きい。テレビシリーズの続きとして作られたはずの『誓いのフィナーレ』がかすんで見えるくらいに精錬された1本である。
 監督はメインシリーズではシリーズ演出を担当していた山田尚子が務める。『けいおん!』『たまこラブストーリー』、本作の後には『平家物語』を制作し、今のところハズレが1本もないヒットメーカーである。
 作画監督を務めるのは西屋太志。私の最も好きな京アニ作品『氷菓』のキャラクターデザイン。山田尚子のコンビ作としては『聲の形』の作画監督を務めたアニメーターだ。脚本は吉田玲子。音楽は『聲の形』『平家物語』でも山田尚子とコンビを組む牛尾憲輔。
 座組を見てもわかるように、作画、脚本、音楽すべてテレビシリーズから変えられている。制作自体は京都アニメーションと変わらないのだけど、メインスタッフが変わったことによって作品のテイストは大きく変わっている。その違いを楽しむのも味わい深いだろう。

 では前半のストーリーを見ていこう。


 日曜日の朝、鎧塚みぞれは傘木希美と一緒に学校へとやって来ていた。
「わっ、なにこれ。めっちゃ青い。きれい……」
 希美が手に取ったのは青い羽根だった。
「ほらあげるよ」
「……ありがとう」
 希美が差し出す青い羽根を、みぞれが受け取る。
 音楽室にはまだ誰もいない。静かな空間の中に、椅子と譜面台だけが一杯に並んでいた。鎧塚みぞれと傘木希美はそれぞれの席に座り、自分の楽器を用意する。鎧塚みぞれがオーボエで、傘木希美がフルート。
 2人はならすように演奏を始める。曲は『リズと青い鳥』。次のコンクールでの自由曲だ。
「この曲、めっちゃいいよね。これが自由曲なの、すっごい嬉しい。みぞれはこの曲、知ってた?」
 演奏を終えて希美は楽しげに話しかけてくる。
 みぞれは淡々と「知らない」と答える。
 すると傘木希美は絵本を取り出し、話を続ける。
「リズっていう、ひとりぼっちの女の子の話。ずーっとひとりぼっちだったリズのところに、ある日、知らない少女がやってくるの――」
 そんな話を聞きながら、鎧塚みぞれは傘木希美との出会いを思い出していた。

 その日の練習を終えた後、部活のみんなはなごやかな時間を過ごしていた。傘木希美は同じフルートの女の子達と楽しげに話をしている。鎧塚みぞれはその様子をすこし離れたところから見ていた。
「ばあ」
 と目の前に女の子が現れる。同じオーボエの……剣崎梨々花だ。1年生の子だ。
「お疲れ様です。あそこいつも賑やかですね。まるで小鳥たちのさえずりのよう……なんちゃって」
 それから剣崎は少し間を置いて、切り出しにくいみたいに、
「先輩。今度ファゴットの子達とダブルリードの会をするんですけど……。いや、まあ行っても帰りにお茶するだけなんですけど……。鎧塚先輩も一緒にどうですか?」
 しかし鎧塚みぞれは呟くように「私はいい」と断るのだった。


 ここまでで前半の20分ほど。
 一見するとなにも始まってないかのように見える。でもちゃんとお話しは始まっている。あらすじを見てもただ日常的なやりとりにしか見えない。それはこうした「あらすじ」では書き出せないようなものを描いているからだ。

 細かいところを見ていこう。

 オープニングが終わったところで、「dis joint」という文字が出てくる。どういう意味の言葉なのだろう……私は普通に翻訳を確認するつもりで検索すると、なんと「素集合」というWikipediaのページが出てきた。
 その説明を引用しよう。

2つの集合が交わりを持たない (dis joint) あるいは互いに素(たがいにそ、英語: mutually disjoint)であるとは、それらが共通の元を持たぬことをいう。一般に、与えられた集合族が互いに素、あるいは素集合系であるとは、その集合族に含まれるどの2つの集合を選んでも、それらの選び方によらずそれらが常に共通部分を持たないことをいう。

 映画の途中、授業風景が描かれるが、まさにこの「素集合」の話をしている。

先生「例えば2と3。4と5のように最大公約数が1以外のときの共通した約数がない関係、そのような2つの数字。これを“互いに素”というわけです」

 ネタバレになるが、映画の最後、とあるキャラクターのノートにも「素集合」が書かれている。ただし、映画の最後で「ある問題」が決着した後なので、「xyは共通一素因数Pを持つ」……つまり「2つの集合が交わらない素」ではなく、「共通する素」を持っている、ということを証明する式になっている。

 Wikipediaを見ると、「素集合」の説明としてこんな図が示されている。
 すでに映画を観た人ならピンと来るが、この「赤と青」のカラーはそのまま鎧塚みぞれと傘木希美の瞳の色になっている。

 ただし瞳の奥をよーく見ると、お互いのメインカラーが差し色として入れられている。2人は「交わらない素」だけど、実は……ということがほのめかされている。

 この「dis joint」が作品の大きなテーマになっている。これを頭に置いておくと、作品が理解しやすくなる。
 鎧塚みぞれ、傘木希美……一見するといつも一緒にいて、わかり合っている関係……に見えて、実は「共通項」がぜんぜんない。中学生の頃、鎧塚みぞれに「吹奏楽部に入ろう」……と誘ったのは傘木希美で、それ以来鎧塚みぞれは傘木希美を「自分に音楽を与えてくれた」と特別視するのだけど、実は傘木希美は他の誰にでも声をかけていた。傘木希美にとって鎧塚みぞれは吹奏楽部の中の、たくさんいる女の子の1人でしかなかった。
 ずっと鎧塚みぞれの片想い。鎧塚みぞれは傘木希美に歩み寄りたいけれど、内向的すぎる性格ゆえにどうしていいかわからない。傘木希美は鎧塚みぞれのそんな気持ちに気付かず、「無自覚な無神経さ」を発揮してしまう……。

 オープニングのワンシーン。鎧塚みぞれと傘木希美は映画を通して、2人が並ぶ場面がほとんどない。いつも立っている位置が違う。
 傘木希美はいつも数歩前を、胸を張って、大きな歩幅で歩いている。その後ろを鎧塚みぞれは背中を丸め気味に歩いて、後ろ姿を見ている。

 傘木希美の後ろ頭を見ると、ポニーテイルがリズミカルに跳ねている。もちろん普通に歩いていて、ポニーテイルはこんなに揺れないので、キャラクターを表現するための誇張表現。活動的な傘木希美を、鎧塚みぞれは羨望の眼差しで見続けている。

 こちらもオープニングのワンシーン。カット構成を見ても、鎧塚みぞれと傘木希美が同じ場所にいるように見えて「別領域」という感覚が表現されている。2人の行動がわざわざ別のカットで描かれているし、こちらのカットでは同じカットなのに、傘木希美がわざわざフレームアウトしてから鎧塚みぞれがフレームインするように描かれている。まるで「違う領域」にいるかのように表現されている。
 このように、すぐ側にいるのに、徹底して一緒の構図に入れずに描いている。2人の関係が「交わらない素」であることが表現されている。

 と、この映画は台詞に出てこない要素だらけなので、あらすじだけを書いても「どんなお話し?」となってしまう。こういう「行間」をしっかり見ないと駄目なタイプの映画。ちゃんと映像で語っている映画なので、しっかり画面を見ていたい。
 そういうわけで、今回の感想文も「ネタバレあり」で話を進めていく。

 台詞に出てこない……といえば主人公の鎧塚みぞれというキャラクター。鎧塚みぞれは全体を通して無表情。自分の内面を独白する場面もほとんどない。
 そんな鎧塚みぞれの感情を読むポイントの1つめが「足」。足に感情が現れる……というのは山田尚子監督が最初の作品『けいおん!』からやっていることで、「顔や手は嘘になる。本音が出るのは足」……というようなことを語っているのを見たことがある。
 これは確かにその通りで、人間は表情や上半身の体の動きは自分の頭でコントロールできる。アニメではわかりやすくするために表情や手元で表現する……というのはよくあるけど、リアルな背景の世界観でそれをやると描写が嘘くさくなる。そこで、とっさの時に本音が出るのが「足」。人は緊張したり不安を感じたりすると、まず足に出る。嬉しいときも足に出る。足がもっとも本能的な感覚を映しやすい。
(とか言いながら、私も山田尚子監督が語っているのを見て、初めて「その通りだ!」と気付いたんだけど)

 もう一つの鎧塚みぞれの癖がこれ。髪を掴む仕草。
 鎧塚みぞれの心が動くとき、表情に出ない代わりに「髪を掴む」という仕草をする。どうやら左の髪を掴むと「肯定」や「感動」を現し、右の髪を掴むときは「不安」や「否定」を現しているらしい。
 ただこういう癖について、傘木希美は気付いていない。鎧塚みぞれが髪を掴む仕草をしているのに気付かず話を進めようとするし、作中でも「よくわからない子」と言ったりしている。

 鎧塚みぞれの微細な感情の揺れに気付いているのはこの子、吉川優子。
 テレビシリーズ第2期を見た人なら憶えているかと思うけど、吉川優子はもともと鎧塚みぞれに片想いしていた女の子。しかし鎧塚みぞれと傘木希美の強い結束を見て、そっと身を引いた。今でも鎧塚みぞれのことは気にかけていて、ほんの些細な感情の揺れにも真っ先に気付く。
(ある意味で、鎧塚みぞれには無自覚な「魔性」の側面があるといえなくもない)
 吉川優子といったら、中世古香織先輩じゃないか……と思われそうだけど、中世古香織に対する感情は「憧れ」と「尊敬」。アイドルに対する崇拝みたいなもの。吉川優子にとっての本命は鎧塚みぞれだった。
 吉川優子の本命は、その後いつも側にいる誰かさんに移っていっているようだけど……。

 番外編がこちら。鎧塚みぞれが微笑むとこういう顔になる。
 ただこれは正しくは「微笑む」ではない。鎧塚みぞれは感情を表情に出すのが極端に下手……なので楽しいことがあっても表情に出ないし、声を上げて笑うこともできない。これはどういうときの表情かというと、「幸福」を感じているときの顔。幸福を感じているとき、こんなふうに目尻が下がって、微笑んだような顔になる。
 いい表情だ。

 ここまでが作品を見るときの「基礎編」。次からは物語を掘り下げていこう。

 傘木希美の普段の様子はこのとおり。まわりにはいつも友達が一杯……。傘木希美にとって鎧塚みぞれはたくさんいる友達の1人でしかなく、同じ中学校の出身で、吹奏楽に誘った仲だからいつも一緒にいるけど、別に特別な1人でもなんでもない。そこで「無自覚な無神経さ」を発動してしまう。

 鎧塚みぞれはそんな傘木希美たちのグループに加わることができず、いつも遠くから見ているだけ……。
 そんな鎧塚みぞれの前に現れるのが剣崎梨々花。
 名前が面白い。「鎧」に対して「剣」の名前が当てられている。作中でも何度か「鎧」と「剣」を言い間違える下りがある。「鎧」と「剣」で2人の関係性にカップリングが作られていることが示唆されている。
 鎧塚みぞれにとって剣崎梨々花はどういう人物なのか?
 鎧塚みぞれは極端に内向的な性格であるため、自分から誰かに声をかけたり……ということができない。だからといって「人嫌い」というわけではない。ずっと声をかけてくれる誰かを待ち続けている。それをやってくれたのが剣崎梨々花。

 鎧塚みぞれは同じオーボエ担当の後輩を、きちんと面倒を見るようになっていく。鎧塚みぞれは別に人嫌いなわけではなく、こんなふうに慕ってくれる誰かがいたらちゃんと面倒を見る。楽器の手入れの仕方について教えたりするし、落ち込んでいるときは遊びに誘ったりもする。人嫌いなわけではなく、単に切っ掛けを掴めないだけ。感情がないわけではなく、ちゃんと人並みの人情を持っている。ただ表情に出ないだけ。

 でも剣崎梨々花は鎧塚みぞれと傘木希美という関係性の中には入っていけない。オーディションに落ちてしまい、コンクールで一緒に演奏できない……ということは2人がいる「土俵」には入っていけないということ。
 では剣崎梨々花の役どころはなんなのか……というと極端に人付き合いが下手で切っ掛けが掴めない鎧塚みぞれが傘木希美に近付く切っ掛けを掴むこと。鎧塚みぞれが最初の関係性から一歩進み出す切っ掛けを作り出すためにいる。

 さて、本作のモチーフになっているのはタイトルにもなっている『リズと青い鳥』。
 お話しの始まりでは鎧塚みぞれが「リズ」、傘木希美が「青い鳥」……というように描かれているが……。

 鎧塚みぞれが1人練習するときはいつもこの教室。背景を見ると鳥の剥製に骨格標本……。別の生物もいるけど、鳥が中心。窓際に水槽が置かれているが、これは「鳥かご」のイメージを組み替えたもの。透明な水槽はクローズアップで見ると「空を泳いでいる」ように見えるでしょ。
 この描写からわかるように、鎧塚みぞれがいる場所は「鳥かご」の暗喩。「いつも1人でいる小鳥」……が鎧塚みぞれに当てられているイメージ。

 面白い場面としては、剣崎梨々花は傘木希美に相談に乗ってもらった後、お礼として「卵」を差し出している。「鳥の卵」だ。生まれる前の鳥。傘木希美や鎧塚みぞれがまだ生まれる前の、胎児の中にいる状態……という示唆だけど、それをちょっと面白く表現されている。

 あるとき、鎧塚みぞれの鳥かごに新山先生がやってくる。「音大に行かないか」……という誘いだった。

 その話を聞いたとき、傘木希美は「あっ」となる。
 しばらくして新山先生が音楽指導員として再び学校へやって来たときに、傘木希美は探りを入れるように「私、音大を受けようと思うんだけど……」と切り出している。新山先生は「あら、そう。がんばってね」くらいの反応。
 それで傘木希美は確信してしまう……自分には「才能がない」と。鎧塚みぞれは高校卒業もプロとしてやっていくだけの実力と伸びしろがある。それは先生の目で見てもわかるくらい。そういう先生の客観的評価を確かめて、傘木希美は急速に焦る。

 モチーフとなっている『リズと青い鳥』を見てみよう。
 このお話は「見るなのタブー」型のお話しだ。日本の民話で有名な物語でいえば『鶴の恩返し』。最初にあるものについて「見るな」と注意されるのだけど、それを見てしまったために、それが持っていた魔力を失ったり、恩恵が受けられなくなったりする物語の形式だ。
 もう一つ、どうやら「青い鳥」はある「呪い」をかけられているようだ。それは「リズの望むとおりのことをする」……ということ。
 青い鳥はリズを愛している。だからリズが望んでいることをし続ける。リズが寂しがっていたらずっと一緒にいる。望むとおりの話をする。
(ここで同衾しているところで「性」の匂いがする。この作品は慎重に性的な描写を外して描かれているが、言下にそういう関係性もあることが示唆されている)
 しかしリズは間もなく少女の正体が「青い鳥」であることに気付く。平凡な自分が家にとどめているせいで、青い鳥が本来持っている力を発揮できなくなっている……。そこでリズは「かご」の扉を開き、「さあ飛び立ちなさい」と呼びかける。

 演奏シーンに入ると、オーボエとフルートのパートは整っているように見えて、どこか情緒に欠ける。オーボエとフルートは「リズと青い鳥」を現していてるのだが、そのオーボエとフルートが対話しているように聞こえない……と滝先生は指摘する。

 この人の耳もごまかせない。高坂麗奈は鎧塚みぞれの演奏を聴いて、すぐにあることに気付き、本人に指摘する。

「なんか、先輩の今の音、すごく窮屈そうに聞こえるんです。わざとブレーキかけてるみたいな。たぶん、希美先輩が自分に合わせてくれると思ってくれてないから」

 相変わらずこの子は遠慮がありません。意訳すると、「本気出してないでしょ。“下手な同級生”に合わせるために」。
 テレビシリーズ第1期の頃よりまだ言葉を選ぶようになったけれども……。それでも相手が言って欲しくないことをズカッと言ってしまう。

 鎧塚みぞれはずっとコンクールの本番なんて来なければいい……と思っている。時間が進んでしまったら「鳥かご」の中にいる今の状況が終わってしまうから。テレビシリーズの時はコンクールの本番みたいな緊張に耐えられない……という理由だけど、劇場版では理由が変わっている。高校3年生になって、間もなくずっといた友人と別れなければならない。だからずっと時間が進まなければいいのに……。
 鳥かごの扉は開いている。でも飛び立てない……それが鎧塚みぞれの現状。

 そんな鎧塚みぞれの前に、新山先生がやってくる。ここからは「カウンセリング」の場面。
 どうして鎧塚みぞれは本気を出して演奏できないのか……それは『リズと青い鳥』の結末を受け入れられないから。リズの元を離れる青い鳥の気持ちがわからない。
 鎧塚みぞれはずっと自分がリズだと思っていた。でも実は……。では自分が「青い鳥」だったとして、自分はどうしたいのか。

 ずっと「交わらない素」だった2人が、はじめて一致する瞬間。

 葛藤を乗り越えて、鎧塚みぞれはやっと“本気”でソロパートを演奏する。

 それを聞いて、圧倒的な格差に気付いて愕然とする傘木希美……。友人は「羽ばたいた」のだ。そのことに気付いて、自信を失っていく。

 その演奏シーンに挿入される絵がこれ。
 これは「デカルコマニー」という技法。片側だけに絵具を付けて、紙を折りたたむ。すると左右対称の絵ができあがる。
 この絵が出てくるのは「対称性」のなかった2人がはじめて交差する瞬間だから。「交わらない素」だったある2人が「交わろうとしている」状態を表している。

 でも実は「青い鳥」は1人ではなく……。

 鎧塚みぞれが青い鳥の気持ちに気付いた時、イメージとしてたくさんの青い鳥が表れる。

 学校風景を見ると……あれ? ここって女子校だっけ? いやいや共学です。アリバイ程度に男が描写されてるけど、全体を通して見ても男は両手で数えられるくらいしか出てこない。つまり、この学校という環境自体が「閉ざされた鳥かご」ということ。その閉鎖性を描写している。
(ここまで少女の感情に密着しているのは、山田尚子監督に同性愛傾向があるから……だけど)
 この子達みんなが「青い鳥」。この子達みんなが羽ばたく将来……そういうつもりで最後にはたくさんの青い鳥が描かれている。

 最後の場面。葛藤を乗り越えた2人。窓の外に青い鳥が飛び立つ。
 作中、何度も青い鳥が出てくるのだけど、まるでフレームの中に閉じ込められているようにじっとしているし、鳥かごを思わせるシルエットの中だけで羽ばたくだけ。最後のシーンでようやく、パッと飛び立つ場面が描かれている。
 つまり、鎧塚みぞれも傘木希美も「青い鳥」だった。最後の場面でやっと飛び立てた……ということが示唆されている。

 実はこんな感じに飛び立っている鳥が描かれているシーンがもう一つ。こちらは黄前久美子と高坂麗奈の2人が、オーボエとフルートのパートを演奏した直後。黄前久美子と高坂麗奈はすでに飛び立っている……。鎧塚みぞれは2人が持っている「解放感」に気付き、そっと窓を閉じている。「自分はまだ鳥かごの中」……まるで自分から鳥かごを締めるみたいに。
 自分から鳥かごの扉を閉めちゃうような子が最後には飛び立つ……それまでのお話し。

 鎧塚みぞれが自分で飛び立てるようになった後は……。映画の冒頭では傘木希美が上、鎧塚みぞれが下……という描写だったが、最後には反転している。鎧塚みぞれが上。鎧塚みぞれが導いて、傘木希美が支える……という立場に変わっている。本来こうあるべきだった、という形になっている。

映画の感想

 と、こんなふうに少女の微細な感情の揺れ動きを、どこまでも丁寧に捕らえた作品。あまりにも繊細な描写なので、「あらすじ」だけを書き出しても、物語が動いているように見えない。「行間」を読まないと作品が何を語ろうとしているのか見えてこない作品だ。観ても「どういう物語だったんだ?」とわからなかった人もきっといるだろう。

 この映画の台詞にならない声を完璧に代弁しているのが絵。線が繋がっていない。全体的に淡く、ふわっと描かれている。

 特徴の1つ目が髪の毛の表現。線が現れたり消えたり……あえてわかりやすい一貫性を崩している。わざと曖昧な表現を絵に入れ込むことで、作品が持っている「少女の繊細さ」が表現されている。

 カットの構成は山田尚子監督らしい、モンタージュ的な点描とポンポンと編集で積み上げていく感じ。一つ一つでは意味は薄いけど、連なっていくと重層的な意味が現れてくる。まるでドキュメンタリーのような構成方法で作られている。

 すでに取り上げたけれど、オープニングシーンで鎧塚みぞれは傘木希美のポニーテイルの動きをじーっと見ている。この描写にも嘘が入っている。普通に歩いていて、こんなふうにポニーテイルが揺れ動くはずはない。傘木希美のキャラクター性を表現するための誇張表現になっている。こういう「絵」で「それはなんであるのか」、が的確に表現できているところが良い。

 もう一つの特徴が体のシルエットに対し、首や手足が極端に細く描かれている。首の長さにしても、現実的にいうとあり得ない。
 どうしてこんな描き方なのかというと、この子達は「青い鳥」だから。シルエットで「小鳥」がイメージできるように描かれている。
 映画のある場面で振り向く瞬間に、大袈裟にスカートがバッと翻る場面があるけど、あれは「羽ばたき」の表現。
 青い鳥は誰のことなのか――要するにこの子達みんなが飛び立つ前の青い鳥。それがキャラクターデザインの段階で織り込まれている。
 色彩も良い。全体を見ても淡い。色の明暗がほとんどわからないくらい、画面が白い。微細な色の差のみですべてが表現されている。影も最小限にしか描かれていない。影が描かれてないのに、のっぺりもしていない。テレビシリーズ版がくっきり塗り分けられていたので対象的な画の作り方だ。
 これも少女達の微細な感情の揺れ動きの表現。キャラクターから色彩から画面構成まで、すべて一つの思想で作られている。

 映画の予告編見たときから「うわっ、凄い」と感じてはいたけど、実際の作品を見るともっと凄かった。
 ただひたすらに繊細で静謐。「閉ざされた美」の表現。ずっとあの中に留まっていたい……そんな居心地さがあると同時に、そんな場所からもいつか旅立っていかなければならない少女達の成長が描かれている。
 それが「絵」で最初から表現されていることの凄さ。ただのアニメではない。独立したアートとしての強さを持っている。あまりにも存在感が強すぎて、本編シリーズがかすんで見えてしまうくらい。

 ただ、引っ掛かりどころが2つ。

 『リズと青い鳥』が挿話として描かれているが、その風景描写が妙にふわっとしている。児童文学ふうの表現なのはわかるが、それにしても絵がのっぺりしている。
 特にこの草原のシーン。草原の坂道が描かれているのだけど、距離感や立体感が表現されていない。坂道がどこまで続いているのか、その空間が読めない。変に記号的な表現になっている。雲の動きが速く、キャラのなびきも強めに描かれているけども、草の動きがまったく表現されていない。絵を見ていてこの空間に動いている風が感じられない。
 アニメ本編との質感の差異を作るため……それはわかるのだけど、むしろここは絵として構図をバチッと決めて行ったほうがよかったんじゃないだろうか。

 もう一つの気になるところは、新山先生のカウンセリングの場面。
 ここまでキャラクターの台詞に頼らず、ほんのちょっとしたニュアンスや行間……「画」で表現されてきたのに、ここだけ「台詞」で表現されちゃっている。ここの表現だけ「映画」らしくないんだ。
 ここはもう一歩、「画」でのみ表現して欲しかったところ。重要な心理的変遷を描く場面だけに、惜しく感じられる場面だ。

 2015年から制作されてきた『響け!ユーフォニアム』シリーズの中でも特異な一本でありながら、「最高の1本」になってしまった本作。スピンオフであるのに関わらず、『響け!ユーフォニアム』シリーズが持っている本質を完璧に表現しちゃった。この先、これ以上の映像を作り出せるの……? というくらいに。ストーリー、表現ともに最高クラスの1本。
 それに、鎧塚みぞれと傘木希美の2人がちゃんと“人間”に見える。テレビシリーズでは“アニメキャラクター”という感じだったが、この作品で2人が人間になった。
 同時に山田尚子監督が『けいおん!』以来描いてきた「少女性」の極地も表現された作品。現時点での山田尚子監督作品の最高傑作だ。とんでもない人だ。この人こそ、「青い鳥」なのだろう。


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とらつぐみ
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