「対話のことば」について 新たな理解 ストラテラ服用日記647日目
「対話のことば」についての3回目。最終回。
今日は新たな理解について。
結局は、これがオープンダイアローグの「効果」ということになるのだと思う。
治療でもないしカウンセリングでもないが「新たな理解」が自分の中に芽生える。新しい世界が広がる。今までと違った景色が見える。
新しい発見の場合もある。今まで認識していた意味が変容する場合もある。認識が広がっていく場合もある。
逆に混沌になる場合も。
色々な形で「新たな理解」が浮かんでくる。
質のいいオープンダイアローグを行ったときは、心地よい疲労感みたいなものを感じる。これは自分が相談する人でも相談を受ける人でも同様にある。
場の共感性というのも重要だ。人によっては連帯感ともいうかもしれない。
共感し、たくさんの「新たな理解」が見えてくるような対話ができると心地よい疲労感のようなものが得られる。
オープンダイアローグで興味深いのは、これを目指そうとすると到達できないところだ。
こうあるべき、こういう風にしたいという恣意が入るとその対話は上手くいかない。結論の無い「不確実性に耐える」過程を経なければ到達できない境地だ。
「不確実性に耐える」と「こうあるべき」は真逆の考えだ。少なくとも今まで私が行った対話の中でこの二つが同時に存在することはない。
不確実性や混沌を受け入れる寛容さを持たないと対話の質は上がらない。
うん。こういう奥深さに惹かれているんだなと自分で確認できた考察でした。