見出し画像

映画『時々、私は考える』と、"見た映画を後から思い返す"ことについて。

映画を見終わったときに、「よくわかんなかったな…」「イマイチだったな…」って感じたとしても、後からその作品のことを思い返しているうちに「いや、わりと好きかも…」とだんだん思えるようになることがある。さらに何度も思い返しているうちに、その作品が愛おしくなっていく。もはや忘れがたく感じられて、抱きしめたくなったりする。

この『時々、私は考える』では劇中、主人公フランが、見た映画に対してまさしくそのようなプロセスを辿る。

そしてそのフランのプロセスを、実際に我々観客が後からこの『時々、私は考える』という映画を思い返すことで気づき、より一層愛おしく思えるという、二重に映画の本質が味わえる素晴らしい作品だった。


『時々、私は考える』はレイチェル・ランバート監督作品で、主演が『スターウォーズ』新世代3部作のジェダイ役でおなじみ、デイジー・リドリー

そのデイジー・リドリー演じる主人公のフランは人づきあいが苦手な社会人女性。家と職場を往復するだけの平凡な日々。同僚の輪に踏み込めず控えめに片隅に佇んでいる。そして時折、自分の死のイメージに耽ることだけが趣味の人。

そんな彼女がある日、定年退職した同僚に代わって入社してきたロバートと2人で映画を見に行くことになる。鑑賞後、ロバートが「いま見た映画はどうだった?」と問う。するとフランは「良いところなんてひとつもなかった」と素っ気ない。

その後に、ひょんなことからフランがいつも空想していた死のイメージを、現実にみんなの前で演じる機会が訪れる。これがさりげなくも独創的な演技で、周囲からの賞賛という思ってもみなかったポジティブなフィードバックが返ってくる。

このような体験を経て、ラストシーンでフランはロバートにこんなことを言う。

「あの映画がどんどん好きになってきてる」

"見た映画を後から思い返す"ということ

映画は見て終わりではなく、見終わって時間がたった後に思い返すことが、実は最も映画的な行為だ。

別の作品ではあるが、ライムスター宇多丸さんが『aftersun/アフターサン』評の中で、見た映画を後から思い返すことについてこんなことを言っている。

「映画」というのは、ある一定の画と音の連なりを一通り受け取った「後」から、振り返ってそれらを思い起こして、それで各々が「うん、このひと連なりの音の画はこういうものだったよな」と脳内で再解釈、再構成、再物語化したもの……そこに立ち上がってくる全体像のようなものが、我々が普段話している、「映画」という体験ですよね。

ムービーウォッチメン『aftersun/アフターサン』評より

脳内で再解釈、再構成、再物語化する。それが映画という体験。

この「再解釈、再構成、再物語化」をもう少しだけ踏み込んで言うと、つまりは見た映画作品と、自分固有の経験や記憶、視点を結びつけて、その人独自のナラティブをつくりあげることである。

フランはおそらくこれまで経験してきた固有の実体験や、その経験を通して湧き上がってきた感情、得られた視点をうまく肯定できていなかったのではないか。それを突きつけられたように感じて、自分にイライラしてあのような態度をとってしまった。

ただそのあとに、いつも空想ばかりしていた死のイメージを、現実の世界で実際に演じて見せることができた。これがフランにとってのささやかな、しかしかけがえのない成功体験となった。

フラン固有のささやかな成功体験と自己肯定感が、見た映画と後から結びつくことで、その作品をどんどん好きになっていったのだ。それはつまり自分をどんどん好きになっていくことでもあった。

時々、私は映画について考える

私自身もこの映画を後から思い返していて、好きだな、愛おしいなと思う場面や要素がどんどん湧き上がってきてる。例えば以下のようなもの。

▪︎オレゴンの海沿いにある田舎町の、素朴な趣のある風景や街並みを捉えたショットの数々。
▪︎合間に差し込まれる空想シーンの作りこんだファンタジックなビジュアル。
▪︎これまでずっと自分の感情を抑圧してきて、感情の表し方がもはやわからなくなってしまった人の泣き方するジェダイ(フラン)。
▪︎そんなフランの心の隙間に、ウィットに富んだチャットのやり取りでスッと入り込む、やり手感ダダ漏れするロバートの鼻持ちならなさ(褒めてます)。
▪︎そこレコードじゃなくてCDなんだ!?と思わせといて、一周まわってやっぱり消せないロバートの鼻持ちならなさ(もちろん褒めてます)。
▪︎フランの繊細な神経のひだに障る発言しちゃう時もあるけど、基本は善良で好い人たちな同僚(フランも理屈ではわかってて心底嫌いではなさそう)
▪︎「ちゃんと生きるのって難しい」というパンチライン。
▪︎「悲しいコーヒーを知ってる?ブルーマウンテン…」という裏パンチライン。
▪︎現実の素朴なありふれたものとファンタジックなものが融合した見事なラストショット。
▪︎エンドロールのあの曲。
▪︎蔦をモチーフにしたお洒落なビジュアルポスターのアートワーク。
などなど。


尚、この映画の原題は『Sometimes I Think About Dying 』。直訳すると「時々、私は死ぬことについて考える」となるが、あえて邦題を「時々、私は考える」とした判断が本当に見事。

なぜならこの作品を後から思い返したときに、フランはきっと「時々、私は映画について考える」ようになったのだろうな、と、思える余白が残されるから。

うん、やっぱり私も『時々、私は考える』という映画がどんどん好きになってきてる。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?