"一番大事な音を叩かない映画"について語るときに僕の語ること
映画のクライマックス。
ぐわぁぁーっとエモーショナルにグルーヴが加速してどんどん高まっていく。いよいよ最後の最後に、観客みんなが期待する待ちに待ったあのセリフが遂にぃぃぃっ…?
聴こえない…。
あるいはエモーショナルなシーンを盛り上げるように鳴っているBGM。いよいよ大サビ。みんなが待ち望んでいたあのキメのフレーズが遂にぃぃぃっ…?
鳴らされない…。
映画を観ていて時々このような身悶えする体験をさせられることがあるじゃない。
いま公開中の藤井直人監督の最新作『正体』でもそうだった。
殺人事件の現場に居合わせていたことで逮捕されてしまった鏑木慶一(横浜流星)の逃亡ロードムービー的な作品。藤井監督の前作『青春×18 君へと続く道』を思わせる知らない土地で出会った人との心温まる交流や、横浜流星七変化を楽しみつつ、お膳立てが整ったクライマックスの裁判のシーン。さぁ、いよいよ待ちに待ったあの一言を、裁判官よバシッとかましてくれぃ!ってドキドキしてると、そのワードを言う箇所だけ無音になっちゃう…!
うわ、でたコレ…なんて思いつつも、まんまとそのワードを快哉とともに思いっきり心の中で叫んじゃってる自分自身に気がつく。
このような最もエモーショナルが昂ったシーンで、誰もが期待するセリフをあえて聴かせない。誰もが鳴らして欲しい音をあえて鳴らさない。そこだけぽっかりと無音にする、いわば休符を置く演出。
こういう映画の演出に出くわすといつも思い出すのが村上春樹のこのことば。
インプロビゼーションの演奏がループしながら徐々にグルーヴがうねって高まっていく。エモーショナルな昂りが頂点に達すると同時に繰り出される渾身の一打!のはすが…
あえてそれを鳴らさないパーカッショニスト。
すると聴いている側の脳内で、それを補完すべく思いっきりその一打を刻んじゃう。というか刻まざるを得なくなる。これによって感動が一層増幅する。リズム的に最も気持ちいい音が与えられないからこそ、むしろ強烈にその演奏が灼きつけられてしまう。不快なはずがむしろ快感になっちゃう。このような人間心理の要諦を、村上春樹流の粋なパンチラインで述べているのである。
まぁ、早い話し、焦らし上手になれってことw
で、これは音楽だけでなく映画にも当てはめることができると思っている。
なので肝心なシーンで無声、無音になる演出がされている映画作品を
「一番大事な音を叩かない映画」
と勝手に呼ぶことにしているw 本当は
「優れたパーカッショニストは、一番大事な音を叩かない映画」
とフルで呼びたいがちょっと長いw かといって
「優れたパーカッショニスト映画」
だと、ワード自体はキャッチーだが本来意図してる意味が伝わりづらくなるw 仕方がないから消去法で「一番大事な音を叩かない映画」とする。
最近この「一番大事な音を叩かない映画」によく出くわすなと感じるので、それらをピックアップしたい。
ブックスマート 卒業前夜のパーティデビュー
まずは軽めなやつから。
2019年公開のオリビア・ワイルド監督作品。エイミー(ケイトリン・デヴァー)とモリー(ビーニー・フェルドスタイン)が主人公の青春映画。
この作品の中盤、エイミーとモリーがプールで泳ぐシーン。このプールのシーンはマジで全部素晴らしいんだけど、プールから上がった後に2人が激しく口論しだす。ヒートアップしたモリーが最後の最後に放つある一言。ここを無声にして、口の動きだけを強調させる。いまモリーが決定的なこと言ったな…ってのがより伝わってきて、2人の間に深い亀裂が入ったことを鮮明に感じさせてくれる。
ちなみにこの作品、悪役っぽいキャラもいるはいるが、みんな必死で生きてるティーンなんだって感じさせる愛のあるまなざしが感じられる作品。エンドロール前の水風船顔面破裂の連続ショットも茶目っ気あって最高!現代的なアップデートがなされた青春映画としてめちゃくちゃお薦め。
aftersun/アフターサン
2023年公開のA24スタジオ作品。11歳のソフィ(フランキー・コリオ)と31歳の父親カラム(ポール・メスカル)が2人でリゾート地で過ごす日々を、20年後、父親と同じ年齢になったソフィが、その時の映像を見返して当時の父親のある側面に気づいていく…というお話し。
全編通して鏡やガラス、テレビ画面など反射して映り込むものも画面に取り込んでマルチスクリーン的に見せる演出が印象的。直接の説明は一切しないものの、画面のあらゆるところから父親が当時密かに抱えていた葛藤や苦悩、心の揺らぎ、ソフィへの愛情を感じ取ることができる作品。
で、いよいよ作品のクライマックス。当時の父親が内面に抱えていた行き場のない陰影や、現在のソフィが感じているであろう様々な感情を、空想のダンスによって昇華させるべくやおら鳴り出すQueenの『Under Pressure』。音源とは違ってこの映画用に少しアレンジが施されているバージョン。それまでほとんど説明されなかったテーマ的なものが歌詞で全部代弁されるし、曲のエモーショナルさも相まってこちらの感情ガンガン揺さぶられまくる。で大サビのラストの
「Under Pressure」
が鳴らされない…。「くぅぅぅ…」ってなりながら心の中で条件反射的に
「Under Pressure!」
と歌わされちゃうのだ。鳥肌が立つような感動が味わえて、見終わった後の余韻ハンパなし。そして用意周到に張り巡らされてるさまざまな機微を確かめたくなって何度も見返してしまう作品なのだ。
THE FIRST SLAM DUNK
これはもうね「一番大事な音を叩かない映画」の金字塔的な作品と言っていいやつ!
クライマックス、試合のラスト20秒がすべて無音のシーンとなっている。無音になることでこちらの五感が研ぎ澄まされて敏感な粘膜のように感度が高まる。ゆえに井上先生渾身の命を吹き込まれたイラストとアニメーションが眼球を通じてこちらの脳天にダイレクトで直撃する。主人公・桜木花道が最後の最後に放つあの一言
「左手は添えるだけ」
もここでは無声。だから泣きながら心の中でそのひと言をつぶやく。シーンとしている劇場内で、観客のズーズーと啜り泣く音や嗚咽する声だけが聴こえるという、ものすごい状況を作り出していた神シーン、神演出なのである。
トイストーリー3
ここでちょっと箸休め的なやつ。
『トイストーリー3』はアンディの父親的役割を担っていたウッディが、成長したアンディから子離れする話としても捉えることができる。そして親離れ・子離れはするけど、「2人の絆はずっと変わらないよ」というメッセージを「大事な音を叩かない」演出によって示してもいる。
作品始まってすぐのオープニング。子供時代のアンディがウッデイたちで遊んでいる映像が8ミリカメラ風の映像によって映し出される。その時にかかるBGMがシリーズ通してのメインテーマ曲『君はともだち』である。この曲はウッディの声で歌われていて歌詞は明らかにアンディに向けている歌なのだ。
っていうような歌。で、曲の終盤、以下のフレーズの後に8ミリカメラの映像がブツっと途切れる。
実はそのあとに来るはずだった歌詞とは…?
つまり、『トイストーリー3』は「俺たちの絆」の映画なんだよっていう、一番言いたいことをオープニングで既に示唆しているのだ。この作品もまたプチ「大事な音を叩かない」映画なのである。
コーダ あいのうた
『コーダ あいのうた』は2021年公開のシアン・へダー監督作品。聾者の両親と兄のもとに生まれ育ったルビー(エミリア・ジョーンズ)。家族の中では1人だけの聴者である。彼女は毎日欠かさず家業の漁業を手伝いながら聾者の家族への手話通訳の役割を担うヤングケアラーでもある。彼女の特技は歌を歌うこと。ある時、名門音楽大学への受験を勧められるが…、というような話し。
この映画の見せ場のひとつである学校の合唱発表会でパートナーの男子と一緒に歌う場面。やおらルビーが歌い出すその歌声がスーッと消えていってしまう。2人を観客席から見ている聾者の両親と兄貴が経験している音のない世界に切り替わる。観客が最も聴きたいルビーの歌声を聴くことができない。このことによって、常に最愛の娘や妹の歌声を聴くことができない両親や兄貴の視点・経験を強烈に疑似体験させられる。
単に作品の余韻を増幅させる演出にとどまってなくて、聾者の世界を疑似体験させる仕掛けにもなっている。なかなか想像することが容易でないコーダや聾者から見た世界に対するエンパシーを、強烈に喚起させられる稀有な作品なのだ。
ちなみにこの作品、THE CLASHの『I Fought The Law』が史上最高に正しい使われ方するし、兄貴が史上最高にカッコいい「失せろ」を言ってくれるし、見どころ盛りだくさんな素晴らしい作品なので是非。
で、もうここで終わってもいいとこなんだけど、まだあとちょっとだけ続けたい!
これまで取り上げてきたのは、作品のどこか一部分だけが無音・無声になるものでした。次は作品全体に「一番大事な音を叩かない」という概念を拡張して適用させている作品が2本あるので、それもピックアップしておきたい。
桐島、部活辞めるってよ
2012年公開の吉田大八監督作品。公開当時かなり話題になった作品。
学校社会におけるヒエラルキーの頂点に立つ男、桐島がある日突然、部活を辞める。それによって桐島を担いでヒエラルキーの上位に安住していた取り巻きのやつらが自分の立ち位置を見失って右往左往しちゃう青春群像劇。学校ヒエラルキーの最下層に位置付けられてしまっていながら、同時にそこから解き放たれているようにも見えるもっさい映画部の生徒たちにもその影響が及ぶ。ヒエラルキーの階層を超えて、ぐちゃぐちゃに混ぜかえっされて大団円を迎える屋上のクライマックスまで圧巻な名作である。
で、この物語の最も重要な要である桐島という生徒が、最初っから最後までほぼ出てこない(チラッと映る場面はあるが)。劇中何度も登場人物たちから「桐島」「桐島くん」と名前が口にされるものの、実際の桐島がどんな見た目で、どんな性格で、どうして部活を辞めたのか、桐島になにがあったのか…そうした情報が一切明かされない。不在によって逆説的に生み出される圧倒的な存在感。つまり作品それ自体に「叩かれない一番大事な音」という概念が内包されているのだ。
そして桐島が一切登場しないからこそ、誰が誰より上か下か?みたいな、幻想のような制度(ヒエラルキー)に依存して安心しようとする価値観の滑稽さがより浮き彫りになっちゃう。結果、ドラフトにかかることを信じ続けて屹立する野球部のキャプテンのごとく、周囲に流されず自分の追い求めたいことから目を逸らさずにいることの尊さに気付かされるのだ。
バーニング 劇場版
最後はこれ。
2019年公開のイ・チャンドン監督作品。主な登場人物はバイトで生計を立てているジョンス(ユ・アイン)、その幼なじみのヘミ(チョン・ジョンソ)、そして謎の男ベン(スティーブン・ユァン)の3人。
この3人のうち、ジョンスとヘミは貧困層の暮らしををしているが、ベンだけが金に困っておらず高級マンションに住んでいる。ジョンスはヘミの存在によって自らの境遇に対する鬱屈した気持ちを慰めつつ己を保っていた。
そして作品のド真ん中。ベンがジョンスに、「時々ビニールハウスを焼いている」という秘密を打ち明ける。そこを境目にヘミが忽然とこの物語から姿を消してしまう。
作品の後半は一切ヘミは登場しないし、どこへ行ったのかもなぜ消えてしまったのかも一切明かされない。そのような不条理さの前に、ヘミを失った喪失感やベンへの疑惑、自らの境遇に対する鬱憤など、ジョンスの抑えていた怒りや葛藤が遂に爆発してしまう…。
作品後半にヘミが何の説明もされないまま姿を消すことで、どこか核心部の輪郭の外側だけを描いているような構図になる。核心部だけがぽっかりと空いてしまってるので、そこを埋めるために観客は自分なりの答えを見出さざるを得なくなるのだ。
ちなみに4K版のビジュアルはヘミのシルエットをモチーフにしてデザインされている(この記事のトップに持ってきた画像)。休符のごとくぽっかり空いた"無音の音"を連想させる。
そしてこの作品の原作は、村上春樹の『納屋を焼く』という短編作品である。
イ・チャンドン監督が村上春樹の原作を映画化するにあたって、原作から解釈したこと、分析したことをアダプテーションしながら映画を通して表現するとき、
「優れたパーカッショニストは一番大事な音を叩かない」
という概念が濃厚に取り込まれた作品として帰結するところがとても面白い。イ・チャンドン監督流の"村上春樹論的"な作品なのだ。
ということで長くなったけど、身悶えしちゃうような余韻が残る「一番大事な音を叩かない映画」たちでした。まだ見てないやつあったら是非正月休みにでも是非どうぞ。存分に焦らされて、存分に身悶えして頂きたいw