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"できない自分"は嫌いですか?

どうも、猫ストーカー準二級の者です。
二級の検定にはこの前落ちました。
悔しいです。
あの時もう50センチ距離をとっておけば…。


さてさて。

人間できないことがあると自分を責めたり、落ち込んだり「何でみんなは上手くやってるのに自分だけ?」って憤りを感じる事もあったりするもので。

でも何かができていたり、上手くいってる時って案外それを当たり前のように感じたりする。


今までは僕もできない自分を責めていた。

何てダメな奴なんだ。
できないないやつに価値なんかない。
どっか行ってしまえ。

そんな酷い言葉を自分に投げて苦しめていた。

でも、それじゃ自分が可哀想じゃないかなってある時思った。

そしてそれと同時に自分自身に対して"感謝"が足りてないじゃないか?と。

感謝の対義語は"当たり前"だと僕は思っている。

人は当たり前の事には感謝をしない。

例えば、普段吸っている酸素に感謝してる人はどれだけいるだろうか?

あなたが乗っている自動車や自転車のタイヤが問題なく回転している事に、日頃から"無事に動いてくれてありがとう"と思っている人はどれだけいるだろうか?

では同じように何かができている、上手くいっている自分に対してそれが当たり前だと思っていないだろうか?
そもそも当たり前という感覚すらないのではないか?

一度そういう自分に感謝してみる。
「ありがとう」や「よくやってるね」って。

そうすると当たり前にやっていたことが、当たり前じゃなくなってくる。
もし感謝の気持ちは芽生えなかったとしても、"当たり前"だった事に対して意識が出てくる。

反対にできない自分、上手くいかない自分はどうだろう。
そんな自分なんて嫌いだし感謝なんて出来るはずがない。

まして、できない自分が当たり前なんてダメな自分を認めてしまっているのと同じだ。

なんて事を思うかもしれない。

でも、できない自分がいるからこそできる自分を意識できるんじゃないかな?

何かができる自分のその影には何倍、何十倍のできない自分が居たはずだ。

そのできない自分が居たのは"当たり前"なのか。

それだと少し寂しくないかな?
できない、できなかった自分が卑屈にならないかな?

「できない僕だって、できない私だって認めて貰いたのに。当たり前って思ってない?」
って思われているかもしれないよ。

そうするとできない自分の主張や声がどんどん強くなってくる。

そうならないように「いつもありがとう」「よく頑張ってるね」「責めてばかりでごめんね」って声を掛けてみたら良いんじゃないかな?

きっと喜ぶと思うよ。
「気にしなくて良いよって」って言ってくれるかもしれないし。

本当はあなたからのそんな優しい言葉を待っているのかもしれない。

自分への感謝が生まれると、今まで気づかなかった周りの人への感謝も生まれてくる。

当たり前が当たり前じゃなくなってくる。

そうして、人への感謝が増えてくると今度は人からあなたへの"ありがとう"が増えてくる。

そうしていけば、今よりも楽に生きられるんじゃないかな。

あなたも、あなたが嫌いだった"できない自分も。"


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