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祈りだけがそこにある
年末実家に帰った。
帰る予定があった訳じゃないが、特に年始に予定がある訳でも無かったし年始の雰囲気を1人で過ごすのも違う気がして帰ることにした。
当日に帰ると決めて新幹線に乗る直前に両親に連絡したのに、新幹線を降りる頃には当たり前のように車で迎えに来てるとの連絡があった。だから自分も当たり前のように車に乗った。会うのは1年ぶりだったらしい。
諸事情があって昔住んでいた実家というものがほぼ消滅していて、代わりに新しい実家になっていた1LDKのマンションに帰った。前の家に愛着があるかと言えば正直分からないがマンションの実家は気に入った。1日で慣れたし、ずっとそこで過ごしてた感覚になった。きっと変わらず両親が存在しているのが自分の中の実家なんだと思う。
大量の服がハンガーラックにかけられ、冷蔵庫の中はパンパンで自分のホストの名刺がテレビ台に飾られていた。このギュウギュウの家が好きでは無かったしその反動で異常に物に固執しないでおこうとする固執を手に入れることになった。無意識に部屋のものをさらに減らす為にレンタルスペースまで契約しようとまでしていた。
年々物に溢れる実家が愛おしく安心するようになった。捨てなよと言い続けたけどきっと捨てない。自分の幼少期の時にシールを貼ったゴミ箱も、昔着ていた服も、要らないから送った服も捨てない。
捨てないでいてくれてるのが嬉しかったりもした。
父親は腰が悪くなっていた、話しはいつもつまらなくて夜中にコーヒーを飲んでいた。それが良かった。
母親はいつも通りだった。いつも通り送り迎えして貰ったし多分飲み会とかあったとして帰り遅くなったとしても何時でも迎えに来てくれるような人だった。それが良かった。
僕は変わらないものというのが好きなんだけどどうしても苦手で、そんなものないと思い込んでみたり信仰的に信じてみたりもしてたことがある。でも総じて怖いなと感じる。
このコートがめちゃくちゃ欲しい!でも高い、うーんどうしようと思ってでも次のシーズンには反対のダウンが気になったりしてる。そんな感じ。
結果予定よりも多く滞在する事になったけど、そこは圧倒的に静かに遅く時間が過ぎていて普段せかせか動いてるのを実感した。1日を大事に出来たことなんてないけど実家にいると暇だから噛み締めれる気がした。
人の人格を形成するのは確実に幼少期の環境だし、僕がこうなったのはなんでなのかと考えみたりもした。
僕は子供の頃から雄!みたいな同年代も歳上も苦手でそれは親の良い子ちゃんでいようね計画が影響していた。雄!は基本的に自分勝手で見栄っ張りで肝心な時に頼りにならない。これは僕の勝手なイメージだけど今もそのイメージはこのままだ。雄!は僕の中でマイナスな対象だったので良い子でいた。誰にも迷惑かけずに基本1人で奥の方で指人形で遊んでる男。
そして雄!とあんまり関わらずに生活していくと雄!が世界から消えたように感じた。人は見たくないものは見ないんだと、この時感じた。信じたいものしか信じられない、それが絶対に間違っているとしても。
僕の世界から雄!は消えた訳だけど女の子をしたい訳じゃなかったので、自分の理想の雄になろうと思った。僕の理想の雄は強い奴だ。何がじゃない強いやつ。少なくとも雄!じゃないやつ。だから自分で作った。本や映画、漫画とか理想の中で作った。だって現実はいつもくそだったから。
そんな中で理想だけで作った、つぎはぎだらけの理想が出来たんだけどそれはやっぱりボロボロで、でも僕はそれを信じた。信じたいものしか信じれないからね。
スナフキンが好きだった。自由そうで。
夢をかなえるゾウのガネーシャも好きだった。陽気に人臭く、それが正しくみえたから。
時をかける少女のちあきも好きだった。不思議で掴めないところにいたから。
良い所だけなりたかった。でも元の性格があるからね。ただ全部の僕の憧れの底には何にも縛られてないが条件な気がした。クレヨンしんちゃんのオヤジには惹かれなかった。
だから僕は何にも縛られたく無かった。
自分の発する言葉も、行き着く場所も、何をするかも全部自由が良かった。今思うと自由は制限の中で輝くから僕の自由はなんかちょっと違ったけどそれで良かった。僕の自由はちょっと寂しくて偶に自由から逃走しようとするけどやっぱり自由が良い。刺激的な奴みたいに離れられない。
この先も自由を追うのかは分からないけど、
自由でいる事と僕は自由なんだ!と人にアピールすることは別物だと思っている。少なくとも僕は文章以外であんまり人にこんな事は言わない。
人に言うと傷付けてしまうかもしれないから。
なんでも好きな事言うって事は人の事考えないと言うことにもなると思ってるから。例えばデブは甘えだ!と発言したら僕の周りにいる痩せたいのに頑張ってる太ってる人傷付けてしまうかもしれない。デブは甘えじゃないと思うよ。
だからここ数年は自分の中に自由を飼うことにして、飼っていた。
アピールしなくてもどんな事があっても自分の心は自分のものだからと思っていた。だけど飼い殺ししてしまった。
自分のものだ。ものだ。と思い続けてもいつの間にか手からは離れてしまうものだった。日常に侵食してスナフキンもガネーシャもいなくなった。
だから自分の作るコンテンツにポツポツ出していこうと思う。アピールするのって嫌になったんだけどね。でもポツポツ出さないといけない。まだ一生懸命人工呼吸したら生き返るかもしれないからね。誰かの為じゃないけど誰かの為に勝手になってたらそれはそれで嬉しい。自由の二毛作。
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