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何者かになりたい人へ

おはようございます、家事の手伝いをしないためにトイレに引きこもっていたら、とうとう意図がバレてしまったトラです。

今日は何者かになりたい、目標としている人に近づきたいという願望に対して何のために目指しているんだっけ?という話をタラタラと書いてみたいと思います。

よく何者かになりたいという人は遠い、近い問わず理想とするモデルが存在すると思います。
SNSやyoutubeであれこれ発信する芸能人、学校や外部組織で出会ったすごいと思える近い年齢の人など、自分が抱えているコンプレックスが解消している、または自分の理想像に限りなく近いように見える人をモデルとして目標にしていることがあると思います。

きっと、対象とするモデルに対して独自性が見えて真似をしたい、近づきたいんじゃないかと思ってて、そういったモデルと出会った瞬間は少女漫画のような運命的出会いにもなっている気がします。
少女漫画というのは意外と的を得ていて、「俺は誰とも被らず、オンリーワンの存在だぜ!」という人ほど理想のモデルに出会った時、運命的な出会いをして沼にハマる、まぁ「冴えない18歳の少女が学校1のイケメンと偶然出会って恋愛に発展していく」という最初の構図に似ていると思うんですよね。

何が言いたいかというと、何者かになるには「自分がオンリーワン」という錯覚をどこまで追求できるかというマラソンゲームをしなければいけません。
重要なのは矢印の対象が「自分」に向いているところです。

仮に、理想モデルに矢印を向けて追走したとします。
生活から身振り手振りわかる情報は全て自分に反映して、真似の評価が高くなったとします。
その時の自分は理想とするモデルの二番煎じで、いつの日か目指していたオンリーワンの自分はもうどこにもいないと思うんですよ。
そして、自分の尊敬する人は「一点モノ」に見え、真似する自分は「コピー品」になってしまう。

二番煎じが悪いといっているわけではありません。
全てオリジナルと比べられることを置いておけば、二番煎じにも評価やチャンスがあります。
例として、高級時計がイメージしやすいと思います。
有名な高級時計にロレックスがありますが、ロレックスの偽物にもかなりの値段がつく時があります。
現実世界に置き換えると、コロナ禍のテレビ収録で陽性や自宅待機になった芸人の代役として、その人のモノマネ芸人が抜擢されることがありました。

オリジナルの評価が高い分、偽物のロレックスやモノマネ芸人にも評価やチャンスが巡ってくることがあります。
一方で、偽物のロレックスやモノマネ芸人がオリジナルの評価をさらに上げることが多々あります。
それを受け入れられるのであれば話は別ですが、一昔前までオンリーワンを目指していた自分が素直にその状況を受け入れられるのかというと、自我などそういった自分の根源がそうはさせないような気がしていて、やっぱりどこかでオンリーワンになりたい自分がいるのではないかと思います。

まとめると、自分と向き合い続けられる人が「唯一」になれる可能性があると思います。矛盾のようでとても辛いことかもしれませんが、自分が大好きで憧れとしている人ほど、逆に距離をとらないといけないのかもしれません。
何者かになりたいとか周りの評価を一新したいなどを考え続けるより、もっと自己中心的な方がいつの間にか求めている「何者」かになれているんじゃないかなぁと思います。
そうした方が、特性は違えどモデルとしていた理想像と同じ舞台に立てることが多い気がします。
矛盾していて中々取り組みにくいですが、自己中心的に生きてみましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
良い1日を!

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