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【翻訳のヒント】原文の情報を無意識にカットしていないかに注意

こんにちは。佐藤です。私がレビューアーとして翻訳者の方によくお返しするフィードバックの1つに、「読者は原文を読めないので、訳文だけを読んで理解できるようにしてください」というものがあります。この注意だけを見ると、「そんなの当然じゃん。翻訳ってそういうものでしょ?」と思われるかもしれません。しかし、業務歴の長い翻訳者でも、このハードルを越えるのはなかなかの難題です。

なぜ難題か?わりと根本的な意識改革が必要だからです。私自身、長いこと翻訳者として活動した後、レビューの仕事を始めてから気づいた視点でもあります。翻訳ひとすじの方には新しい気づきになるかもしれないので、ご一読いただけると幸いです。

原文を読んでわかっちゃうことの罠

また変なことを言いだしたな、と思いましたか?原文の意味がわかって何が悪いのでしょう。わからなければ翻訳できないし、わからないまま翻訳する方が問題ですよね。もちろん、原文を読んで理解するのは大前提です。問題はその後。理解したことを日本語でアウトプットする工程です。

翻訳者はすでに内容を理解しているため、無意識のうちに、「わかっている人向けの書き方」をしてしまうのです。技術者が書いた解説は結局「わかっている人向け」なので、本当にそのトピックを知らない人は読んでもよくわからない、という状況がよくありますが、それに似ています。

翻訳者は原文に書かれたすべての情報を読み、それをもとに内容を理解します。そしてその内容を日本語としてアウトプットするときに、多くの場合、原文に書かれていた情報の一部を無意識にカットしてしまいます。そうなる理由はいくつか考えられます。個人的には、

(1)言語構造が異なるため一部の単語を訳出しない(訳出すべきでない)と考える癖がついている
(2)自分がわかってるんだから読者もわかるでしょとつい思ってしまう

……のあたりが主な原因と見ています。

いや自分はそんなことしてないよと思うかもしれませんが、私自身も含め、かなりの人が、かなりの確率で、この罠にはまっています。具体例で見てみましょう。

例1

今回はまず、翻訳者から提出された訳文だけをお見せします。顧客関係管理ソリューションの機能を説明する箇条書きからの抜粋です。

【一次翻訳】
・ソーシャル投稿とともに顧客レコードを自動で表示

日本語としては特に問題ありません。ただ、なんとなくモヤっとした印象はないでしょうか?言葉の意味はわかるのに、どことなく腑に落ちない感じというか。私はそう感じたので、原文と見比べることにしました。原文はこうなっていました。

【原文】
・Automatically view a customer record alongside their social post

原文を読んだときの私の率直な感想は、「原文にはちゃんと書いてあるじゃん……」でした。訳文で表現されている情報は原文の8割ぐらいで、その欠けた2割がモヤモヤを生んでいました。具体的には、"their social post"の"their"の部分です。ここが訳出されていないことで、「ソーシャル投稿」と「顧客レコード」の関係が不明確になっていたのです。

原文で説明しているのは、ソーシャルメディアから収集してきた顧客の投稿を管理画面で表示すると、投稿の隣に、その投稿をした顧客の顧客レコードが自動的に表示されるという機能です。"their"があることで、"customer record"と"social post"の関係が明示されています。そこにモヤモヤ感はありません。

翻訳者が"their"を訳出しなかった理由はだいたい想像できます。「『彼らのソーシャル投稿』なんていかにも翻訳調の表現は使いたくない。意味はわかるだろうから省いてしまえ」といった感じでしょう。この「省いても意味はわかるだろう」という気持ちが曲者です。あなたがそう感じるのは、すでに原文を読んで、その意味を理解してしまっているからではないですか?

実際、この訳文は、"their"を省いたせいで非常にわかりにくいものになりました。原文のシンプルでわかりやすい表現とは大違いです。もちろん誤訳ではないのですが、わかりやすく伝わる翻訳を目指すなら、もう一工夫が必要です。

最終的には、レビューの工程で次のように修正しました。

【レビュー後の翻訳】
・顧客のソーシャル投稿の隣に、その顧客のレコードを自動表示

「顧客の」が2回出てくる点が少々冗長ですが、原文の意味はすっきり伝わるようになったかと思います。

例2

次はもっと単純な例です。開発系の記事の冒頭部分からの抜粋です。

【一次翻訳】
NuSOAPで開発するサーバーは、TriangleAreaとRectangleAreaという2つのメソッドを公開します。

一見すると問題なさそうな訳文ですが、私には最初の部分が引っかかりました。「NuSOAPで開発するサーバーはどれも必ずこの2つのメソッドを公開する」という意味に読めてしまったのです。前後の文脈に合わないので、原文をチェックしてみました。

【原文】
The server you'll develop with NuSOAP exposes two methods, named TriangleArea and RectangleArea.

原文と訳文を見比べたところ、"you'll develop"が省かれていることがわかりました。つまり、「NuSOAPで開発するサーバーすべて」ではなく、「これからあなた(=読者)が本稿の解説に従ってNuSOAPで開発するサーバー」だったのです。

シンプルな構文ですし、翻訳者が原文の意味を理解できなかったとは思えません。おそらく、「"you"が訳しにくくて嫌だな……きっと省略してもわかるだろう!」という判断になったのだと推察されます。しかし、"you'll develop"を省いた結果、読者の誤解を招きかねない訳文になってしまいました。

修正後の訳文はこうなりました。これなら誤解の余地はありません。

【レビュー後の翻訳】
本稿でこれからNuSOAPを使って開発するサーバーは、TriangleAreaとRectangleAreaという2つのメソッドを公開します。

まっさらな視点で読み直そう

英語の人称代名詞まわりの表現は日本語に訳しにくいため、つい省きたくなってしまいますが、「きっと省略してもわかるはず」は、翻訳者が原文を読んで理解しているがゆえの楽観的な期待にすぎない危険があります。訳文を作成したら、それまでに理解した内容をいったん頭の隅に追いやり、初めて読む読者の視点で見直すことをお勧めします。読みながら「誰の?」「何の?」「どこの?」という疑問が浮かんだら、あなたの負けです。必要な情報が訳文から抜け落ちている証拠なので、原文と訳文をよく見比べ、必要な情報を復活させましょう。


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