【翻訳のヒント】敬語はどこまで使う?
こんにちは。レビューアーの佐藤です。コールセンターのエージェント向けの受け答え事例集や、顧客向けメールのテンプレートなどを翻訳するときに悩むのが、どこまで敬語を使うべきか?という問題です。翻訳者なら一度は迷ったことがあるテーマだと思うので、この機会に考えてみましょう。
英日翻訳では、翻訳者がアドリブで敬語表現を書き加える
そもそも英日翻訳の場合、たとえ顧客に不手際を詫びるような文脈であっても、英語の原文はかなりフラットな立場で書かれていることが多いため、相手をどこまで敬い、その敬意をどのような形で表現するかを考えるのは翻訳者の仕事になります。
具体例を挙げてみましょう。私が以前に翻訳した、ある企業のカスタマーサポートのメールテンプレートの原文はこんな感じでした。
英語の文化圏ならこれで問題ないかもしれませんが、これを何も考えずに日本語に翻訳すると、次のようになってしまいます。
当然ながら、日本でこんな返信メールを書くのは許されません。時候の挨拶までは入れないにしても、「いつもお世話になっております。このたびはお支払いが遅れて申し訳ありません。状況を確認いたしましたところ……」のような書き出しにするのが一般的でしょう。そこで、こうした顧客向けのメッセージを翻訳する際は、英文メールと日本的なビジネスメールとのギャップを埋めるために、ときには原文に書かれていないお詫びのフレーズや敬語表現を盛り込む必要が出てきます。つまり、翻訳者がアドリブで書き加えるわけです。
アドリブの難しいところは、どこまでやるかの判断です。相手に失礼のないように配慮しながら、自分に酔いすぎず、メッセージの内容を適切に伝達できる塩梅を見極めなければなりません。
要注意!敬語はインフレする
注意したいのは、敬語はどこまでも「盛れてしまう」ことです。日本語にはいろいろな敬語があるため、1つの文にも多様な敬語表現を組み込めます。そして、どこか1つの文に敬語を入れると、それが文書全体の敬語レベルを決定し、すべてをそこに合わせざるを得なくなります。その結果、敬語があふれすぎて無駄に文字数の多い、くねくねした文書になる危険性があります。私はこれを「敬語のインフレ」と呼んでいます。
敬語がインフレする例を見てみましょう。これは今回の記事のために作った例文です。
【F】と【G】はもはやネタとして作った訳文ですが、敬語は増やそうと思えばいくらでも増やせることが実感できるのではないでしょうか?もちろん、ここまでするのはやりすぎです。
個人的には、尊敬語を使わずにシンプルに書いた【A】で十分だと思っています。ただ、クライアントの業界によっては、【B】~【D】程度の尊敬語と謙譲語を織り交ぜた方がいい場合もあるので注意が必要です(たとえば、製薬会社が医師や病院宛に出すメールなどの文脈では、【A】だと先方に失礼な印象になるので、もっと丁寧な表現にしてほしいとクライアントから求められる場合があります)。
ちなみに、【E】は少々長いけれども許容範囲、というのが私の意見です。このように「お願いします」を付けると、文字数は増えますが、「~ください」の連続を回避できるメリットがあります。アドリブの一手法として覚えておいてください。
いただくのは控えめに
上の【E】の一部を書き換えた、こちらの訳例を見てください。
これに引っ掛かりを感じる人と、そうでない人がいるかと思います。「いただく」を謙譲語として使うのは、適切な日本語です。ただ最近は、「~させていただく」という表現を過剰な敬語としてやり玉にあげる人が多いため、私自身は「いただく」を使うことに少しためらいを感じるときがあります。この使い方は間違っていないかな?大丈夫かな?と不安になってしまうのです。クライアントのレビュー担当者様からも同じような懸念を聞いたことがあるので、これは私の個人的な感覚だけではないと思います。
この懸念に対する手っ取り早い対策は、どうしても必要なとき以外は「いただく」を使わないです。
それでなくても、「いただく」は手軽なのでつい繰り返しがちな表現です。うっかりすると、
のような文も書けてしまいます。この例文だけを見れば、そんなオーバーなと思うかもしれませんが、原文をにらんで一生懸命に翻訳していると、これに近い訳文を書いてしまうことはよくあります。こんな事態を避けるためにも、敬語を使いすぎないように日頃から注意する必要があります。
「御御御付け」化は避けよう
味噌汁を指す丁寧な言葉「おみをつけ」を漢字で書くと、「御御御付け」になるそうです。「付け(つけ)」→「御付け(おつけ)」→「御御御付け(おみおつけ)」と変遷したと説明するページがありましたが、それにしても、この字面のゴツさは相当なものです。敬語を盛りすぎるとこうなるよ、というわかりやすい例ではないでしょうか。日本語として求められる敬意のレベルと、ゴテゴテしすぎない表現のバランスを考えながら、最適な落としどころを見つけましょう。