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丸谷才一『食通知つたかぶり』~食のエクリチュールvol.9~
食にまつわる書籍を紹介する“食のエクリチュール”シリーズ。
第9回は丸谷才一『食通知つたかぶり』(文藝春秋)。
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本書の持つ個性は、そのタイトルに集約されている。自ら「食通」といい、自ら「知つたかぶり」と称する、そのぎこちない自慢と場違いな揶揄がミックスされた可笑しさ。食を巡るエクリチュールが往々にして陥るスノビズムを笑い飛ばしているかのような秀逸なタイトルだ。
その命名の由来があとがきに記されている。
題に困った丸谷才一が以前別の雑誌に同様のものを連載したときには、「植草甚一さんの『オフ・ブロード・ウェイ知ったかぶり』といふ題の真似をして、『食い道楽知つたかぶり』とやりましたけれど・・・・」というと、いっしょに飲んでいた石川淳が「『知つたかぶりは』いいが、『食い道楽』はいけません。あれは明治になつてはやつた言葉です。江戸は食通。『食通知つたかぶり』がいいでせう」ということで決まったものだ。
ついでにいうと、これ以外は考えらないぐらいにマッチした雰囲気の題簽(だいせん。本の表紙の題字。元は和装本の表紙に貼り付けた書名の書かれた縦長の紙のこと)と漢文調で物された愉快な序文も夷齋石川淳の手によるものだ。
題名ひとつを取り上げても、背景にこういう経緯があることをみても良く分かるように、本書は文壇という世界が存在し、文士なる言葉も辛うじて残っていた時代を背景に、食を題材に丸谷才一の文芸の技を披露した作品なのである。「(本書は)何よりもまづ文章の練習として書かれた」と記される所以である。ちなみに初出は「文藝春秋」の昭和47年(1972年)10月号である。
本書は著者が各地のおいしいと評判の料理店を食べ歩く日本紀行の趣向で展開するが、どの回も訪れる地域ゆかりの作家や文化人が必ず登場する仕掛けになっている。例えば、神戸は野坂昭如、岡山は吉行淳之介、横浜は五木寛之、伊賀は池波正太郎、京都は司馬遼太郎、岐阜は篠田一士、東京では辻邦生や安岡章太郎という具合。これらの人物の素描が料理の描写にもまして楽しい。
たとえば、「裏日本随一のフランス料理」と題された山形県酒田市を訪ねる章では開高健と吉田健一が登場する(開高健は大阪でも登場するし、吉田健一は金沢でも登場するのだが)。
「すばらしいフランス料理を見つけた、酒田で」という開高健のひとことをきっかけに、酒田のちょっと南にある鶴岡生まれの丸谷才一は、「大阪やサイゴンならともかく、あの東北の港町にかけては、彼よりもずっと詳しいとい自信があった。(中略)わたしは、ああ食豪開高健の舌もつひに衰えへかと嘆き、人生の哀愁にひたりながら、しかし、ものはためし、酒田の清水屋デパートの五階にある、ル・ポットフーへ出かけ」る。
その日の料理は以下のラインアップ。
そば粉のクレープキャビア添え
ガザエビのマリエール
アカエイの黒バターかけ
最上川の鴨のステーキグリーンペパーソース
赤川の砂丘でとれた雉のパテ
チョコレートのスフレ
「わたしは程よく冷えた辛口の秘蔵初孫をちびりちびりと飲みながら、まづ、そば粉のクレープでキャビアを食べた。と、たちまち、出羽のひなびた穀物の味とさながら凝脂のようなカスピ海の魚卵とは、賛美を尽くした盡した別天地をわたしの口中に合成する」
アカエイの「ゼラチン質の多い、しつこい味が、ワイン・ヴィネガーによっていっそうあくどくなり、しかも同時にしつこさを拭ひ取られ(理屈に合はないかもしれないが、そんな感じだった)、秘蔵初孫をいっそう引き立てる」
鴨に「ナイフを入れると、うんと生にしてくれと頼んだ注文どほり、血のくれなゐが淡い褐色のソースのなかににじんでよく。このソースの、洗練された典雅な味はひと、鴨の土くささとの衝突がまことによろしい。絶品であった」
相馬屋ではハタハタの湯揚げを刻みネギとモミジオロシとポン酢で食べるように言われたのを断って、醤油をかけて食べながら「私見によれば、これこそは、ハタハタの脂ぎつてゐしかも涼然、濃厚にしてかつ清楚、平俗でしかも雅淡な趣を味はふ最上の方法にほかならないのである。(どうです、熱がはいつてゐるでせう。)」
地元の極上の日本酒に日本海や最上川などこれまた目の前で採れた新鮮で野趣ある食材を丁寧に料理したものを組み合わせる。なんとも贅沢な一時。
これを読んでからかれこれ約30年後、酒田に行った折、満を辞してル・ポットフーと相馬屋を訪ねたことはいうまでもない。しかしながら、その感想はここでは書かない。30年の歳月はあまりに大きいとしか書きようがない、といえばいいのだろうか(1996年に廃業した相馬屋に関していえば、取り壊し寸前で建物が保存され(現相馬楼)、登楼してともかくも雰囲気だけでも味わえたことを以って瞑とすべきか)。
閑話休題。
本書に登場するのは存命(連載当時)の文人だけではない 藤原定家 蜀山人あるいはジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』の主人公ブルーム氏など、はるか遠い時代や架空の人物も登場する。
創業天明八年の木屋町四条南の鳥弥三で、浅く流れる鴨川の上の仲秋の満月を眺めながら丸谷才一が引くのは藤原定家の「この上の光に月のむずびきて館さえゆく秋の手枕」という一首。どこか気の置けない風流な感じで月見を楽しんでいる雰囲気を漂わせ「秋の手枕」ということろがその時の感じにぴったりだったのだろう。
あるいは、「東京ならまづ鰻」と前置きをして、蜀山人の狂歌「あなうなぎ何処(いくつ)の山の妹と背をさかれて後にみをこがすとは」を引いて、「鰻の蒲焼こそは江戸のものだといふお国自慢が烈々と示されてゐる一首で、恋歌くづしの妹と背(つまり男と女)に、ちゃんと山の芋までが詠み込んだあたり、おそろしいほどの芸である」と評し、野田岩の利根川の天然鰻の蒲焼の「とろりと舌をとろけさす高度に官能的な趣」を嬌柔(きょうじゅう。なまめかしいやわらかさという意)という言葉に昇華させる。
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本書のこうした態度は、知ったかぶりの半可通を前もって宣言するという周到な用意をしながらも、やはり一種のスノビズムであり、しょせんは金持ち相手のガイドブックであり、食にまつわる高踏なペダンティズムに過ぎない、と評す向きもあるかもしれない。
さらには、自意識過剰な思わせぶりな態度こそ、まさに鼻持ちならないスノビズムではないか、ということになってしまうのが食やファッションを語る際のどうしようもなく厄介なところともいえる。
とはいえ、鰻と酒を前にして蜀山人の狂歌を思い出し(ちなみに蜀山人こと大田南畝は、酒と宴会と吉原好きで有名)、江戸っ子のお国自慢に思いを馳せながら、江戸前鰻の温和でかつ官能的な味わいを愛で、杯を傾けるひと時は、やはり歴史であり文化であり日本なのではあるまいか。
夷齋學人も序文に書いておられる。「詩酒相俟って、物はじめて味を生ず」と。