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怖いのは発達障害よりもKY②

もうこれはKYどころではないのだろうけど、私が見聞き、体験したKYの
恐ろしく極端な例を紹介したい。

もう20は過ぎているかんじの青白くガリガリに痩せた
青年がある日の夜中、無言で涙を流しながら家の玄関で血だらけで割れたガラスの破片を握りしめて立ち尽くしていた。離れて見ても彼が震えているのが分かる。
遠くからパトカーの駆けつける音がする。
我が家が平和だった頃、夜中に犬の散歩中に見かけた光景だ。。

後から近所の友人に聞いたのだが、もう長い間引きこもっている子で、父親が怒って乱闘になったらしいと。。。
似たような例で、他の友人宅でも同様のことが起こったと聞いたことがある。
ご近所の家の中のことは知らないが、友人宅の話では、引きこもる息子に普段は無関心の父親が突然つかみかかり、出ていけと罵倒し始めたことで乱闘に至ったという話だった。
その頃の私は何もわかっていないKY親で、我が家は平和だと信じていたので、偉そうに「怒って当たり前」だと思っていた。
父親のやってる事にも一理ある。そうやってたたき出すくらいの精神も大事だと。

だが実際はそんなことしたら絶対ダメだ。
相手は本当はエネルギー満タンやる気ゼロのニートではないのだ。
心の風邪でガリガリに痩せ、エネルギーゼロ状態なのだろう。
本当は外に出て社会生活をみんなと同じに送りたかった。なのに出来なかった。生きていたくもないが、命を絶つ勇気も無い。そんな状態の我が子に出来ることってなんだろう。。

発作的なものに苦しんだことがある。
ある日、私が悩み苦しんでいる時に、とある知人に
「あなたの子はもう将来、就職も出来ないから、ボランティアとかで生きていくのがいいよ」と言われたのだ。その言葉を聞いた時、人目もはばからず私は号泣してしまった。何故かその無責任で無慈悲な言葉が一瞬で脳に突き刺さったのだ。泣きじゃくる私にその人は「握手しよう!頑張って!」と満面の笑顔で勝手に私の右手を掴み、ブンブン振って去って行った。いい事を言ったと思ってるらしい。さすがKY。
その直後から、私の身体症状がシャレにならないくらい悪化した。
苦しくなるので何も考えない、無の状態をキープする努力をしていたのだが、それをしても津波のような恐怖が襲ってくるのだ。呼吸困難にはならなかったが、それでも息も絶え絶えだ。震えも襲ってくるし、会話もままならない。自分の体を両手で抱きしめていないと、恐怖で体がバラバラに崩れていきそうだ。
それ以前もそんな感覚になる事はあったのだが、対策をして寝ていれば暫くすると治まっていた。それがこの時は体感症状がとても酷く、1週間くらい続いてしまった。

体調悪化した二日目、習い事の恩師が電話を掛けてきた。
全然大丈夫じゃないけど「大丈夫、大丈夫」と言う私に、恩師は二時間くらいしゃべり続けた。
「あなたは一人じゃない。周りを見なさい。部屋に何がある?電気?その電気もどこかの誰かが作ってくれた。あなたの周りには誰かの愛がある。ひとりじゃない。」
「私は広島出身。子供の頃は被爆者が沢山いた。後遺症を抱えながらみんな必死で生きていた。不幸というのは原爆のこと。あなたは不幸じゃない。」
鬱でご自身のお母さまが何度も死にかけ、働きながら看病をして薬を使わずに回復させた経験があるとのことだった。
彼女はコロナ禍で、ご自身の経営する会社が大きく傾いている中、私に鈴のような声で話し続け、薬を使ってはいけないと言い続けてくれた。
放っておいてはいけないという直感があったのだと思う。恩師に救われて今、私は元気に生きている。

あの時、誰かが私を揺さぶり「いいから起きろ。働け!」と罵倒したら、更にパニックを起こし、怯えてうずくまるか、暴れるかの二択になっていたと思う。
因果応報とはこのことだ。気の毒な青年の気持ちを慮らなかった自分に、お前も体験すればわかると・・禍がかえってきたのだ・・・。
心の風邪を治すには、温かい愛。布団を無理やり引っぺがして表に放り出すことではないということを、身をもって知ったのだった。




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