非日常が日常になる
家族が出勤・登園して、
家で一人になり、ほっと一息ついた。
朝のバタバタが通り過ぎ、窓からの景色を眺め、アイスコーヒーを飲む。
この一瞬を味わえるのも、
「朝のバタバタ」という忙しさがあったからだろうと思う。
役所を辞め、在宅で働くようになり、私は自由になった。
今では、その日の気分でカフェで仕事したり、平日の空いている時間に買い物やランチもできる。
朝、ベッドで目が覚めた時、
「今日はどこで仕事しよう。何しよう。」と考える。
それが有り難いと思う反面、
「非日常が日常になっているな」と、どこか寂しく感じている。
先日、旅行系YouTuberのスーツさんの対談を見た。
彼は、1年の大半を旅行しているため、
と、淡々と、でもどこか寂しそうに話していた。
彼の動画は見たことないんだけど、
きっと旅行が好きだからYouTuberになったのだと思う。
それが仕事になってくると、趣味までも無くなってしまうのか。
「非日常が日常になる」ということは、
「自分のコンフォートゾーンや世界が広がった」とも解釈することができる。
だから、また自分のテリトリーを広げていけばよいのだと思うけど、「子育て中」という制約もあり、あまり冒険はできないのが現状。
一方で、「日常=飽き」でもあるのだと思う。
私の場合、土曜日と日曜日は、子供にかかりっきり。
それが上手い具合に「ストレス」「制限」になっていたりする。
この不自由な週末があるからこそ、平日の有り難さを感じられることができるのだ。
月曜日の朝、子供を送り出した後は、ほっとする。
ちょっと言葉は悪いかもしれないけど
「解放された~フリーダム~」といった感じだ。
労働の後でしか感じられない、ビールの旨さみたいなもの。笑
だから、子供がいてくれることも、私の人生にとって大切なエッセンス。
子供がいるから私の日常が成り立っていると考えると、人生ってうまく出来てるなと思う。
ただ、水曜日くらいになると、また日常に飽きてきたりする。
そこで、仕事の合間にドラマを見たり、
いつもと違う場所に出かけてみることもあるけど、それでもつまらない。
きっと私がHSS型HSP(刺激追求型・飽きっぽい)というタイプということもあるのだろう。
だから、これからも私は、「私の日常を広げていく作業」を続けていかなければいけないのかもしれない。
それはきっと楽しい冒険でもあるけれど、どこか終わりがないようにも思える。
たまには、日常を振り返り、じっくり味わい、有り難さを感じていきたい。
そうやって、広がったり、戻ったりしながら、私の日常は、しばらく続いていくのかな・・・と思う。
フリーランスとか、在宅ワーカーとか、
「自由で憧れる」という人も多いと思う。
という一例として、クスっと笑ってもらえたら嬉しい。
あわよくば、似たような気持ちを抱えている人と繋がれたら嬉しいな。
**おまけ**
午後のつまみ種って、甘くて変なかんじ。
(おいしいけど)
こうやって新しいお菓子に挑戦してみるのも、私の冒険の1つなのかも☺️