④初めての学校はゴミ屋敷のクリーニングからでした♩
ともまるです♩
「保健室の先生になれました!」というところまでやっとお話しできました♩
今までをまだ、お読みで無い方はこちらのお絵描き自己紹介からどうぞ♩
あ。1つだけ付け加えておくと。。。
お絵描き動画でも入れていない「塾の運営とヤクザのサンドイッチ時代」と「2回の教員採用試験に落ちる」というクッションを経ての
保健室の先生になる夢を叶えました!!
生まれたばかりの息子を抱きながら
片手で勉強。
暗記ものは自分の声を録音して、ベビーカーを押しての散歩タイムに
ヒアリング暗記。
でも、もしも採用試験に落ちても、もうこれ以上の仮面夫婦は限界だ・・・
そう感じた私は、採用試験の勉強と育児の合間に、
医療事務の資格も取りました。
そうです。育児した人ならわかるはず。
寝ていません。1日2時間続けて寝れたらラッキーでした。
両親の助けもない、ワンオぺ育児。その合間に2つの資格の勉強。
その努力が実って
3回目の受験で教員採用試験に合格したのです!!!!
祖母が受験の前日に亡くなり、精神不安定の中での受験・・・
それに加えて、実は一度は「不合格」の通知が届いたのに
翌日、知らない番号からの電話。
「あの通知は間違いだったんです!
処理の機械に問題があって、本当は合格です!」と??
はっきり言って、オレオレ詐欺だと思いました!
だってそんなこと、ありえないでしょ??
それが、ありえたんですよ♩
翌日に新聞に載った大ニュースでした。
「教員採用試験でミス 130人を追加合格 奈良県教委」と。
やっぱりキセキ♩
保健室の先生は狭き門
300人中の12人に選んでいただけました♩
その日のうちに署名しました。アレに。
はい。問題です♩
私は何に署名と捺印をしたでしょうか???
正解は・・・・
そうです♩
離婚届です♩
お互いの合意は瞬時に行われました。
「私たちの間に愛はないよね?」「うん。そうだね。」
離婚届を提出し、公務員という切符を片手にマンションを借りて
息子との2人の仮面ではないピュアな笑顔の生活が始まりました♩
右肩にはお昼寝布団。左腕にはがっしりと息子を抱いて初めての保育園。
まだ何もわかっていない息子はご機嫌に通園してくれました。
車に飛び乗って、オラオラとスピード出勤。初めての赴任校です♩
校長先生が保健室へ案内してくださいました。
そして、一言。
「この部屋に入ったことある人は、ここ5年くらいいないんです。」
え?どういう意味?
「開かずの間だったんですよ。ご都合で退職された前任の先生が、誰もここに入れなかったんです。」
入ってみて、びっくり!!!
これは、見たことある!!ゴミ屋敷という状況やん!!
ゴミ袋がたくさん部屋のあちこちにあり、薬品棚には、何十年も前に使っただろう瓶の空いているものや・・・え?これ注射針??
(公立学校で集団接種があった時代は、これよりも10年以上前のこと)
奥の部屋にはコタツとテレビ。テレビショッピングで売っている健康器具も。
きっと、ここを拠点に活動されていたんでしょう・・・という形跡が。
嘘と思いたい。悪夢と思いたい。「チェンジ!」と勤務校を変えたい。
そんな思いが一瞬だけでましたが・・・もう遅いねん。ていうか、そんなことはできないねんw
職員一同で保健室の大掃除から始まりました
初任が赴任できるのは4月3日。子どもたちが登校してくるのが4月6日。
健康診断など嵐のような過密スケジュールは6月まで続く。
もうどんな保健室だって、1分も、止まっているわけにはいかないのです。
校長先生にすぐにお願いしました。
「この保健室を使える状態にするのを手伝ってください!」
校長先生は職員を集結させて、保健室の大掃除をしてくれました。
カビだらけのベッド。壊れた体重計。埃まみれの救急セット。
「高橋さん。使えるものなさそうやね。保健室に必要なもの、全部買うから何が必要か言って。」と言われてびっくりんこ!!
応急処置の仕方とか、カウンセリングの方法とか、健康診断の進め方とかは習ってきましたが、保健室の作り方なんて習っていませんよ〜!!!
さすがに放心状態になった私を見て、お母さんキャラの先生が
「近くの学校に大ベテランの保健室の先生がいるから、今から呼んであげるね!」
するとすぐに大先生が来てくださいました。
目をまん丸くびっくりされていましたが、状況に文句を言うことはなく、
「春に必要なものはすぐにリストアップしてあげますね。早急に必要なものは、うちの学校のを貸してあげます。今日中に発注しましょう。」と神対応!!
こんな感じで、なんとか子どもたちが登校する日までに、保健室の入り口付近は使えるようになり、少しずつ、保健室らしくなっていきました。
1年目は子育てと、何もかも初めての連続でフルマラソン
こんな状況の保健室。
引き継ぎは一切なし。
児童の健康情報の収集に、尿検査、内科検診、眼科検診、耳鼻科検診、視力検査に聴力検査、体重測定・身長測定、保健指導にケガや病気の対応・・・
これが一気に6月末まで続いていました。やり方も連絡先も、担当者も、提出方法も、設営のスタイルも、学校医さんの性格ややり方も・・・
なーにもかも引き継ぎなし。校内に知っている人はゼロ。
じゃあ他の学校の先生に聞いてみよう!と知らない人に電話してみても
「いま、忙しいからごめんね!」「学校によって方法が違うから、参考にならないよ。」など、答えがない迷路・・・
それでも、やるしかない!!
他の先生たちに聞きまくって、情報をつなぎ合わせて、学校医さんに謝罪の毎日。
18時になったら学校を出ないと保育園に間に合わない!
トイレに行く暇、本気でなかったなぁ。給食の時間は、なぜか大怪我が起こって、病院に連れていくこともたくさん。何かを食べると言うか、詰め込むだけ。
そんな風に1年間をやり抜きました。
お母さんのような先生、おっちゃんのような先生が、さりげなく
「ぼちぼちやってね」「今日もお疲れさん」とお菓子を置いてくれるのが
心に染みて、よく夕方、そのメモを握って、泣きながら車を運転して
保育園まで向かっていました♩
本当にしんどかったなぁ・・・
この年には
浜の番長「三浦大輔さん」がゲストティーチャーとして来校して
保健室のシャワーでリーゼントを綺麗に流していった
そのシャンプーの香りが、たまらなく甘い香りだった
実はその日にある学年でノロウィルスの集団感染が発覚し、保健所に皆様が集団で学校中を検査・・・先生たちは集団感染の疑いのある児童の対応
けれどテレビ取材の日だったので、校長や教頭はテレビ対応で会ってくれない
感染症対応でもうゆとりなんてないのに・・・
保健室でシャンプーする浜の番長・・・番長に悪気はないもん♪
と言うことくらいしか
いい思い出がありませんでした♩
他は必死すぎて、記憶に残っていません
保健室からみた、とんでもない現実
初任の学校から7年間、保健室の先生をしていましたが
希望を自ら出して
5校で経験させていただきました
全校の生徒数850人の大規模校から
67人の小規模校まで勤務しました
学校の規模に関わらず
毎日、平均して30人ほどが保健室にやってきます
そして、その70%以上が心の背景のある訴えです。
親からの虐待
クラスでのいじめ
自己肯定感の形成不全による拒食・過食・自傷
先生から生徒へののいじめ
先生同士のいじめ
先生のうつ病
マウンティング・・・
そしてそれらの隠蔽
濡れ衣
警察や政界にも浸透していた見逃し・・・
私は
ありとあらゆるものを見てきました
虐待の隠蔽を強要されました
戦いました
潰されたこともありました
子どもの最後の叫び声をなかったことにされたこと
たくさんあります
救いたくても
救えなかった子
心の叫び声
子どものことが本当に好きなのに、
教師をやめる方に追い込まれた人たち
命を捨てた子
もう、私には、この小さな箱の中で
できることの限界が見えました
だから、保健室を飛び出したのです!!!
ダークサイトと戦うことにエネルギーを使うくらいなら
外側から、明るい光で、小さな芽を育てたい!!
そう決めたのです!!
これまでも、何年もかかって、少しずつ必要性を訴えてきた
「心の健康の授業」と
「命を感じるための性の授業」
これを学校の外から
たくさんの人に広める!!
そう決意し
保健室の扉をぶち破りました♩
最後に♩
私の授業後に書いてくれた子どもたちの感想♩
そんな私が今何をやっているかはこちらから♩
本気で出版をします!!そのための貯金にします♩出版した時には、帯を書いてくれませんか??