自己紹介 その2 本格的うつとの出会い
今回はうつを経験し、希望を見出して人生の歩みを改めて確かにしようとし始めた、「大人の」自分が本格的にうつを体験するまでの歴史を紹介します。
結婚後、仕事が変わった
僕は32歳で結婚しました。地方都市郊外の工場で働いていました。
当時は県下No.1の優良企業だったのですが、
海外とのコスト競争などが影響し会社は経営難に陥りました。
僕は「会社はいずれ無くなる」と思ったので、
希望退職に応募、転職を目指しました。
10年ほど勤めた会社であり、
苦しみもありましたが僕を育ててくれた場所でもあり、
恩人を見捨てるようで心苦しかったのを覚えています。
その会社は僕の退職から半年後、親会社が経営から撤退し、会社は清算され名実ともにこの世から消えて無くなりました。
転職と仕事の苦労
半年ほど勤めた会社もありましたがそこには見切りをつけ、
故郷への帰還を目指して再び転職しました。
この3つめの会社は、はっきり言って「個人プレー」の集団。
当初はとても苦労しました。今も勤めていますが・・・
やがて品質保証部という部門での仕事を与えられ、
重要顧客相手の窓口に指名されました。
正直言うと、「え?俺が担当なの?」と意外でビビりました。
世界トップシェアの超有名企業だったので。
不条理で面倒な巨大企業
会社というものは大きくなるといろいろと面倒です。
世界的に名の通った会社になると、子会社や納入者に対する圧力は
加速度的に大きくなり、要求も多岐に渡ります。
そんな中で会社の窓口として対応するというのは、
僕にとっては初めての体験で、
しかも問題を起こして対応を迫られるのでとにかくキツい。^^;
中小企業だったかつての職場とはまるで違う、
圧力を体験しました。
うつ病さん、こんにちは
そんなわけで僕は心身ともに消耗し、
うつへの道を突き進んでしまいました。
不眠、食欲不振、慢性的な肩こり、頭痛。
ひととおり、うつにありがちな身体症状はありました。
そして、集中力、理解力、思考力、記憶力・・・、
仕事に不可欠なアタマを使ういうことが、
ことごとくできなくなります。
真っ白なエクセルのシートを睨みつけて
全く動けないことがよくありました。
やらなければならない仕事はあるし、
やるべきことも分かっているのです。
それなのに、仕事が全く手につかず何一つ仕事を完成できません。
焦りが焦りを呼び、どんどん弱っていきました。
初めての休職へ
ここまで来ると、さすがにうつ病だと自己診断できました。
会社の産業医と相談し、休職することにしました。
産業医から説明された、治療のための3本柱が下記の3つです。
1.環境 (うつの原因が仕事にあるなら、仕事から離れること)
2.本人の自覚と治療の意思(自分の病気を治したいと思うこと)
3.医療の助け(医師のアドバイスや投薬治療)
誰にとっても、この3つの柱が
成り立つようにしなければいけません。
ここは強く言いたいところです。
例外なく誰にでも治療の3本柱は必要です。
ここまで読み進めて頂ければ、
仕事を続けながらの治療は極めて困難だ
ということが分かると思います。
この時に学んだこと~休むことをためらわない
そんなわけで、仕事を通してうつになってしまったら、
仕事を休むことは治療を早めるための必須事項です。
会社はどうせ病気を治してはくれないので、
自分で判断して、自分のために休みましょう!