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『ファウスト』読書感想文
こちらの記事は、岩波文庫さんの、ゲーテ作『ファウスト』の読書感想文になります。
全体を通して、無限の広がりを感じさせられました。
それは何も世界観における空間的な広さではなく、精神の広がりです。
物語として、天使とか悪魔が出てきたり、時間的にも空間的にもあっちへ行ったりこっちへ行ったりするわけですが、ただそれらが出てくるからというだけで、無限の広がりを感じることはできないと思います。
この世の理、真理、精神について描いているからこそ、それを成し遂げられるのでしょう。
この物語の内容は、このようなものです。
現象界の一切を究め尽くした学者ファウストが、天の主との賭けにより舞い降りた悪魔メフィストと、この世の一切の享楽を味わう代わりに、『留まれ、お前はいかにも美しい』と言ったら魂を明け渡す、という契約を結びます。
その遂行の中で、現実の女性グレートヘン、天上の女性ヘレーネとの悲劇を経験し、最後には偉大な事業を成し遂げることでとうとう例の合言葉を口にし、ファウストは倒れます。
その際、その魂はメフィストのものとなることなく、救われて天へと昇っていったのです。
この物語で最も話題になりやすいのは、そのプロットと、各々のキャラクターが示すものについてでしょう。
なので、ここからは私なりの解釈を話していきます。
まずプロットについては、より善いものへと向上し続ける「全体」から分離された「部分」が、その向上する流れに合わせていき、最終的に完全にその流れに一致することで全体と一つになるという過程を描いたものだと思います。
「全体」は、この世の一切のもの、宇宙生命と言ってもいいでしょう。
また、「部分」とは、特に一人の人間のことを指します。この物語ではファウストがその役割を担っています。
抽象的に、ある方向に向かって吹いている風の中にいる人が、右往左往しながらも、最終的には風の抵抗を揚力に変えて飛び始めるとイメージしてもらえるといいと思います。
この世それ自体には、より善いものへと変化し続ける方向性のようなものがあると思えてなりません。
その中で、人間は誕生する時に一度、その流れから切り離され、止まってしまいます。
そこからもう一度、その流れと一体化することこそが幸福なのでしょう。
次にメフィストです。この物語の主人公と言っても過言ではない存在ですが、このメフィストという悪魔が表しているものは、本人も作中で言っていた通り、この世の破壊の作用そのものです。
現代的に言えばエントロピー増大というふうになると思います。
単に物が壊れるだけではなく、老化や死や破滅など、とにかく何かが崩壊する作用全体のことを指しているのでしょう。
風のたとえでいけば、風そのものです。その風の行き先は完全なる無、無限地獄というような、再生の余地がない世界です。
ただし、それを忌むべきものとしないのが、この「ファウスト」という物語の最も特徴的なところでしょう。
天上の序曲にて、主(神)は、メフィストを憎むどころか可愛がってすらいるように描かれていました。
主とは、この世界を創造し、人々を天へと導こうとしている存在です。
その主がなぜメフィストを受け入れているのか。
それは、人々を天へと導くというのが、彼らが生み出す負の力を逆に利用することで成し遂げられるからです。
風のたとえでいけば、飛ぶためには揚力が必要だということです。
以上が、私なりの「ファウスト」の解釈になります。
ゲーテは、観念でなく、本当に世界の全てを受け入れていたのでしょう。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。