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娘が幼稚園を辞めた理由

長女は今年度から幼稚園に入ったが、1学期の終了とともに、いったん幼稚園を退園することにした。今日はその理由を書いていく。

まず簡潔に述べると、わが家には「家庭で教えたいこと」と「幼稚園で学んできてほしいこと」がそれぞれあり、今の段階では家庭で教えたいことにもっと時間を注ぐべきだと決めたからである。


◆教育は家庭の役割

まず基本的に、わが家では教育は家庭の役割だと考えている。幼稚園で学んでほしいこともあるが、それはあくまで部分的な補強であって、メインの場所ではない。家庭が教育におけるもっとも基本的な場所である。

だから「家庭で学んでほしいこと」というのは、「幼稚園で学んでほしいこと以外の全て」だと言える。だから本来はここに書き切れるようなものではない。だからここでは、長女が幼稚園をいったん中断したことに直接関係する部分に絞って書いていくことにする。

◆わが家はキリスト教徒

わが家が一般的な日本の家庭と異なるのは、妻も私もキリスト教を信じているということである。だから子どもの教育も、キリスト教信仰に沿ったものであり、すべてはキリスト教を中心に教えていると言っても過言ではない。

(こういうと驚かれるかもしれないが、キリスト教徒というのは、生活のすべてにおいてキリストを中心とすることが大前提なのだ。だから教育の中心にキリスト教を置くことも、当然なのである。キリスト教徒の家庭であれば、別に珍しいことではない。)

子どもたちは物心つく前から教会に通っているし、家庭でもイエス・キリストは誰なのか、聖書にどんなことが書いてあるのか、普段の生活にキリストはどのように介入しているのかなどを、タイミングがあるたびに教えている。

というわけで、家庭で教えたいことの中心には、キリスト教信仰がある。そして長男と長女も、私が見る限りでは、それぞれ自分自身でキリスト教信仰を持っている。

◆幼稚園で学んでほしいこと

しかしながら、ここは日本である。日本ではキリスト教徒は非常に少なく、概ね人口の1%前後と言われている。でも彼らはこの国でキリスト教徒として生きることを学ばなければいけない。世間知らずな、温室育ちのクリスチャンに育ってほしくないのだ。

ところで日本の伝統行事の中には、キリスト教信仰と相反するものがいくつかある。七夕、ハロウィン、豆まきなどがそれに当たる。それがなぜなのかを書き始めるとこの記事の論旨から外れてしまうので書かないが、とりあえずキリスト教徒としては、それらに直接的に参加することは避けたい。

ここで必要になってくるのが、「自分はキリスト教徒なので、これらの行事には参加しません」と、自分の意思表明をできる力である。これが幼稚園で、子どもたちに学んでほしいことのひとつである。

長男の場合は、年中からの入園であったし、言葉で自分の意思を伝えるのが得意なタイプなので、その点では問題なかった。キリスト教徒として参加できないものがある時には、その旨を先生に伝えて、みんなと一緒にやる部分と、やらない部分の線引きをすることができた。もちろん、どこまで参加して、何をやらないのかの線引き自体は、親である私と相談して決めるし、私も先生とコミュニケーションをとっていくのだけれど。

しかし長女は、どうやら言葉で自分の意思を伝えることは長男ほど得意ではないようだ。先日の記事にも書いたように、静かに周囲を観察し、みんなと一緒にやることで進んでいくアプローチを取るのが、長女の特徴だ。そんな彼女にとって、自分の信仰と意思を表明するのは、まだ難しかったようだ。加えて彼女は、長男より1年早い年少組からの入園なのだ。

どうしても長男との比較になってしまうが、長男の場合は、どんどんプレッシャーの中に飛び込んで、それに対処するなかで成長できるタイプだと思う。比喩的に言えば、水の中に放り込めば泳ぎを覚えるタイプだ。実際彼は、キリスト教徒が自分1人という状況の中で、自分の信仰と意思を表明する経験をして、成長した。私が幼稚園で学んでほしいことを、すでに学べる段階にあった。

だけれども長女の場合には、長男よりも1年早い年少からの入園であったし、性格的にもはっきりと意思表明できるタイプではない。そんな彼女には、プレッシャーの中で経験を積ませるよりは、むしろ本人が安全に感じられる環境 (家庭) の中で、じっくりと教わる方が合っていると思った。

だから長女に関しては、少なくとも2024年度の終わりまでは家庭でじっくりと教えていくことにした。幼稚園での学びは、それからでも全然遅くはない。

◆日本語の学び

もう1つ、幼稚園で学んでほしいことに日本語がある。家庭では日本語はあまり話さないから、小学校に入る前までに、授業についていける程度の日本語を覚えさせたかった。そして長男を入れる前までは、どのくらいの期間で日本語をマスターできるのか、見当がつかなかった。

ただ長男を幼稚園に入れてみて、1年もあれば日本語は覚えられることがわかった。だから幼稚園には、少なくとも1年通えば、言葉の面での準備はできる。長女は今もある程度日本語はできるし、最低でも年長から再入園できれば、言葉の問題はクリアできるだろう。その点でも、長女を幼稚園に通わせ続ける理由はなくなった。

◆合わなければ、やめたっていい

ところで、「幼稚園をいったん退園して、また良いタイミングが来たら再入園させます」というパターンは珍しいと思う。加えて、日本では「やめずに続ける」ことが美徳とされるから (この辺は次回に記事にしたいと思う)、辞めたとなれば「何か問題があって、続けることが不可能になった」と思われても不思議ではない。

けれども、あくまで幼稚園は家庭教育を補完する存在だ。だから一度試して、合わなければ辞めたっていいのだ。辞めるのに、大きな問題を抱えている必要はない。わが家のように、積極的な理由で辞めるというのも全然アリだと思う。

◆まとめ&次回予告

  • わが家は、両親ともキリスト教徒である

  • 子どもたちにも、キリスト教を中心とした教育をしている

  • 日本においては、子どもたちは、自分の信仰を表明しつつ社会で生きていくことを学ばなければならない

  • 長男は、自分だけキリスト教徒という状況でも、自分の意思と信仰を表明し、みんなと一緒にやることとやらないことの線引きができた

  • 長女は、気質的にも発達段階的にも、それがまだ難しいことがわかったので、一度家庭に戻し、じっくりと教えていくことにした

次回はこの話に関連して、日本での教育における選択肢の少なさについて、マレーシアと比較しながら書いていきたいと思う。

本人も楽しみにしていた幼稚園だが
来年度までは一旦おやすみすることにした


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