【発達障害ASD次女】個別級への転籍の失敗、そしてトラウマ。(後編)
前編のお話の続きになります。
(ちなみに結論の出ていない内容です。ご了承下さい。)
4年生の後期から再び通常級に戻った次女は、それなりに平穏な生活を取り戻しました。
例のカチカチ頭の校長から女性の校長になってから割とすぐに、取り出しの「算数教室」の復活が実現しました。(やろうと思えばこんなに早い)既に同じ学年の何人かの子が定期的に利用していました。ところが、、、すでに、次女は「個別」と言う言葉に強烈に嫌悪感を持ち、みんなと同じであることに強いこだわりを持つようになってしまいました。
「個別」「個別支援」「特別支援」「支援」このような言葉に全て拒否反応を示しました。学習面では一斉の授業では内容がかなり厳しいものは想像されるのですが、通常級に戻った次女に「算数教室」を勧めても、
「授業がわかんないのは、ずっと前から。今さらいいよ。授業中は暇つぶしに、落書きしてるからさ。それより、みんなと違う教室に行くのが嫌だ」
と言って、頑なでした。なんだか悲しくなりましたが、それ以上勧めることはできませんでした。
そして、5年生に上がる時には同じ担任にはしないようにだけは学校にお願いしました。5年生で担任になった担任は若い女性でした。
こちらの担任の先生にも年度の頭に次女についての話を聞いて頂きました。とても上手に対応してくださる先生でした。次女の自尊心を傷つけないよう算数のわからないところは、こっそりとマンツーマンで教えてくれたりしました。クラス全体としても、割と穏やかなクラスだったようです。
5年生の頃は、「学校楽しい!」「早く夏休み終わらないかな〜」と、とても生き生きとしていました。あー、傷は癒えてきたんだと思いました。このまま6年生になってくれれば、、、と思いましたし、当然そうなると思っていました。
6年生で再び現れるあの担任
私と旦那も、うかつでした。6年に上がる時には、もう言わなくてもいいか、まさか4年と同じ担任にはしないだろうし、、、と特にクラス替えや担任の要望は言わなかったんです。
がしかし、6年になったときの担任はまた4年の時のあの担任でした。
何故?
それしか言葉が出てこなかったです。
とはいえ、コロナで4月5月は休校になり、実質担任と会うことはなく、6月になり学校が再開しましたが、学校は半々で登校というイレギュラー状態。あまりクラス全体の雰囲気が再現されることはなく、7月に入っていきました。その頃にはようやく学校も通常営業になっていました。
通常営業になると、やはり、次女は「今日もあの先生怒ってた。今日は意見が出るまで立たされてる子がいたよ。」と言い始めました。
そして、夏休みに入りましたが、コロナで帰省もできず、海にも行けず、、。次女も私たち夫婦もストレス発散もできず気分転換もできず、時々、人の少ない美術館に行ったり、ドライブに行ったりしました。
夏休みが終わり、学校渋りが始まった。
「あの担任がまた最近、怒るの。大きな声で。本当に嫌なの」と言い始めました。そして、
「4年の時、あいつにされたこと、本当に嫌だった。まじで許さない」
「あの担任がいるクラスには行きたくない。友達はいいんだけど、担任がいや。」
少しづつ学校渋りが始まり、だんだんと足が遠のいていきました。
その頃から、幼稚園の頃から遡って、これまで辛かった話をするようになりました。私が知らなかっただけで、次女の中では友達とうまくいかなかったり、言ってることがわからなかったり、いじめのようなものを受けたり、細かく辛いことがたくさんあったのでした。聞くことしかできませんでしたが、本当にこんなに細かいことを忘れられないとは、、、辛いです。
この頃から、「死にたい」というような内容を携帯のメモに書いたり、実際に、ノートに書いたりし始めました。誰かに言ったり、相談したりもせず、一人でその深い思いを抱えてしまうのです。親である私にも言いません。1年くらい前に思春期に入り、反抗期に入っているせいもあるかもしれません。
保健の先生にノートを見せて、自分の気持ちを伝えてみたり、スクールカウンセラーに相談したり、したこともありましたが、
「相談しても解決しないんだね」と言って、それきり誰にも相談しなくなってしまいました。もしかしたら、自分の気持ちがうまく伝わらなかったり、説明できなかったりして、口頭での相談ってASD の次女には向いていないのかもしれません。
いずれにしてもとにかく、「解決する」ことを求めたけれど、できなかった、と言う経験から、誰にも言わなくなってしまいました。実際、解決するのは自分自身しかできないですが、それを分かるにはまだまだ時間が必要だと思います。
今も、次女の気持ちを推し量ることは難しいです。ただ、LINEのステメと言う部分に、自分のその時感じたことや思ったことを書いているので、それを見ては、日々の心の揺れを読んで、察することしか今はできないでいます。
次女の書いた文章を読んでいると、やはり、学習面での落ち込みがかなり大きく、中学に入るにあたり、表面上は「楽しみ!」とは言っているけど、「まじで今ですら授業中にみんな何やってるか全然わかんない」、「小学校2、3年の内容もぶっちゃけわかんない、けど誰にも言えない」、と書いてあったりします。
週に1度放課後デイサービスに通って、算数や国語を補ってもらっていますが、特に算数に関しては、焼け石に水、というくらい6年生の内容には追いつきません。小学校低学年の内容をひたすらやっても、忘れる、、やっても忘れる、この繰り返しです。次女自身も中学への不安は大きくなるのも当然だと思います。
4年生の時に、スムーズに個別級への導入ができていれば、もしくは3年の時に、取り出しの授業の制度を復活させてくれれば、これほど次女は学習面で追い詰められなかったんじゃないかと思ってしまいます。また、これほど、個別支援に対する拒否も強くなかったんじゃないかと思います。
親としては、中学こそ、個別支援級がいいと思いますが、本人の「個別支援」に対する拒否がある以上、無理強いもできません。本当に、悩ましくどうしたらいいのかさっぱりとわかりません。
学年途中の個別級への移籍は、本人の気持ちといかに寄り添った状態で行えるか、いかに本人が納得した上で行けるか、周りの対応がどれだけ大事かを今さらながら痛切に感じています。
結論の出ていない内容ですみません。
まとまりのない文章、最後までお読みいただきありがとうございました。
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