サユリ①
若い頃は唐突に訪れる自死への憧憬も恐らく大人になればなくなるものだとばかり思っていた。丁度大人になれば虫が触れなくなってしまう様に、大人になれば様々なことが一度に訪れてそんなことに気を取られることが段々と減っていって、気がついたら触れられなくなるのだと甘く考えていた。だが、そんなことはなかった。所謂一流の大学の門をくぐり大手と呼ばれる会社で馬車馬のように働いたってゲリラ豪雨につままれた様なその憧れは一切無くならなかった。ただその核心はしっかりと残したまま出来事がするすると周りを通り過ぎていくだけであった。一時期、所謂一般的な幸せを色々摘み食いしたことがある。何だってこんな感情をもって生きていれば生きづらいことこの上ないからである。インスタントな幸せのためにセックスフレンドを作ってみたり、料理や筋トレを始めてみたり。だけどその全てが不発に終わった。何も変わらなかったのである。居直り強盗のように僕の心に住み着いたそいつはいつまで経っても捕まらない。我が物顔で宅配の受け取りのために僕の印鑑を押しているまでのタマであった。
そんな僕にも一度だけそいつが何処かへ旅へ出ていたことがあった。
あれは丁度5年前、僕が2回目の大学2年生をして放校に怯えていた頃、同じバイト先に正に当時は赤い糸が小指からはっきり見えたと思えた女学生がいたのだ。僕の1個下の1年先輩だった。音大に通う彼女は深い洞察力を持ち人の心の機微に敏感な心優しい人だった。当時、私は彼女に確かな恋心を抱いていた。けれども彼女の方はどうやらそうではなかった。恋愛というのは大抵の場合一方通行的であり、世の中の恋愛その全てが、相手が好きだから私も好きなのだという返報的な原理の元に成り立っているのではないかと思わせる程である。それに初めて会った時は何も感じなかった。それだから当時精神的な余裕が余りなく、彼女が僕を好きではないという現実を受け入れられることが出来なさそうであった僕は、その感情は単純接触効果によるものであって、決して愛などという高尚なものではないのだと必死に思い込もうとしていた。相手は誰でも良かったのだとそう信じ込もうとしていた。まるで悪事にでも手を染める時みたいに。
彼女と同じシフトに入っている時は心が躍り、仕事そっちのけで何を話そうかと頭を抱えた。ある日彼女にボーイフレンドがいるのかどうか聞いたことがある。そんなものはいませんよ。と怪訝な顔をもって返された。聞かない方が正解だったかもしれないと瞬時に後悔した。彼女にボーイフレンドがいようがいまいが、このカフェで一緒に働いている間は僕と同じ時間を共に過ごしていることに間違いないではないか。
僕はしばしば相手の全てを掌握したい気分にさせられることがある。その上、僕は自分のことを人付き合いの上手い奴だと、上手く立ち回ってハリウッド俳優が如く燦然とコミュニケーションという舞台の上で輝けているのだとひどい勘違いをしていた。だから例えば、相手が異性とご飯に行くなんてことは到底許せないけれどもそれを許すことで相手の心を掴めると考えているから許可を出したりする。人と上手くコミュニケーションが取れるやつというのは何にでも寛容で束縛したりしない奴だと思っているからだ。
中々どうして人という生き物は小難しいものだろう。5年もたった今でさえ、もっと言えば中学生だったあの頃から僕の精神性というものは何ら成長してはいなかった。