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ケーキな女たち 〜Piece.4 マロングラッセとスカートめくり

Piece.4 マロングラッセとスカートめくり/ 宮本晴美 30才

 宮本晴美は大の栗好きだ。栗好きが高じて栗むき専用のハサミまで買ったが、専用バサミをもってしても栗の殻は頑丈で、たったひと粒むくだけでも骨の折れる作業だ。だからこそ晴美にとって、モンブランは贅沢の極みだった。栗の香りを感じる濃厚なクリームに、マロングラッセがまるごとひと粒のっている。殻が頑丈だからこそ、この裸の栗を見ると特別感を感じざるを得ない。と同時に、とあるできごとを思い出す。スカートめくりが流行っていたあの日の教室のできごとを。

・・・・・


「きゃーーーやめてーーー!」


子どもたちが騒ぐ声が響きわたる午後の教室。オレンジ色の西陽が俊人の横顔を照らしている。俊人は口数は少ないのに、なぜかいつもクラスの仲間たちの輪の中心にいる。カリスマ性というのは小学校2年生の子どもからも発せられるものなのだろう。

俊人は俊足だった。そしてクラスの女子たちは俊人に追いかけまわされるのが好きだった。俊人にちょっかいをかけて、自分を追いかけさせるのだ。女子たちは頬を紅潮させながら木製の机と椅子を器用にくぐり抜けて逃げまわる。今すぐ私を捕まえてと言わんばかりに。

ちょうどそのころ、2年1組のクラス内ではいたずらがエスカレートして「スカートめくり」がちょっとしたブームになっていた。もちろん褒められたものではなく、スカートめくりをしているところが見つかったら、確実に先生に怒られる。だから子どもたちは先生の目を盗んで休み時間にスカートめくりをして大はしゃぎするのだ。

俊人は率先してスカートめくりをするタイプではなかった。この日は2年1組でスカートめくりがエスカレートしていて、なかば鬼ごっこの一種目でもやっているかのように教室はスカートめくり大会の会場へと化していた。男子が女子のスカートをめくり、女子も女子のスカートをめくり、女子は男子のズボンをおろしていた。大笑いしてはしゃぐ子もいれば、泣き出す子もいてクラスはカオスだった。

そんなときだった。麻衣子は俊人に膝かっくんを仕掛けた。なんだよ。俊人が振り返ると麻衣子はふわりとシャンプーの香りが漂う髪をたなびかせ、俊人に流し目を送りながら走り出した。俊人は反射的に麻衣子を追いかけ、スカートをめくった。その瞬間、麻衣子は晴美の方を見た。ほんの2秒くらいのことだったが、その2秒はまるで永遠かのようにスローモーションになった。麻衣子は恍惚にうるむ瞳で晴美を見つめた。


「見て。私、俊人にスカートめくられてるの」


麻衣子の瞳は雄弁にそう語っていた。晴美は子ども心ながらにこう思った。小2は子どもじゃない。女だ。晴美はそのときから子どもの無邪気さなんて信じちゃいない。

男女平等の世の中へ。そんな標語をどれくらいの人が本気で実現する気があるのだろう。浮気されて絶対別れてやると大泣きしていた女が、謝られて抱かれてあっさり元サヤに戻る。他にも女がいることを知りながらダメな男に貢いで、それでもいいのと自分を信じこませてすがる。そんな女たちを見ていると、彼女たちが男女平等に生きようとしているとは晴美はとても思えないのだ。男に追われ、ごちそうされ、バッグやら指輪を与えられ、求められる。それが女が満たされるための条件であるかぎり、男女の天秤はつり合っているとは言えない。 

かくいう晴美も「男女平等」に失敗した女のひとりだ。大学時代に付き合った男には、晴美が給料の高い会社に内定が決まった瞬間に浮気された。男の浮気相手は保育士だった。男はいつも晴美を見くびっていた。就職活動をしていたときも、「晴美がそんなところ受かるわけないよ」と散々男に言われていたから、あっさり内定が決まって晴美は心底驚いた。そして浮気されてようやく気づいた。男に見くびられながらも、晴美は心のどこかでその関係性に安心していた。なんとなく、男を越えてはいけない気がしていたからだ。そして自分以上に、男は晴美に追い越されることを恐れていたのだ。


「おまえみたいな男は一生出世できない」

それが晴美の捨て台詞だった。晴美は我ながら完璧な捨て台詞だと思った。男の自信を打ち砕くには最上級の言葉だ。それくらい晴美は傷ついていた。自分が努力をした先に待っていたのは、女性としての自信を打ち砕かれる浮気という裏切りだったからだ。さらに相手の女性の職業が、晴美のコンプレックスをより際立たせた。晴美が小さい子どもに泣かれがちなことを、以前から男にいじられていたからだ。

男が完全に慄いていたことにも気づかないくらい、晴美は怒りで興奮していた。男は人目もはばからず夜の飲み屋街でわんわん泣いた。晴美は、昔この男にもらった財布を地面に投げつけて帰った。せいぜいそのはした金で保育士と浮気の続きでもすればいいさ。ふたりで落ちてゆけ。自分の成長を妨げる男と金輪際関わらないようにしようと晴美は心に誓った。

社会人になってからの晴美は、めきめきと仕事に打ち込んだ。せめて仕事はがんばらないと、自分には価値がないような気がしたのだ。恋もしたけれど、同じような給料の相手と付き合ったからといってうまくいくわけではないと知った。はじめは追いかけてくれていた相手でも、晴美が振り向くと男は離れていった。離れられる気配を感じると、しがみつきたくなる。そして突き放される。それが晴美の恋のパターンになっていた。そしてふと思い出すのだ。俊人にスカートをめくられながら恍惚の表情を浮かべる麻衣子の視線を。男に求められる女の自信を。


・・・・・

結局、仕事に打ち込んでいるのがいちばん楽だ。傷つかずにいられるから。そう思ってがむしゃらに働いていたら、あっという間に三十路になった。会社でも活躍する若手女性として代表的な存在だ。

モンブランを食べるとき晴美は、マロングラッセは最後に食べると決めている。この裸のむき栗を見てると、自分は心のやわらかいところはまだ誰にも見せていないのだと思える。まるで男女平等の代表戦士のように見える晴美のコンプレックスは、誰にもスカートめくりされたことがないことだ。




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