見出し画像

頭のねじ

 頭のねじが緩んだ人、という言い方があるが、自分はそういう人間なのだとつくづく思う。ものをすぐ忘れるし、とにかく肝腎なところで抜けていたり、ドジを踏んだりする。もっと際どい言い方をするならば、脳に何らかの欠陥があるのだと思う。それほどに社会とのズレ・不適合というか、頓珍漢というか、ありふれた「常識的」な規格にうまく合わせられない失態を演じるのである。これは、社会の矛盾や問題点を衝くという格好いい表現をとることもできそうだが、実際のところはもっとチープである。別に社会とかかわりのない日常生活においても、良くない結果を招くことが充分予測されるのに、あえてそれを行ってしまうことが多々ある。例えば食器棚の中に新しいコップを置くとする。食器棚はすでにいっぱいだが、奥と手前に若干のスペースがある。手前のほうに置けば、取り出すたびに近くの皿を取り出す際にそのコップをいちいち避けなければならず、そうしなければコップの落下リスクが高まる。それは充分わかっているのに、そういう時、その都度落下に気をつければいいだろうと考えてわざわざ手前にコップを配置してしまい、結果として、ある疲れた時に奥の皿を取り出す際、うっかり引っかけてコップを落として割ってしまうわけである。すでに懸念があって予防策を思いついているのに、実行せずに置いておくところがどうかしている。普通の思考ではない。これは危険で事故につながるから、その対策を充分にとっておこうとしないのは、頭のねじが緩いわけである。思考力がもともとないのに、この頃はさらに衰えてきているようだ。最近は物を落下させるミスが多くなり、その落下物はご丁寧にも自分の足を直撃したり、身体を傷つけてしまう事態を招いている。幼児未満の愚かさである。また、落下事案に限らずとも、身体をあちこちにぶつける事案も枚挙にいとまがなく、いつの間にかあざがあちこちにできている。職場の事務机を縫って歩く際にコーナリングがうまくいかず、机の角にしこたま骨盤をぶつけるということが起きる。目測を誤る。これが老化というものなのかもしれないが、落ち度を考えて対応するということは自分の老化を認めることにつながるとの潜在意識があるようだ。老化といえば、眼もしょっちゅうかすむようになってきたので、これが発展していずれは老眼や白内障につながっていくのだろうか。

 そもそも私は道具を使うことに長けていない。道具を使うのが人間の特質なのだとしたら、自分はおよそ人間らしくない人間である。スポーツでも、道具を使うものは全て駄目で、あらゆる球技が上達することはなかった、というよりは上達するより前に諦めてしまった。ボールを投げるより先に競技に関わることを投げ出してしまったわけである。それだけではない。あらゆる場面で道具の使えなさは表面化する。道具といっても形のあるものばかりではない、形のない道具までも使えないのである。それはすなわち言葉である。例えば専門用語とか術語とか言われるものを、うまく使うことができない。それが正しい意味での用法なのか、自信が持てないからである。曖昧なままでその言葉を使うことになにか気恥ずかしさを感じる。しかもそういう術語を使うと、自分が専門家ぶって、この界隈で生きていますよという鼻持ちならない態度に参画しているように思えてしまう。私はそういう門閥意識というか仲間意識が苦手だし、専門という言葉も正直好きではない。でも世間からは専門とか専攻を求められるので、なにかそれっぽいものをでっち上げている。同様に、外国語も得意ではない。英語の知識はあっても英語で話すことができない。思い切って話すことに気恥しさを感じる。このように言うとまた格好よさげだが、そうではない。単にそれらを自分の持ち物にしていないだけだし、話を通りやすくする道具がまるで使えないことを意味する。概念とコミュニケーションの回路がうまく創れない、そんなところに頭のねじの緩みがありそうだ。

 この性質は、自分に主観性が極めて強いことからやってくるのではないかと感じている。他人の存在を必要としているようで、それほどしていない。他人にさんざん世話になっているくせに、他人を世話することがない。寂しくてたまらないのに独りでいたい。こういう要素は多かれ少なかれ誰にでもあるだろうが、私はそれを打開しようとはしない。だから日常の話し相手もなく、おおむね独りである。これでは意見を発展させることも遅くなるだろう。自分の意見は聞いて欲しいのだけれども、世間からはほうっておいてほしいと思う、典型的なかまってちゃん。しかし私は社会が苦手なのである。他人というものはすべからく冷たい眼を持っていると思いこんでいる。だから社会とはできるだけかかわらないが、かかわらないうちにどんどん社会とのズレは大きくなる。そんな悪循環が、若い頃から養った引きこもり体質の成れの果てなのであって、こうして引き続き頭のねじは緩み続けて行く。





この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?