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充電したい

 寝るのが好きだ。というより、充分に寝ないと体力がもたない性質だ。夜の睡眠のみでは足りず、職場の昼休みには短時間の午睡を必要とするほどである。世の中には寝なくても動けるショートスリーパータイプの方がおられるようだが、実に羨ましい限りである。私についていえば、これでもまだ通常の生活に戻ったほうで、若い頃は10時間でも半日でも寝すぎるくらい寝ていて、用事のない日中は昼過ぎや夕方まで寝たせいで却って身体が重苦しくなり、生活に支障を来していたのである。あのいつも重苦しい身体の倦怠は、今思えば身体を動かさないことから血流が衰え、それが脳にも影響して鬱状態になっていたのかもしれない。現在もあまり身体を動かさないことは変らないが、加齢のせいか、朝の一定の時刻に自然に目だけは覚めるようになった。過剰に寝る体力がなくなったともいえる。だから寝て起きて、体力や気力が蓄えられていない時には、ああやはり眠れないと疲れが取れないなあと、非常な落胆を感じる。

 朝目が覚めて、布団の中で、体力が尽きそうな自分を感じたとき、目の前にある携帯の充電プラグを自分のアゴに突き刺したくなった。その発想はなんとも背徳的である。飲酒や喫煙のように、明らかに身体に悪いけれど心地よいものを摂取して気を紛らわそうという魂胆がある。人工的にエネルギーをチャージするのなら、栄養ドリンクでも飲めばいいわけだが、生憎胃腸も強くないのでがぶがぶと強壮剤を受け入れる内臓環境が整っていない。私は大腸の機能が弱いのか、身体に水分をたくさん受け入れられない体質で、水を多く飲むと根腐れを起したように身体機能に支障を来すのである。薬液を体内に投与する仕組みとしては、経口で摂取する以外に点滴という方法がすでにあるわけだが、点滴はいかにも病気くさいし、年寄りじみている気がする。ちなみに点滴は自宅でもできるとのことだが、医師による処置が必要である。医薬を行う主体は医師でなければならないと、医師法に定められている。ただしこれは医薬を行う場合の制限であり、自己注射については、形式的には医師法違反だが違法性が阻却される、というのが厚労省の見解のようだ。つまり、身体に針を刺す行為自体は(医師の適切な指導のもとで、という但し書きはつくが)違法性を逃れるのである。

 しかし、私は蜂ではないから、手に針を刺したいわけではない。プラグを刺してお手軽に体力をチャージしたいのである。しかも、プラグを体内に刺すといっても、痛くないように刺して、極めて安易にエネルギーを注入したいのである。なんともムシのいい(蜂だけに?)話だと思うが、それが偽らざる本音なのだから仕方がない。痛くないように健康を維持したいのだ。しんどい思いをせずに生きていきたいのだ。しかし、痛覚は人間性のひとつであるから、痛みを忘れるということは人間性の喪失でもある。そうすれば、肉体は肉体性を失い、機械化していく。痛み、苦しみ、そこから生まれる葛藤や苦悩があるからこそ人間は輝くのであるが、それをわかっていて、私は楽に健康を維持したいと思っていて、やはり、できることなら痛みや努力を伴いたくない。怠けたいし、食っちゃねして生きて行きたい。結局のところ、私は普段表向き嫌っている「機械的な何か」になりたいのだろうか。生物は基本的に快楽を求めるのであるから、人間にも、日常生活のなかで極力楽をしたい傾向があることは否定できない。移動手段ひとつとっても、ちょっとした距離を歩くのではなく電動車で動こうとしたりする。なんでも自動化、電動化している。こうして筋力を使わないように努力する傾向があるのに、ある種の人たちはせっせとジムに通い、均整のとれた体格を保つためのトレーニングを、身体に負荷をかけて行うのだから、妙な話である。便利という名で楽を求めれば、それが知的探究の源泉になったりもするので、それが悪いわけではない。電磁波治療というものが有効であるとすれば、それを応用すれば、人間の充電プラグのようなものができるかもしれない。しかしそれは、人間の疲労を回復するものではあっても、果たして人間の活力・エネルギーの源泉になるだろうか。





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