薫風、部屋を撫ぜる
掃除を苦手とする自分が、100均で網戸専用のブラシを売っているのを見つけて、ひとつ自室の網戸の掃除でもしようと思い立った。
まずは試しに手洗い場の小さな網戸を、買ったばかりのブラシで撫でてみた。思った以上に黒々した汚れが滴ってきた。これは容易ならざる事態だと悟り、たかだかワンルームの小部屋にもかかわらず、思いのほか総力戦になることを予想する。手洗いの小窓を片づけたのち、いよいよベッドの脇にあるメインの大窓についている網戸に取りかかった。引っ越して以来の5年間で初めて、本格的に部屋の網戸を掃除したのである。部屋の中からこすったら、次はベランダに出て外からなぞる。部屋の内側からは埃が貼りつき、外側からは細かな砂塵にさらされるのであるから、汚れがたまっているのも当然である。優しくブラシで撫でるたびに、真っ黒な汚水が幾筋にもなって流れ落ちた。ここまで汚れを放置したことを申し訳なく思いながら、最後に全体をタオルでふき取って長い作業を終えた。
部屋中の網戸の掃除を終ってみて、まず網戸越しに外から入ってくる風が爽やかであることに驚いた。気温が30度を超えているにもかかわらず、涼し気でさえある。日光もいつもより多く入っているように感じる。そんな涼しく明るい部屋の中にいると、他の場所の掃除もどんどん進めたくなる。目が詰まった網戸で隔てられた部屋の中は、おのずから窮屈さを感じるものだったに違いない。人間の感情もこれと同じだろう。雑念で目詰まりしたこころは曇って、よどんだ恨みつらみが沈殿する。卑屈になり、小心翼々として、動作まで緩慢になる。
こころもついでに掃除しよう。夏の盛り、透き通った部屋で、情報を遮断して、ただ自己と向き合ってみた。瞑目し耳を塞ぎ、皮膚感覚を途絶し、自分の存在だけを感じる。心無い人々の罵倒も、嫌味な人々の言動も、忘れがたい思い出も、愛する人々の姿たちも、すべてなくしていく。快楽も苦悩も消えて、自分という意識だけがめぐる。最後に自我も排除していく。なにかが存在してはならない。文字で表現されてもならない。無窮だけがそこにあって、同時に、なくなっていく。自分にふれた空気が自分を透過して、あちらに抜けていく。目詰まりした気持ちが、すっきりと通っていく。