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こんなことで落ちるんです

2021年にうつ病と診断されてから、
色んな状況に抗いながら、それでも負けて自己嫌悪やら自己肯定感の低下に苛まれ、脳のバグと付き合って、はや3年。

ほぼフルタイム勤務と大学生を両立できている、精神疾患界隈では勝ち組な雰囲気を出している私、とにぽろりでございます。

犯罪学教室のかなえ先生には、
(勝手に)休職中からお世話になって(いると思っていまして)、ライブ配信や上梓された書籍も拝読していました。

なのに。

8月上旬に起きた、Xでのフワちゃんとやす子さんの空中戦。それ自体は傍観できていたのですが、
ガクッと落ちてしまったのです。
「やす子も芸人やったらオモロくしたらええねん。だからこんな大事になって。てか、やす子で笑ったことないし」
という職場の人の言葉に。
1対1の会話ではなく、私以外に複数人いる中での発言でした。

私はやす子さんはXをフォローしていて、フワちゃんはフォローしてません。

学生時代の過去に、ハブられたことも、きっといじめたと思われたであろうとことも経験している自分は、
やす子さんが「悲しい」と反応したこと、死んでくださいを笑いに変えればそれでいいと断じないことを英断だと思っていました。

この人、たぬかなと同じレベルで話してる?
私より年上やけど、その認識で大丈夫そ?

嫌なことは嫌なんです。

例えば、X上で障害年金を受給している私が
「精神疾患くらいで金貰ってんなよ。死んだほうがみんなのためだろ」と言われて、「悲しい」と反応すれば、
「いや、お前、精神疾患やろ?じゃあこういう時はヒス起こせよ。それでこそ精神疾患ぽいやん」
そう言われているのと同じような感覚に陥りました。

その夜は眠れなくて、翌日遅刻かましました。
出勤時間迫って、お腹が痛くなったんです。
トイレにスマホを持ち込まない私には、遅刻の連絡をする術もなかったのです。
言い訳はできません。 
ただ、社会人として禁忌の遅刻したのです。

私はたぬかなをなぞった発言を否定したいわけではなかったのですが、違和感にもっやもやしました。眠りたくなくなり、ずーっと場当たり的にゲームをしていました。

翌日、休みの日に訪れた紀伊國屋書店でほぼ無意識に、すがるように「かなえ先生」と検索をかけました。
ちょうど1冊残っていて、無事に『世の中の8割はどうでもいい』を手に入れました。

かなえ先生は20歳なのですが、
39歳の私にとって、
小学校時代に不登校になる(私は震災起因)、
中学時代に勉強でなんとかする(後に一時期あいつ、ガリ勉やから。とハブられる)
高校時代に勉強無理ーてなって、自分より余裕のある同級生に優しくされる
という点が全く一緒で、無事にかなえ先生より中の人にただ握手をしたいと思いつつ、
本を読み進める中で、

私はやす子さんともフワちゃんとも知り合いじゃないし、むしろたぬかなという発言で炎上してこそ稼げる人と関わる必要もない。

自分の意見は持ちつつ、違う意見の人がいたことに一喜一憂、メンタル病んでる場合じゃない。

結論、どーでもいい。

でも、傷ついた人が「傷ついている」と発言することをどこまでも容認できる人間でありたい。

そうして、私はかなえ先生の著作でメンタルを持ち直しました。
心療内科の先生に、ありのままを話しました。
メンタル落ちたこと、持ち直したこと、それでもなお生きづらいと感じたこと。

先生からの回答は、持ち直せるだけで👍

うつ、精神疾患に完治はなく、せいぜい寛解が精一杯なのかもしれない。
でも、私は私の心を優先して生きていきたい。

と、今日も職質に遭っているかもしれない、
かなえ先生(の中の人)に想いを寄せるのでした。

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とにぽろり@百部員的porori
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