性的虐待を受けていた元M女の話②〜だれかにはなしをきいてほしかった
※フラッシュバックを起こしそうな方は読むのご注意ください。
※最後に私が参考にした本とサイトを書きました。
どれもとても励まされる内容のものと思いますが、特に暴力や性的虐待を受けていた人は一人で取り組まずカウンセラーなどの専門家の助けを借りながら進めることをお勧めしますと注意書きがありました。
ですので、読まれる方はその点ご留意されるといいかなと思います。
※元M女というのは元々SMのM側をしていた女という意味です。今はもうしないことにしてしていませんので、元、です。
自分が人生でずっと悩んでいた行動の多くがPTSDによるものだったとわかって、世界が全てひっくり返って見えるような毎日を過ごしている。
今まで、自分がメンタルの不調と思う時に感じる特定の感情があった。
それは、消えてしまいたい、寂しくていても立ってもいられない、自分には価値がない、誰も私のそばにいてくれない、誰もわかってくれない、今後もずっと独りとしか思えない、何もかもに感じる罪悪感、自分には何もなくて何もできない無力感、自分が何を感じているのかどうしたいのかわからない、もしくは、理由もなく腹が立って仕方がなくてほんの少しの事で決壊しそうなほど糸が張り詰めている感じ、そんな感情が全て同時に襲ってきてその中に飲み込まれてしまう感覚だった。
そんな時に取りたくなる、実際取ってしまっていた行動が、ネットで手当たり次第に話を聞いてくれる人を探すことだった。話とは、ネガティブな気持ち全般を吐き出すような話のことだった。今もそうだが20代の頃は今より強固に普段弱味や後ろ向きなことを見せないように気を張っていたから、反動もあったのかもしれない。
いわゆる、どしたん話聞くよ、に自分からハマりにいっていた。
聞いてもらえる代わりに体で返す。そうしたらフェアだと自分の中で勝手なルールを作っていた頃もあった。初期は相手の見え透いた下心を馬鹿にすらしていて、あくまで一時的に利用するされるの関係にできていたのに、いつしかストッパーが壊れてしまったのだった。性的な行為が埋めてくれるように錯覚した何かに依存してしまったのもあったのだと思う。
私はロクでもない恋愛を繰り返すことになって、身体も心も傷付いた。自分を傷付けたいという衝動も同時にあったから、そういう意味では目的を達していたのかもしれない。SMを始めて以来、不特定多数の男性と性的なことをするようになって以来、リストカットを一度もしていない。それでも、余計に苦しさは加速していった。関係が苦しくなって逃げると更に苦しい関係に陥る、それを繰り返していた。
それなのに、今回性的虐待の事実を自分で認めることができた後、かつて別れた人たちに報告したい衝動が襲ってきた。
あの時わからなかったけど、私は本当は性的虐待を受けていた、私はそれを聞いてほしかったんだ、と話したいという思いが強烈なほど頭を支配した。
行為の最中に泣き出してしまい、様子が普通じゃなかった、過去に何かあった?と聞かれたことがあった。本当に原因がわからなかったから、何もない、と答えていた。時折起こるフラッシュバックの光景が性的虐待だったとは全く思っていなかったからだ。今では不思議なくらい、過去を思い返すとそこには何もない空間だけがあった。
でも、話したいという衝動にかられる度に自分に言い聞かせている。
その人たちと別れた、あるいは縁を切った理由を一人一人思い出す。そして今自分は何かの答を求めていることに気づき、その人たちはその答をくれるだろうかと問いかけた。
私はきっと聞いてほしかったのだ。小学生の頃、母に。怖い思いをしたね、話してくれてありがとう、と抱きしめてほしかった。
今思えばあまりにも当然のことだが、その人たちからそれは得られない。
彼らは、性欲の発散やお金儲けや弱い人間を助けることによって得られる自己有用感の為に私を利用していた。私はそれを分かった上で割り切って付き合っていたり、もしかしてそうじゃないかもと期待していたりもした。でもいずれにせよ利用されていることを悟った経緯があり、そう判断するに至った理由があった。それを一人一人思い出し、その関係にノーを言えた自分を思い出すと、話したい衝動は徐々に引いていくのだった。
母に虐待のことを話した時、彼女がなんと答えたのか覚えていない。
その時の台所の光や母の顔だけを覚えている。私に対して怒っていたし、拒絶の表情をしていた。私は、冗談だよ、という趣旨のことを答えて誤魔化したのを覚えている。
性的虐待を受けた子供が起こす行動のリストを見ていると、夜尿症や、いつもに増して元気がいいこと、大人のあとをつきまとうことなど、自分に当てはまる行動がいくつもあって驚いた。
話を聞いてほしいという気持ちは、調子がいい時に家事をしている母のあとをつきまとっていた頃のことを思い出すような感覚なのだ。それがトラウマ反応による症状なのなら、この気持ちはいつかなくなるんだろうか?
暴力や金銭搾取で自分を傷つける人から離れる選択はできても、結局、そうでない人になら話を聞いてほしいと私は願っているのだと思う。
頭では異常な望みだとわかっていても、この気持ちに振り回されてきた過去を思っても、いても立ってもいられないほどの異様な衝動に危機感と苦痛を感じていても、
どうやらそんなに簡単には、この気持ちは消えてくれないみたいなのだ。
この、不健全で抑えられないどこにも吐き出せない受けとめてもらえない苦しい衝動が、もしも消えてくれたら…私の人生はきっともっと楽になる。
今までアダルトチルドレンからの回復に取り組んだきた7年間で、母から受けた傷はそれなりに癒えてきたのかもしれないと思う。
そして今、新たな傷が見つかった。
私の、話を聞いてほしいという衝動は、性的虐待から来るもので、母が話を聞いてくれなかったことが主要因ではない。そう思うと力が湧いてくる。
たしかに、母がその時話を聞いてくれていたら私の傷はもっと浅く、もしくは回復も早かったかもしれない。でもそれは二次的な話であり、私の最も深い傷は、父から受けた性的虐待だったのではないだろうかと思うのだ。
だから、その傷が疼く度、自分には生きている価値がないと思う度、同じ行為をして自分の価値を貶めて安心するか、自分に罰を与えることで生きている許しを自分自身に与えるか、どうしてもそういった衝動が生じるのだ。
だけど、きっと、生き方のコースは変えられる。これは、本の中の言葉でもあるし、あるドキュメンタリーで聞いた言葉でもある。
自分に対して、「いいお母さん」になることができたら、私は癒されていくのではないだろうか。
自分なんか死んだ方がいいと思う度に、つらかったんだね、と自分で声をかけられたら。
私が全部悪いんだ、と思う度に、それは間違っている、お父さんのしたことであなたは傷ついているんだ、でもお父さんを嫌いたくない、愛されていると思いたい、だからその行為に理由をつける為に自分が悪いんだと思いたいんだよね、と声をかけられたら。
一度の何かの出来事での癒しや、何か特別な技能を身につけないと訪れない癒しなんて、きっと幻なのではないだろうか。それに引っかかって金銭を搾取されたことがあるから痛いほどわかるのだ。
考えてみたら、身体の傷だって何日もかけて癒える。心の傷だってそういう性質のものなんじゃないのだろうか。
自分にこのような声をかけることは歯痒くて、やっぱり無茶苦茶に自分を壊したくなる衝動に駆られるけれど、少しずつ、本当に少しずつ、自分を慣らしていくことが必要なんじゃないだろうか。
その果てに、違う景色が見えてくる日も、もしかしたら訪れるのではないだろうか。
つづく
参考
大阪市こども相談センター(2010)「あなただからできること…こどもの性的被害がわかってから…」https://www.jst.go.jp/ristex/implementation/development/21family/pdf/anatasasshi.pdf(参照2024-10-25).
ブラック,クラウディア(2003)『子どもを生きればおとなになれる 「インナーアダルト」の育て方』水澤都加佐監修,武田裕子訳,アスク・ヒューマン・ケア.
フォワード,スーザン(2015)『毒親の棄て方 娘のための自信回復マニュアル』羽田詩津子訳,新潮社.
藤木美奈子(2017)『親に壊された心の治し方 「育ちの傷」を癒す方法がわかる本』講談社.
ハンセン,アンデシュ・ヴェンブラード,マッツ(2024)『メンタル脳』久山葉子訳,新潮社.
佐野佳代子(2023)「心の専門家インタビュー トラウマを持つ方に寄り添う。トラウマ、PTSDの実態と治療、セルフケアや予防のコツ - 臨床心理士 山本貢司先生」https://www.awarefy.com/coglabo/post/yamamotokoji_trauma_ptsd/(参照2024-10-25).