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酒と泪と生きる希望と①

どんなに大きくて頑丈な岩でも、小さな割れ目があり、そこから少しずつ雨が染みこんでいくと、いつかひび割れて壊れてしまう。
それは人間も同じ。「大丈夫」と思って走っていても、心と体は嘘をつかない。ほんの小さな傷が少しずつ広がり、気がついたら心と体が先に倒れてる。僕の人生もそんな感じなのかもしれない。


「発達障害」などのことをいろいろ学んでいるから、「神経過敏」(その反対の現れ方の「神経鈍麻」)のことは一応理解している。発達障害のある子どもがなかなか夜寝付けない、泣き叫んだりする話はよく聞く。
僕も子どもの頃は、なかなか寝付けなかった。布団に入っても1時間ぐらいは眠られず、ずっといろんなことを考えていた。そのうち自分でも対策を考えるようになり、できるだけ楽しいことを考えるようになった。「楽しいこと?」僕が思いついたのは「空を飛んでいる自分を想像すること」だった。
これはなかなか効果があって、まあ1時間以内には眠られるようになった。
高校生になったら、好きなアーティストの音楽を聴きながら眠るようになった。これも効果があり、寝付けないことに悩むことは少なくなっていった。まあ、どんなに寝ても昼間の眠気が酷い、という状態は大して変わらなかったが(多分、熟睡はできていなかったのだろう)。

大学生になり、酒を飲むようになると、日本酒などを1杯だけ飲んで寝ることもあった。ただお金もないし、その頃父親は毎晩浴びるように飲んで暴れていたこともあり、それへの反発もあり進んで飲むことはなかった。
僕は教育系の大学だったので、小学校に1ヶ月、中学校に2週間の教育実習があった。今から振り返ると、このときに僕は初めて精神疾患を発症したと思う。
明日の授業の教材研究や準備をしていると、突然どこからともなく「不安」が湧き上がってきて、息がどんどん苦しくなる。だんだん息ができなくなり「このまま死ぬんじゃないか」という恐ろしい恐怖にとりつかれる。そのうち心臓が止まってしまったように感じて、僕は階段を駆け下りて眠っている父母に助けを求める。両親とも僕の異様な様子にたじろいでいるが、僕が「救急車を呼んで!」と叫ぶのでそのまま119番。救急車に乗って病院に搬送された。
病院で心電図やいろいろな検査をするが、どこにも異常はない。「大丈夫ですよ」と宿直医に説得されて帰宅した。

これはいわゆる「パニック障害」だ。読者の中に経験したことのある人のいるかもしれない。今手元にDSM-Vがないので、Wikipediaの説明でご勘弁を。

「不安障害」の一種で、症状として「広場恐怖」が有名かもしれない。教育実習は何とか履修することができたが、その後僕は頻繁に「パニック障害」に襲われるようになった。一番多かったのが電車の中。「あ、なんかおかしいな」と思ったら、冷や汗がだーっと出てきて、息ができなくなる。そしてこのままでは死ぬ!」と感じて、必死になって電車を降りる。僕がホームに倒れ込む様子を見て、何人かの乗客が声かけてくれ、駅員を呼んでくれる。駆けつけた駅員に「胸が、心臓が、苦しい…」と訴えると、慌てて救急車が呼ばれる。そして、病院で診察、異常なし…

あのときに診察を受けていたら、その後の人生はまた違ったものになっていたかもしれない。ただ当時は1980年代、精神的な疾患にまだまだ理解はなかった。内科の医者でさえ「こんな薬を飲んでいたら頭バカになるで」という時代である。そのうち発作は出なくなり、僕も忘れていった。


僕は大学を卒業して、とある地方都市の中学校教諭になった。学校はとんでもなく荒れていて、仕事は楽ではなかったが、発作が出ることはなかった。僕は国語教育と生活指導に打ち込んで、充実した教師生活を過ごしていた。
次に僕が倒れたのは、ちょうど39歳の春だった。僕はその前年、中学校3年生を担任する予定だったが、学校長からの指示で担任を下りて「進路指導主事」を持つように言われていた。僕にとって1年生から育ててきた大切な学年、その最後の1年を担任を下りることにどうしても納得できなかった。まだ若かった僕は「担任と進路指導主事と両方やります!」と啖呵を切っていた。
担任と進路指導主事の兼務は、予想以上にハードだった。担任の仕事をしつつ、進路指導の会議の資料も作らなくてはいけない。進路関係の会議や出張も多かった。さすがに11月頃に、過労で1週間ほど休んだが。それでも生徒たちや同僚の先生たちに支えられながら、何とか1年間やりきった。

今振り返ると、仕事の過労だけが全ての原因ではなかったように思う。前年には一軒家を購入した、妻は僕以上に仕事が忙しく、家事も自宅購入やフィフォームなどのさまざまな手続きも自分一人でやっていた。そして、3年目の子どもの誕生も間近だった。
僕はある日突然、全く眠られなくなった。意識が必要以上に覚醒していて、目を瞑ることができない。目を閉じるとそのまま死んでしまいそうな感じだった。息ができなくなったり、心臓の鼓動ばかり気になった(今考えると「パニック障害」に近い感じだ)。
体のあちこちが凝るので(かなりの力が入っていた)、鍼に行ったが体の力が抜けると、そのまま倒れて意識を失う恐怖に駆られた。循環器科も何回も行ったが症状は少しもよくならなかった。そして、知り合いの紹介もあり、初めて「心療内科」の門を叩いた。(この辺りは以下の文章も参考にしてください。)

当時の診断名は「自律神経失調症」だった。この名称はDSM-Vには載っておらず、ICD-10で「G90 Disorders of autonomic nervous system : unspecified」と分類されている。日本でも正式な病名として認めない医師もいるが、「パニック障害」「うつ病」「適応障害」などの症状の一つと考えられている。

ここで僕は生まれて初めて、精神科の薬を飲むことになった。今でも多くの人がそうかもしれないが、精神科の薬を飲むことには大きな精神的抵抗感がある。
でもほとんど眠られずに1週間以上経っている。もう他に方法はない。僕は覚悟を決めて睡眠導入剤を飲み、布団に横になった。

気がついたら夜中の2時だった。「ああ、眠れた!眠れたんだ!」
僕は体中から力が抜けて、同時に安心感と喜びがわき上がってくるのを感じた。
「よかった!」
ここから僕の人生後半の長い物語が始まる。

(続く)

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