【感想】 芥川心之介『サラムン』
(第38回文学フリマ東京にて購入 『汀心 vol.1 恐怖について』収録作品)
まず、印象的なタイトルだ。思わず舌に載せて反駁したくなるような響きは、はたして何がしかの他の言語や名称から引用したものなのか、それとも作者の独創であるのかはわたしには分からない。ただこの言葉の響きの、それだけで何かしらの乾いた色や、掠れるような空気の流れを想起させるような有機性は、作品の始めから終わりまでをたしかに貫き、特徴づけている。
それはこの作品の文体の硬質さ、というよりも粘質さ、おそらくは意図的に演出された息苦しさによって、ますます際立たされる。(わたしの見落としがなければ)いっさいの読点を用いないながら、リーダビリティをけして損なうことのない、一定のリズムを終始維持しつづける文体は、まるでうず高く積み上げられた石からなる塀のようだ。道の両手がその塀によって圧迫され、留まるにしても、進むにしても、苦しい。唯一仰ぎ見ることのできる空さえ、行く手を塞ぐかのように青黒くのしかかっている、といった心象だ。そのようななかで聞く、サラムン、あるいは、サマーサヘハン。これらの未知の言語は、ますますにその軽やかさと、やさしさを増していく。
もちろん、この文体は作中の主人公が置かれた状況、歩む道のりとも呼応している。総じて、さまざまな要素が丁寧に設計され、組み上げられた作品という印象だ。文体のほかにもパラグラムの反復や、奇怪なシチュエーションなどが次々に現れるが、そのひとつひとつが空中分離を起こすことなく、有機的に結びついている。あるいはこういってしまってよければ、ある身体性を描きだすことに成功している。
この作品において描かれるあらゆる事象は非現実的だ。けっして、現実では起こりえない。しかしこの作品にあらわれる情動は、たしかに現実の生活のうちに根を張り巡らせている。世界への期待というものから切り離され、閉ざされている感覚。それらが言葉によって導き出されるということ、しかしそれが必ずしも脱出ではありえないということ。その暗い、それでいてどこか懐かしさも含んでいるような、したたかな手触り。
そこにはある生の断片が、ありありと書き起こされている。