私のことを「先生」って呼ぶのは、こそばゆいのでお許しください。
noteのユーザー様におかれましては、わたくしコジマは、ただただ怪しくコンサルを名乗りつつ、好きなことを書いている人物像かと思います。
(自分で書いていて、この人物像はヤバい)
ですが、私もコンサル業においてはいつも真剣に取り組んでおりますし、リアルで私が支援させて頂いている方々からは、それなりに一目置かれていたり、そうでなかったりします。
そんな中で、私のことを「コジマさん」と呼ぶ方もいれば、「コジマ君」と呼ぶ方もいるし、呼び捨てはまずありませんが「コジコジ」と呼ばれることはあります。
(そういや、20代になってからはずっと「コジコジ」だなあ)
まあ、普通はコンサルタントが「ニックネームで呼ばれる」ということは無いのだと思いますが、
これはこれで、現場で一緒に頑張っている存在である、と思ってくれている、のだろうと前向きに受け止めています。いや本当に。
あ、ちなみに「こそばゆい」が方言説もあるみたいなので、おそらく「くすぐったい」がみんなが解りやすい標準語ポジションなのだと思います。
ちなみに、地元では「こそばい」です。
誰か詳しい方いらっしゃいましたら、解説してください…。
「先生」についての私の解釈とは
入り口の話としては、私のことを「コジマ先生」と呼ばれる方が何割かいらっしゃいます。
私は教員になりたいとは一度も思ったことがなく、普通の販売員だった自分が「先生」と呼ばれる日が来るとは思いもしませんでした。
誤解を与えたくないのは、教員になりたいと思ったことがないのですが、いわゆる先生方に対しては、尊敬の念があります。
やはり何かを教えて、習得させる仕事というのは、非常に大切なことだと思いますし、
今でも40歳を過ぎた今でも「先生」というワードで、学生時代のことが頭に浮かびます。
私にとって「先生」とは、学生時代の「教師」であり「学校の先生」のイメージが強く、特に小学校や中学校の時代に関しては、自分自身も幼いこともありますので、
特別に「先生」が絶対的な存在であったように思っています。
私の学生時代を小学校からと設定すると、年代的には1980年代~1990年代が主なところになります。
さすがにこの時期は、今だと大問題ですが、体罰みたいなものは無かったものの、出席簿で頭を叩かれるくらいは、一応ありました。
とはいえ、暴力的な部分での絶対的な存在、という訳ではなく、自分の知らないことを全部知っている(と思ってた)、よくわからないけど偉い人なんだ、みたいな漠然としたことの積み重ねで、結果的に絶対的な存在であったように思います。
そういうあれやこれやにより、
「先生」≒ 「絶対的存在」で、かつ「偉い人」
みたいなイメージが大きくある、という感じです。
先生たちだって普通の人間、だと本質的に理解したのは社会人になってからですね。
「こそばゆい」に戻ります
上記のような理由から、
私自身が、私のことを『「絶対的存在」で、かつ「偉い人」ではない』というのを、一番理解しているので、
「先生」と呼ぶ側が、どのような意図を持ってそう呼んでいたとしても、上記が反射的に浮かんでしまうので、こそばゆく、くすぐったいような気持ちになってしまうのです。
多分自意識過剰なんです
私のことを「先生」と呼んでいる人たちが、正直そのような意味合いでお呼びでないことは解っています。
そして、結構なバリエーションがあると思っています。
小見出しで書いてみますね。
「さすが!」を表現する時
結構パターン的には多いですね。
普段は「コジマさん」なんですけど、何かしら相手に良い影響を与えるような情報を伝えられたりであったりとか、期待を上回るお手伝いが出来た時に、
「さすがコジマ先生!」と、その時だけ先生呼びをするパターンですね。で、また普段は「コジマさん」に戻る。
多分これが一番多いです。
本当に「先生」をやっているとき
私も、時には登壇することがあるんですよね。
そうなると、まあ受講者から見れば、当然ながら確かに「先生」ですので、呼び方は「先生」になるのだと思います。
そりゃあそう呼びますよね。何となく。
親しみを「先生」の呼び名に変えて
これは私が勝手にそう思っているだけなので、これこそ自意識過剰かもしれませんが、「コジコジ」までは崩せないけど「コジマさん」より、少しだけ遊んでいる感じで呼ばれる感じがあります。
文字で、そのニュアンスを伝えるのは大変難しいのですが、頑張って文字にすると、
「コジマ先生」ではなくて、
「コジマせんせえー」みたいな感じです。
多分伝わらないな、これは。下手くそですみません。
何かを、特別に私にお願いしたい時
本筋とは違って、派生系のお願いみたいなものをお願いしたい時に、ちょっと甘える感じの「先生」呼びがあります。
これは、コンサル外でも世の中に一定数あるんじゃないですかね。それと同じかと思います。
一定の距離を保とうとしている時
ここからは、そもそも経験自体があまり無いですし、最近はほとんど無いようには思っていますが、
私が現場に入り込むスタンスであれ、クライアント先の社員の方々からすると、あくまで外部スタッフとして「線引き」を意識している時に、「先生」を使っている感じがありました。
敵対的な関係性から
これは、ほとんど経験がありませんが、一度だけありました。
企業のトップからの依頼でコンサルがはじまったけれども、現場としてはコンサル参入に納得がいっておらず、
現場側としては「とことん抵抗するぞ」と、いうタイミングで、おそらく私の疎外感を出すために「先生」を使っていました。
とはいえ、数回の話込みの結果、この方々は早々に私への挨拶が「お世話になります」とは言わなくなって「お疲れさまです」に変わりましたし(実はコレが一番嬉しい、これも記事にしてみたい)、
もう「先生」と呼ばれなくなりました。
むしろ成果が良い感じに出た記憶が強いです。
こそばゆいけど、好きなようにお呼び下さい
色々と書いてきましたが、一応「やめてくれ」とは書いていないつもりなのです。
また、私自身「先生」と呼ばれることがイヤな訳ではありません。
ただ、ちょこっと「そんな大した人間じゃないのに、先生って呼ばれる自分にウケル」時があるので、
ちょっとニヤニヤしていたら、そういう事情があるんだなとお察しください。
と、今回は「コンサルタントが、先生と呼ばれること」について深掘りしてみました。
この記事はコンサルさんよりも、コンサルタントと一緒に働いている方に、ざっと読んでみて欲しい感じですね。
コジマサトシ/トナリコネクト